かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

最初で最後の弟子(創作掌編)

 

 晶太が通い始めた書道教室は、墨汁と筆ペンを使わない方針のせいか、あまり流行っていなかった。

 学童クラスはさっぱりだが、成人クラスの継続的な「生徒さん」たちのおかげで成り立っているのだ、と師匠は言っている。

 祝儀袋や不祝儀袋に書く名前くらいは上手に筆書きしたい、という動機で入門し、丁寧に磨った墨で名前の字を練習していくうち、書道に心の安らぎを見出した人たちだ。教室へ来る前は、なかなか思いどおりに書くことができない自分の名前を好きになれなかったという人もいた。

 

 師匠の短めに生やした髭は、黒と白の混ざりぐあいが、いぶし銀のような色に見える。晶太はひそかに「銀ひげさん」と呼んでいた。

 書道の師範は師匠の本業ではあるけれど、仮の姿でもあった。

 銀ひげ師匠の正体は魔法使い。晶太は書道ではなく、魔法の方の弟子なのだ。

 

 幼いころから晶太は、人が嘘をつくとすぐに気づいた。だまそう、ごまかそうとする嘘から、悪気のない嘘まで、全部わかってしまう。

 だから、

「君は、魔法使いの卵だ。よかったら私について修行してみるかい?」

とスカウトされたとき、素直に信じることができた。晶太がうなずくと、師匠はとても喜んだ。

「ありがとう! 魔法使いは弟子をとって初めて一人前といわれているのに、私は自分勝手に生きてきたせいで、今まで弟子がいなかったんだよ」

 そう言って、ちょっと涙ぐんだりもした。

 

 魔法の修行といっても、第一歩はとても地味なものだ。

 毎日、書道教室へ行き、他の生徒がいるときは、同じようにお習字をする。いないときも、まず、墨を磨る。

 墨を磨っているあいだは、一意専心、おしゃべりは禁止だった。

「師匠、日本にも、ホグワーツ魔法魔術学校みたいな学校があるんですか?」

「墨は磨り終えたかい?」

「はい」

といって、硯の海を見せる。

「よろしい。そうだね、日本にあるとは聞いたことがないな。ほとんどの魔法使いは落語家と一緒で、それぞれ師匠に弟子入りして技を学ぶんだ。物語には多くの真実が含まれているけれど、外国とはいろいろ事情が違うんだろう。晶太は、ゲドという魔法使いの物語を読んだことがあるかな?」

「ゲド? ありません」

西の善き魔女と呼ばれる人が書いた本で、特に1巻目は、今の晶太にお勧めだよ。魔法について、こんなふうに説明されている。森羅万象、あらゆるものには隠された真(まこと)の名があり、その名を知れば、相手を操ることができる。真の名を探り出し、神聖文字を唱えて支配する術、それが魔法だとね」

 晶太は目をみはって、師匠を見あげた。

「ぼくもこれから、そういうことを勉強するんですか?」

 

「いいや、少し違う。私たちは、あらゆるものにはそれを司る神がいる、と考えているんだ。八百万の神というわけだね。魔法は、その神様に挨拶するところから始まる」

「おはようございますとか、こんにちは、とか?」

「まあ、そういうことさ。唱える言葉は、かなり古めかしいけれど日本語で、独特の節をつける。これを『ウタ』という。つまり魔法の呪文だね。挨拶して親しくなると、やがて神様が合言葉を教えてくれる。挨拶する、通じ合う、それから、頼む、という順序だ」

「頼むんだ……」

「そうだよ。相手は神様、操ったり支配したりすることはできないからねぇ。ただ、強く心をこめて頼む。──とはいっても、八百万のなかにはさまざまな神様もいらっしゃるので、場合によっては丁々発止と渡り合うようなこともあるよ」

 学校の教室にいるときのように、晶太は手をあげて質問した。

「ぼくが入門してからずっとやってきたのは、どんな魔法の練習なんですか?」

 この1ヶ月間、師匠から口伝えで教わった「ウタ」を、磨ったばかりの墨に向かって唱え続けてきたのだった。

 

「うーん、質問されてしまったら仕方ない。ほんとうは内緒にしておいて、君をびっくりさせたかったのに」

 残念そうにつぶやくと、師匠は作務衣の懐から細身の巻物を取り出した。

「この巻物は、魔法使いの命といっても過言ではない。私が直々に授かった合言葉のすべてが、ここに記されているのだ」

「忘れないように?」

「いやいや、魔法使いは一度聞いた合言葉をけっして忘れはしない。たとえ何千、何万あったとしてもだ。書き留めるのは、言葉にはそれ自体に力が備わっているからで、その力が魔法使い自身の力量を決める」

 言うなり手さばきよく、巻物を床に広げた。部屋の端から端までいっても足りないほどの長さの紙が、まっすぐ伸びていく。

 晶太は、あの細い巻物に巻かれていたとは思えない紙の量に驚き、そして、その紙がまったくの白紙であることに驚いた。

 その驚愕を見て、師匠は嬉しそうに微笑んだ。

「大切な言葉の数々を魔法で守るのは、基本中の基本。本人にしか読めないよう、『見えずの墨』で書いてあるんだよ」

と、説明する。

「わかった! ぼくが毎日唱えているのは、その墨を作るための呪文だったんですね」

「その通り。さらに、この墨は、魔法使いが許可する相手には、こうして見せることもできる」

 鋭く発した呪文ひとつで、長い紙の一面に、無数の筆文字がくっきりと浮かびあがった。その迫力に晶太は拍手喝采した。

 師匠は称賛に応えて軽く会釈し、手首のひとひねりで紙を元通り巻き戻すと、再び懐にしまった。気をよくしたのか、続けざまに魔法を使って見せてくれる。

 

 習字用の筆を長机の真ん中に置くと、すばやく「ウタ」を唱える。

(筆の神様に、どんなことを頼んでいるんだろう)

 わくわくしながら見守るうち、筆はびっくりするような勢いで大きくなり始めた。大きくなりながら、微妙に形を変えていく。

 どことなく見覚えがある形……。

 

「あっ、魔法使いのほうきだ! これで空を飛ぶんですね?」

  期待に満ちて尋ねると、

「この毛筆は、タヌキの毛。化けるのは得意でも、飛ぶほうはからっきしダメだね」

と、師匠は答えた。

 

 

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