半年ほど前から、近所のスポーツジムに通い始めた。
僕の仕事場は自宅のパソコン前で、1日の大半を座ったまま過ごしている。
運動不足をジムで解消する、という新しい習慣は予想以上に快適だった。平日の日中のみ利用可能なデイタイム会員で、料金が割安なのも嬉しいポイントだ。
ジムでは主に、フィットネスバイクという自転車型の運動器具を使っていた。ハンドグリップの間に大きなモニターが搭載されていて、心拍数や消費カロリーなどのデータがひと目でわかる。
さらにこのモニター画面では、いろいろな動画を見ることもできて、単調な有酸素運動の退屈をまぎらわしてくれるのだ。動画リストのなかには、流れていく風景や、心を癒すヒーリング映像の他に、シンプルなアニメーションもあった。
アニメの主人公は、「星丸(ほしまる)」というハリネズミだ。
スタートする時点ではころころに太っていた星丸が、走り続けて少しずつスリムになっていく。
星丸はひたすら走る。
道はいつも平坦とは限らず、だらだらと続く上り坂が、突然、転げ落ちそうな下り坂になる。雨が降り出せば、屋根付きの回し車に入って走る。ハリネズミは水が苦手なのだ。
時々、お菓子の食べ過ぎなどでリバウンドして太るけれど、また一生けんめい走って細身になる、ということが何度か繰り返され、体脂肪燃焼効率が上昇するといわれる運動開始後20分を迎える。
そこから先の20分間は、ちょっとしたストーリー仕立てになっていた。
このアニメの特徴は、ストーリーが100通りあるという点だ。
といっても、エピソードやシーンの組み合わせパターンの総数が100、というだけなのだが、毎回似たようで少しずつ違うストーリーが展開され、まったく同じ話が続くことはない。運動しながら気楽に流し見るには、ほどよい内容だった。
今日、僕が見ていたストーリーはこんな感じだ。
星丸が走っていると、競争相手が現れて、その数はどんどん増えていく。集団に埋もれそうになりながらスピードアップして走り続け、ようやく先頭グループに加わったところで、いかにもずるそうなライバルにだまされて、まちがった方向へコースアウトしてしまうのだ。
道に迷って焦る星丸だが、そこで救いの女神に出会う。とても可愛い娘ハリネズミだ。
彼女に正しい走路を教えてもらい、いったんはレースに戻ろうとするけれど、思い直して引き返す。自分の望みはレースに勝つことではなく、恋しい相手を追いかけることだと気づいたからだ。
迷路のような街並みを走りまわって、彼女を探す星丸。はるか道の先に、ちらりとその姿をとらえるのだが、なかなか近づけないのがもどかしい。
そこから話は急展開する。
例のずるいライバルもまた、彼女を追いかけ始めたのだ。
1対1のデッドヒートが始まった。ライバルが仕掛けたネズミ捕りを飛び越え、川に突き落とされそうになったときは、流れてきたボールに飛び乗って進み続ける。抜きつ抜かれつして、ついに競争相手を振り切った星丸の前に、ゴールが見えてくる。
愛しい彼女や大切な仲間が待っているその場所に、大喜びでゴールインするシーンで、ストーリーは完結した。
このアニメは、どんなストーリー展開になっても、ラストは必ずハッピーエンドなのだ。
僕はゆっくりとペダルを踏んでクールダウンしながら、目を上げて周りを見渡した。
使用中のフィットネスバイク9台のうち2台の人たちが、星丸のアニメを流していた。最初はながめているだけだったのに、いつしか並走しているような気分になり、一緒にゴールまで行き着く。毎日毎日、どれくらいの数の人たちが、星丸をハッピーエンドへ運ぶためにペダルを踏んでいるのだろう。
満ち足りた気持ちで運動を終えた僕は、施設内のお風呂で汗を洗い流し、スポーツジムを後にした。
家に帰ってパソコンを開くと、待ち望んでいたメールが来ていた。
星丸シリーズ第2弾のオファーがあったという知らせだ。
僕の職業はWEBイラストレーター、動画も作る。星丸のアニメーションは、制作チームの一員として作ったものだけれど、キャラクター設定など主要なアイデアを考え出したのは僕なので、自分の作品だという気持ちが強い。
嬉しくて、思わずひとりガッツポーズをした。
夕飯を済ませてからが、僕の本格的な仕事時間だ。夜のほうが集中して作業できるし、理由はもう1つあった。
夜になると、パーテーションで仕切った部屋のコーナーから、かすかな気配と物音が聞こえてくる。夜行性のハリネズミ、星丸が活動を始めたのだ。
僕は星丸を驚かさないよう、そっとケージに近づいてあいさつし、嬉しいニュースを報告した。
パソコンの前に戻ってしばらくした頃、星丸が回し車に入って走る音が聞こえてきた。その不規則で軽やかな音を耳にすると、不思議なほどやる気が湧いてくる。
星丸の回し車は、いくら走ってもその場から進むことはない。
それでも、僕を前へ前へと運んでくれるのだ。
まさき りお (id:rio-masaki)さん作の絵です。
こちらの、出会いと別れ、そして感謝についての、心にしみる記事のなかで、
『誰でも使用して良いですよ~』
という、ありがたいお言葉と共にアップされていたので、さっそく使わせていただきました。
りおさん ありがとうございます。
「古代インドの宇宙観」的な絵だということですが、そういう掌編を書けるかどうか謎だったので、最新作にカップリングいたしました。