かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

5軒めで見つけた「ぬ」

 

ふとしたことから「午前(ごぜん)様」という言葉を思い出しました。

昔、父の帰宅が宴会などで夜中の12時過ぎになったとき、母が使っていた言葉です。

「心配していた。もう少し早く帰ってきてほしい」という気持ちを、やんわりと伝える言い方でした。

 

「午前様」は、日付が変わって帰りが午前になったこと(あるいは人)を指しているだけだと思っていたのですが、ついこの間、実は「御前様」のもじりでもあることに、初めて気がつきました。

よく、ひらめきを電球マークで表現しますが、まさに頭のなかで電球がピカッと点灯するような瞬間でした。

 

昔ながらの、もじりとか語呂合わせなど、ことば遊びが好きです。

 

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銭湯の入り口に掛かっている木札で、平仮名の「ぬ」という文字が読めます。

下の説明通り、

  「わ」板(わいた=湯が沸いた=営業中)

  「ぬ」板(ぬいた=湯を抜いた=営業終了)

の意味ですが、「ウエハラ ヨシハル」さんってどなた?と思い、検索してみたら「銭湯芸術家」の方でした。

この板は、ウエハラさんの作品だったのです。

 

銭湯は、東京都足立区千住寿町の「大黒湯」です。

30年以上住んでいた千住は、私の第2のふるさとです。両親は他界していますが、身内が定住しているので、ときどき泊りがけで帰ります。

廃業してしまった銭湯がずいぶんあるものの、北千住駅から徒歩圏内に、まだ8軒以上は営業しているようです。

先日、「ぬ」板の写真を撮りたくて歩きまわり、5軒めの銭湯で見つけました。

 

「板」つながりでは「大イタチ」というのもあります。

「六尺の大イタチ」という謳い文句に釣られて見世物小屋に入ったら、六尺の板に「血(チ)」を塗ったものが立てかけてあったとか――。

 江戸を舞台にした時代小説で読んだのですが、事実でもあるようです。

 

助六寿司」の名の由来は、もっとひねりがきいています。

 

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いなり寿司とのり巻きがセットになっている助六寿司が好きで、どうして「助六」という名称なのか調べたことがありました。

江戸時代中期にはその名で呼ばれていたそうです。

歌舞伎十八番助六所縁江戸桜」の主人公「助六」と恋仲になったのが、吉原の傾城「揚巻(あげまき)」

いなり寿司の油揚げの「揚げ」+のり巻きの「巻き」=「揚巻」

そこで「揚巻寿司」とせずに、揚巻がなくてはならない助六ということで「助六寿司」にした、という説がいちばん気に入っています。

 

ことば遊びの楽しさは、笑いと結びついているせいか、遊びではないし、笑う場面でもないのに、「蛍の光」の歌詞でフッと笑いそうになるのは困りものです。

  いつしか年も すぎの戸を

で、年が過ぎるの「過ぎ」と、杉の戸の「杉」が掛詞になっているところ。

掛詞は、機知と教養に裏付けられた和歌の修辞法なのに、笑ってしまうとは……。

 

雅なこころから遠ざかる一方の私でもわかる、見事としか言いようのない掛詞の使用例のひとつは、

  花の色は うつりにけりな いたづらに

  わが身世にふる ながめせしまに

六歌仙の1人、小野小町の歌です。

「ふる」には「降る(雨が降る)」と「経る(経過する)」が、「ながめ」は「長雨」と「眺め(物思い)」が掛けてあります。

長雨ですっかり色あせてしまった桜の花、そして、恋の物思いにふけっているあいだにむなしく時が経過し、失われた若さと美しさ。

それぞれの世界が、2つの掛詞によって表されていて、しかも技巧を感じさせません。

 

小野小町がこの歌を詠んだときは、哀切や無常感もつかの間消え去り、会心の笑みを浮かべたのではないだろうか、と想像したくなります。