かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

お箸を持つ手

 

私は左利きですが、右手を使うことも多いです。

野球で言えば右投げ右打ち、でも、ラケットを使うスポーツだとサウスポーです。ハサミは右で歯ブラシは左。包丁では、皮をむくのが右なのに切るのは左のため、いちいち持ち替えます。

これは両利きではなく、用途によって利き手が変わる「クロスドミナンス(交差利き、分け利き)」というものだそうです。

 

お箸は左手です。

幼い頃、同居していた祖母が「女の子が左手で箸を使うのはみっともない」と言い、矯正されかかったのですが、変わりませんでした。

「左手で食べたほうがおいしく、右手ではおいしくない」

というのが、当時の私の主張でした。

どちらかというと聞き分けのいい子供だったのに、そこだけは譲らなかった。「こっちで食べるのがおいしいの!」と、声を大にして繰り返したことを覚えています。

それでもしばらく祖母との攻防は続きましたが、やがて、私に自家中毒の症状が出て病院行きになり、

「何か子供の嫌がることを無理強いさせていませんか? 左利きの矯正? すぐにやめてください」

ドクターストップとなりました。

 

それほどまでに「お箸は左手」を貫いた一方、文字を書くのは自発的に右手へ持ち替えました。最初は左手で書いていたのですが、左右逆の鏡文字になってしまうのが不便だと気づいたからです。 

幼稚園で「右と左」を教わったのは、同じ頃のことだと思います。

先生の「右手は、お箸を持つほうの手」という掛け声で、みんながいっせいに右手を挙げるなか、左手を挙げていました。

どうやらそのあたりで、左右の初期設定が混乱したようです。

私は、とっさに右と左を認識して反応することができません。

 

左右というものが、体の感覚と頭の理解でずれているので、例えば、道を尋ねられてもうまく説明できず、逆に道順を説明してもらってもなかなか頭に入ってきません。

昔、スポーツジムのエアロビクス(ダンス形式の有酸素運動)のクラスに参加したときは、時々左右逆の方向へ動いて、まわりの人たちをぎょっとさせていました。

私は車の運転をしませんが、もし運転したら、そうとう神経を使わなければならないはずです。

 

ふと、こういう状態にも名称があるのではないかと思い、検索してみたところ、

左右盲とありました。

左右盲とは、脳に損傷を受けるなどの病変ではないのに、右と左を感覚的に理解できないこと。幼少時に利き手を矯正した人は比較的左右盲になりやすく、「クロスドミナンス」のように不完全な矯正は、右と左を曖昧にし区別がつきにくくなってしまう──、

まさしくこれです。すっきりしました。

 

お箸を持つ手が左のため途方に暮れたのは、旅先で体験した「流しそうめん」です。

流しそうめんは、右手で箸を持って迎え受ける方向に流れているので、左手だと逃げていくそうめんを追う形になり、すくい上げることが極めて困難です。仕方なく右手に持ち替えてみましたが、思うように箸を扱えず、まったく無理でした。

何となく、祖母の面影が心をよぎります。

しかし、必要は発明の母。左手を「バックハンド」のように使って、流しそうめんを食べることができました。

 

左利きに生まれて便利だったことは、さほど多くありません。すぐに思いつくのは、右手で鉛筆を持ったまま左手で消しゴムが使える、くらいです。

けっこう右利きの人に感心されるので、内心得意だったのですが、今や鉛筆を使う機会がめったになくなり、残念なことです。