私は出産予定日を過ぎて生まれた過期産児でした。
「明日、陣痛促進剤を使いましょう」と医師に言われたその日、夜になってから自然に陣痛が始まったそうです。
真夜中だったにもかかわらず、運よく医療スタッフは充実していて、逆子のため難しいお産ではありましたが、無事にこの世に誕生することができました。
母が、生まれたばかりの私と対面したときの第一印象は、
「うらめしそうな顔だった。三白眼のような目つきで、私を見あげていた」
というものでした。
以上のような話を、何度か聞かされるうち、私の頭のなかでひとつのストーリーが出来上がりました。
安全で居心地のいい胎内から、外の世界へ出て行きたくなかった胎児の物語です。
まず私(胎児)は、妊娠後期に頭位から殿位(臀位)に回転し、逆子となることで「出たくない」という意思表示をします。
時期が来ても、陣痛を引き起こすスイッチは押しません。
頑として引きこもっていると、外の世界ではドクターが母に向かい、強制退去のような促進剤の使用について話しているではありませんか。言葉はわからなくても、その不穏な雰囲気を感じとり、しぶしぶと抵抗をあきらめ、この世に出頭したのです。
そして、うらめしげに母親を見あげた――。
この話は、一種の持ちネタです。
ゲシュタルト療法のベーシックトレーニングコースを受講していたとき、私がこの持ちネタを笑い話のつもりで話すと、聞いていたファシリテーターから、あるワークを提案されました。
それは「誕生のワーク」とでも言えるもので、座布団やブランケットを使って、お母さんのお腹のなかにいるような包みこまれた状態を作り、胎内から誕生までを擬似体験するワークです。
逆子の向きでひざを抱えて横になった私は、ファシリテーターから言われた通り、まずはその状況をゆっくりと静かに体験し、何か感じたり、気づいたりしたことがあれば言葉にしてみました。
落ち着いた感じ、暑い、窮屈、少し息苦しい……というようなことを表現しました。
時間が経つにつれ、繭のなかのようなその場所は、どんどん暑く狭苦しくなってきます。
「もうここには居られないようです。私には狭すぎる。自分の意思で出て行くのではありません。なにか大きなものに押し出されるのです」
潮の満ち引きとか、季節の移り変わりのように、大きな自然の流れの一環として起きていることで、自分や母親の意思とはまったく関係ない、力のはたらきなのだと感じました。
「自分から動くのではなく、押し出される」ということを再現するために、その場にいた受講者で志願してくれた2人と、ファシリテーターとが力を合わせて、私を強く押し出しました。
揉みくしゃになりながら外の世界に出た瞬間、名づけようのない感情が湧き上がりました。
喜び、恐怖、怒り、悲しみといったものが、分かちがたく混ざり合って噴出したようなエネルギーを体感したのです。
私は大泣きしたのですが、後になって振り返ったとき、まるで産声のようだったと思いました。
昔、卒業式でまわりのみんなが泣いているときも、気恥ずかしくて泣けなかった記憶がありますが、ゲシュタルト療法のワークでは盛大に泣くことができました。
泣くことに抵抗がなくなったのは、とてもよかったと思います。
気持ちが静まったとき、私の胸に残った言葉は、
「生まれてきたのは、私の意志でも責任でもない」というものでした。
なんだか無責任な感じなのですが、仕方ありません。
生まれたことに責任はないけれど、生きていくには責任がある、ということなのかもしれません。
ワークでは、その場に立ち会っていた人たちが、それぞれの思いを話してシェアする時間を設けます。
誕生のワークで介添え役をしてくれた人が、
「ずいぶん前に読んだ『愛はズボン』という詩を思い出しました」と言いました。
愛はズボン……。
かなりシュールな詩を想像しましたが、話の続きを聞くうちに、聞き違いだったとわかりました。
山形県酒田市生まれの詩人、吉野弘(大正15年1月16日-平成26年1月15日)の散文詩、
『I was born』(アイ ワズ ボーン)
だったのです。
英語を習い始めて間もない少年が、ある夏の宵、父親と一緒に寺の境内を歩いていて、身重の女性とすれ違います。
女はゆき過ぎた。
少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということがまさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
―― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
ワークを連想させるのは、この一節だけだと思います。
私は知らなかったのですが(知っていたらズボンは出てこない)、国語の教科書にも掲載され、高い評価を受けている現代詩です。