クマ画伯のことは、何年か前まで、テレビでよく見かけた。
その素朴派の画風よりも、特異な経歴のほうに関心が集まっていたことを覚えている。
仔グマのときから画家をこころざし、絵を学びたい一心で、単身ふるさとの山を下りた。薪割りのアルバイトをしながら、冬眠もせずに人間のことばを習得したという。
薪を売りにいった高原のホテルで、運命的に出会ったのが、スケッチ旅行のため宿泊していた老画家だ。内弟子となったあとは、順調に才能が開花し、若手芸術家の登竜門といわれる美術賞を受賞した。
青いコットンツイルのジャケットがよく似合い、言動から誠実さがにじみ出るクマ画伯には、ファンも多かったが、いつのまにかテレビ番組から姿を消していた。
貯めた出演料で郊外にアトリエを建て、創作活動に専念しているという噂だった。
ある日、インターネットのニュースサイトをながめていて、最新トピックスの一覧に、クマ画伯の記事を見つけた。
アトリエ近くの土地に「迷路の森の美術園」を造ったというのだ。
外観の画像からは、吹き抜けの手作りミニテーマパークといった印象だ。迷路というより迷路風で、通路の仕切りには森の景色が描かれ、十数点の絵が、ところどころに展示されているらしい。
クマ画伯が創作の合い間に顔を出し、来場者との記念撮影にも応じていると知り、行ってみたくなった。
実は私も、ひそかなファンだったのだ。
(ちょっと遠いけれど、今度の休みに行こう)
優柔不断な私としてはめずらしく、即決した。
寒さの底が一段落して、春の気配を感じられる日曜日。電車とバスを乗り継いでやってきた「美術園」は、ほどよくにぎわっていた。
入り口に据えつけられた木製の料金箱には、
子どもは入場無料
おとなはワンコイン(どの色のコインでもOK)
と、書いてある。
私は一番いい色のコインを投入口に入れた。
なかへ入ると、仕切りの壁一面に描かれた森に圧倒された。
湿った土と腐葉土、さまざまな虫や森の草花。樹々の枝はからみあい、重く茂った葉のあいだから光が差している。あちらこちらに、鳥や小動物の姿が見え隠れしていた。
順路を表わす矢印の看板が立っている。
奇妙なことに、矢印は2つあり、それぞれ異なる方向を指しているのだ。
この趣向が、迷路的な要素なのだろうか。私はしばらく悩んでから、進む方向を決めた。
通路は曲がりくねっていたが、ほぼ一本道だった。途中で1度だけ、また2つの矢印に出くわし、同じように悩んだ。
展示されている絵は、主に人物画と静物画だ。私は絵画のことにくわしいわけではないけれど、クマ画伯の対象を見つめるまなざしが、とても純粋で透明であることに感銘を受けた。
出口から表へ出て、風に吹かれながら考えた。
(別の道を選んでいたら、どんな絵を見られたのだろう?)
私は再び入り口にまわり、ワンコインを投入してなかへ入った。
1回目とは違う方向を選んでみておどろいた。最初のルートで見た絵と、順序も内容も同じとしか思えない。
自分の記憶に自信がなくなって、もう1度入り直す。
(どう見ても、いっしょだ)
首をかしげながら外へ出ると、すぐそばを歩く父子連れの会話が耳に入った。
「お父さん、ふしぎだね。どうしてなの?」
「つまり、まったく同じ絵を2セット描いたというわけさ。クマ画伯も、なかなか商売上手だな。みんな気になって、最低2回は入っているみたいだから、売り上げも2倍——」
「だけど、ぼくは入場無料だし、あっちに『収益は森林保護活動に寄付します』って書いてあったよ」
子どもに指摘されて、若い父親は笑いながら頭をかいた。
(なるほど、そういうことか)
単純な謎解きに、私は苦笑した。そして、また入り口へまわった。
思えば優柔不断な私は、たびたび選択に迷い、選択した後でもまた悩んでしまう癖がある。今回も、選んだ絵より、選ばなかった絵のほうが気になっていた。
(これでようやく、目の前の絵を心から鑑賞できるというものだ)
ほっとして気楽になり、口笛のひとつも吹きたくなった。
ようやく満足して出口を出ると、すでに日は西に傾いていた。見ると人だかりができている。クマ画伯があいさつに現れたのだ。
写真撮影を済ませて帰途についた人は多いらしく、順番待ちの列は、ずいぶん短くなっていた。あわてて最後尾につく。
そして、待っているあいだに考えた。
あの2方向の矢印には、クマ画伯の深い思いがこめられているのではないだろうか。
なんといっても、野生のクマの世界で、大きな順路の矢印に従わず、自らの道を貫いてきた画伯なのだ。
(そうだ、選択肢があるというのは、すばらしいことだ。たとえそのために、迷い悩んだとしても……)
とうとう、私の順番がまわってきた。
「楽しんでいただけましたか?」
穏やかに話しかけられ、少し興奮しながら賛辞を呈したあと、思いきって尋ねた。
「どうして別々の方向の矢印を立てたのですか?」
すると、クマ画伯はあっさり答えた。
「そうですね、おもしろそうだったからです」
「おもしろそう……、ただそれだけで、絵も施設も倍に増やさなければならないのですから、大変ではありませんか?」
やや拍子抜けしながらも、私は食い下がった。
クマ画伯がまるい目をさらにまるく見張って、私を見る。
「いえ、おもしろくてやっていることですから、大変ではありません。つまらないのをガマンするほうが、よほど大変です」
爽快に理屈を吹き飛ばされたおどろきで、私は記念撮影をお願いすることも忘れ、クマ画伯の顔を見あげていた。