晶太が書道教室へ行くと、銀ひげ師匠はお昼ごはんのサンドイッチを作っているところだった。
師匠は魔法使いだけれど、ごはんはふつうに手作りする。レパートリーは限られていて、サンドイッチといえば、トマトと卵のサンドイッチだ。
晶太は魔法と書道、両方の弟子なので、学校が休みの日は、よくお昼をいっしょに食べる。手を洗って台所へ行き、なにかお手伝いすることはないかと、あたりを見まわした。
お皿のわきに、見なれない棒が置いてあった。
お箸くらいの長さで、ゴボウのような形をしている。
「師匠、これは何ですか?」
と聞くと、
「イシバシ棒だよ。今から八十年くらい前の魔法使い、五宝(ごぼう)さんという師匠に因んで、弟子たちが作った棒だ。五宝師匠は弟子への伝言メモなどで、サイン代わりに野菜の牛蒡の絵を描いていたそうだから、ゴボウつながりというわけだね」
「ゴボウ師匠なのに、どうして『イシバシ』なんですか?」
晶太が重ねて聞くと、銀ひげさんはトマトを切りながら笑った。
「いい質問だ。それには、いささか理由がある──」
といって、イシバシ棒というネーミングの由来を話してくれた。
五宝師匠は、たいそう面倒見のいい人で、多くの弟子がいた。普段、煮炊きは内弟子がやっていたが、時には師匠手づから大鍋で煮込みうどんを作り、弟子たちにふるまうこともあった。
用心深い性格だった五宝師匠は、うどんを入れる前に、必ず全員分のどんぶりを棒で叩いて確かめた。もし、目に見えないひびなどが入っていて、食べている最中に割れでもしたら大変だと心配したのだ。
三十年以上、どんぶりを叩き続けて、実際に割れたのは一度だけ。
「おお、やはり日頃の用心は無駄ではなかった。可愛い弟子に火傷させずに済んだ」
と、師匠は喜んだが、
(何度も何度も叩いたせいで、どんぶりは割れてしまったんじゃ……?)
弟子たちは皆、心のなかで呟いたという。
「──五宝師匠はまさに、石橋を叩いて渡る人だった。少々やり過ぎではあったが、弟子たちはそういう師匠をとても慕っていた。だから、五宝師匠の年忌法要で集まった愛弟子が、師匠を偲び、どんぶりを叩くゴボウ型の棒を作って『イシバシ棒』と名付けたのだよ。棒は大勢いた弟子たちに配られ、多めに作られた分が弟子以外の魔法使いのところへも流通してきたというわけさ」
「それで『イシバシ』なんですね」
「まあ、それに、『ゴボウ棒』では語呂も悪かろう」
晶太はあらためてイシバシ棒を見つめ、ふと浮かんできた疑問を口にした。
「あれ? でも今日のお昼はうどんじゃないから、どんぶりを叩く必要ありませんよね」
「さすが晶太、よく気づいた。実はな、このイシバシ棒でどんぶりを叩くと、必ずといっていいほど、ぱかっとふたつに割れてしまうのだ。どうやら、作った愛弟子も予想しなかった、不思議な力が備わっているらしい」
「どういうことですか?」
「おそらく五宝師匠の遺訓であろう、と弟子たちは考えている。晩年になってからのことだが、師匠はよくおっしゃっていたそうだ。過ぎたるは猶及ばざるが如し、石橋を叩き過ぎて壊してしまったのでは元も子もない。日頃の用心も大事だが、ここぞという時には、思い切って行動してほしい、とね」
銀ひげさんは棒を手に取り、感慨深い眼差しで見つめた。
「とはいえ、これはこれで、たいそう役に立つ道具なんだよ」
と言って、茹であがったばかりの卵を皿に置き、イシバシ棒で軽く叩く。
すると、卵の殻がぱかっときれいに割れたのだった。