在宅の仕事が一段落つくと、近所の珈琲店に出かけるのが、私の楽しみのひとつだった。なるべく空いてそうな時間帯を選んで行くことに決めている。
店主のハヤさんは、親しくなると面白い話を聞かせてくれるようになった。
何と言っても彼は、自分の前世を思い出すことができるのだ。
世間には、輪廻転生してきた数多くの過去世を覚えている、という人も存在するらしい。
もちろん、私自身はまったく覚えていないし、ハヤさんが思い出せるのも、江戸から明治の時代を生きた「寸一」という人物のことだけだった。
寸一は寺に寄宿していた行者で、村の人びとが何かにつけ頼ってくるほど、不思議な力を持っていたようだ。
「私が子供のころ」とか、「学生だったころ」と言うように、ハヤさんはいつも、
「私が寸一だったころ……」
と前置きして、話し始めた。
△ ▲ △ ▲ △
村で一度に三人もの神隠しがあった。
神隠しにあうのは若い娘が多いという。しかし、そのときは、年寄り、若者、子供の三人だった。親族が手分けして捜しまわったすえ、助けを求めて寺にやってきたのだ。
いなくなった三人は同じ村の者だったから、互いの顔くらいは見知っていたかもしれないが、連れ立ってどこかへ出掛けるような間柄ではなかった。
心配する村人たちの相手を住職にまかせ、寸一は表へ出ると、速い足どりで歩き始めた。
思い当たる節がある。
(そういえば昨夜、雨ノ森のキツネが、なにやら浮かれ騒いでいたな)
雨ノ森は村はずれの細長い森で、昔から妖術に長けたキツネの一族が棲みついている場所だ。
もう何年も前のことになるが、寸一はキツネの長老と話し合い、村人を化かさぬよう約束させた。
取り決めはきちんと守られている。
その礼という意味合いもあり、時折、団子と酒を雨ノ森に持参して、キツネたちを相手に宴を開く。
(たしか長老は、近々、遠縁の一族に婚礼があると言っていた。婚礼は満月の夜と決まっている。とすると、主だったキツネたちはみな、招かれて出かけたはず)
寸一は、中天に懸かる月を見上げた。
雨ノ森に着くと、歩をゆるめて静かに歩きまわった。
ふと目の端に、森へ入る小道を見つけ、立ち止まる。多くの人々が長い時をかけて踏み固めた、いかにも歩きやすそうな道だ。
目立つ道ではない。とはいえ、ついこのあいだまで、こんな道がなかったことは確かだ。
丹田に力を込めて見据えると、やはり正体はただの獣道。
(ふん、なかなか力量のあるヤツらの仕業だ)
思わず、頬に笑いが浮かんだ。
寸一は道に踏み込んだ。
月明かりが木漏れ日と見紛うほどきらきらと差し、樹には見たこともない珍しい花が咲いている。あちらの枝にも、その先の枝にも──、誘うように咲く花々をたどっていくと、やがて見えてきたのは草庵風の茶室だった。
すべて目くらましの幻なのだ。
(これは、たいしたものだなぁ)
おそらく、婚礼に招かれた長老や重鎮から留守を任された、若いキツネたちの悪戯だろう。うるさ方の居ぬ間にと、幻術の腕比べでもしたのではあるまいか。
それ以上の悪さをしかける気はないようだ。隠れてようすを伺っている気配もなかった。
茶室の中からは、楽しげな話し声が聞こえてくる。
見ると、行方知れずとなっていた三人が、目をかがやかせて話に興じていた。
△ ▲ △ ▲ △
「結局どういうことだったの?」
私はハヤさんに尋ねた。
「3人とも注意深く、好奇心の強い人たちでした。それぞれ前後して、小道に足を踏み入れ、風雅な茶室に感心しているうち、自然と落ち合うかたちで一緒になったのです。その後は、話に花が咲き、時を忘れてしゃべっていたそうです。障子の外には、ずっと午後の日が差しているように見えたとか」
「どんな話をしていたのだろう、何時間も」
「天狗や河童、雪女、火の玉、生まれ変わりに臨死体験──、もともと不思議な話が大好きだったそうです。それでいて、迷信深いところはなく、賢い人たちでした。ひょっとしたら、キツネに化かされていると承知の上で、わざわざあの道に迷いこんだのかもしれません」
私は本で読んだ「マヨイガ」の話を思い出した。
山奥に忽然と現われる立派な屋敷。偶然行き当たった人は、宝物を持ち帰ることが許されるのだという。
「でも、屋敷ではなくて茶室だし、キツネの仕業だったのだから、マヨイガとは別物でしょうね」
と言うと、ハヤさんは少し考えてから答えた。
「そもそも、若いキツネたちが、あれほど雅やかな茶室を知っていることが訝しい。小道はともかく茶室には、また別の不思議な力がはたらいていたとも考えられます。神隠しにあった3人は、年齢も家柄も違っていて、普通だったら一生親しく話をする機会などない人たちでした。それがあの森で、お互いを見つけたのですから……」
「心の友、それこそがマヨイガから持って帰った宝、というわけ?」
「そうだったのかもしれないですね。持ち帰る宝がすべて、物とは限りませんから」