母方の祖父は、私がものごころ付く前に他界しました。記憶に残っている面影は写真のものだけですが、母からよく話を聞いていたので近しく感じます。
祖父は石屋職人でした。近所の悪戯小僧を大声で叱り飛ばす一方、母にはとても優しかったそうです。
骨太で小柄な祖父と、すらりと背の高い祖母が並ぶと「蚤の夫婦」(蚤は雄より雌が大きいところから、夫より妻のほうが身体の大きい夫婦)そのもので、学校の友だちにからかわれて恥ずかしかったと聞きました。
将棋が好きだった祖父は、気ままに遠方の将棋センターのような場所へ出かけ、知り合いではない相手と対局していたようです。そして、将棋を指しているとき、脳卒中を起こし、そのまま亡くなりました。
身元がわかって家族に連絡があったのは、数日経ってからでした。
私の父は、その最期を「立派だ、うらやましいほどだ」と言っていました。
祖父のお墓参りには、よく母とふたりで行きました。
石屋の職人だった祖父が自ら選んだ自然石の墓石が、いつも私たちを待っていました。
お寺は、根津から本郷通りへ向かう坂道を上りきったところにあります。
ゆるやかな坂でしたが、母が高齢になると上りが大変そうになってきたので、行き方を変えることにしました。
地下鉄千代田線の北千住駅から乗って、根津駅の2つ先の新御茶ノ水駅まで行き、そこからバスで本郷方面に戻るルートです。帰りは下り坂なので、根津駅まで歩くことができました。
春と秋のお彼岸、そして、祥月命日の7月下旬。年に3度の墓参には、明るい季節の印象が強く残っています。
根津には「芋甚(いもじん)」という、人気の甘味処があります。
店名の由来は、大正初期に創業者の甚蔵さんがお芋屋としてスタートしたから。ミルクを使わない昔ながらの小倉アイスや、アイスモナカが有名です。
炎天下に坂道を下り、芋甚さんで休憩するのが、なによりの楽しみでした。
秋のお彼岸には、かなりの確率で、お祭りの山車やお神輿に遭遇しました。
大祭の年には、山車と共に馬も歩きます。感心してながめていると、馬が糞を落とし、真後ろを歩いていた子どもはコースをそれるわけにもいかず、その上を踏んで進んでいくという場面を目撃しました。
祭り衣装を身にまとった男の子の、悲しげな表情が忘れられません。
春には坂道沿いに、ハクモクレンの花が咲いていました。
ハクモクレンは今年も白く咲くでしょうが、祖父のお墓は多分もうありません。
家の事情により、維持することをやめてしまったらしいのです。
とはいえ、それは此岸の出来事であり、彼岸では母も、大好きなやさしい祖父との再会を果たしていると思います。