ここ2年ほど学習中のゲシュタルト療法(「今、ここ」での気づきを重視する実践的な心理療法)において、大切な「気づき(awareness)」ですが、それがどういうものなのか、実はまだわかりません。
わかるのを待っていたら、いつまでたっても書けそうにないので、いろいろアプローチしてみようと思います。
ゲシュタルト療法の創始者のひとりであるフレデリック・パールズは、気づくということを「自覚の連続体」「知的で意識的なことではない」「小さな悟り(ミニ・サトリ)」などと表現しています。
京都に滞在して座禅を体験したというパールズらしく、「悟り」ということばが使われているんですね。
パールズによれば、個人は3つの自覚の領域を持っています。
- 内部領域(身体と精神)…心臓の鼓動や胃の痛みなど自分の「からだ」の感覚。怒り、悲しみ、喜びなどの感情。
- 中間領域(思考の世界)…知識をもとに分析し、考えたり判断したりする。過去の記憶を思い起こす、未来を想像する。
- 外部領域(環境)…自分が外部としてとらえている周りの世界。五感を使ってコンタクトする現実。
例としてあげられるのが、のどの渇きに気づき(内部領域)→水分が必要だと判断し(中間領域)→水を見つけて飲む(外部領域)のプロセスです。
のどが渇いてから水を飲むまでの間に、どれほどの思考が必要なんだと茶々を入れたくなるかもしれませんが、(それは私です)
- 自分の求めていることに気づき、
- 満たす方法を考え、
- 現実にコンタクトして実行する。
このプロセスで、3つの領域が滞りなく自然に切り替わっていけば、生き生きとして自由だと感じることができ、困難に遭遇しても充分に自分を支えることができるのです。
『気づく』ことは、クライエントに自分は感じることができるのだ、動くことができるのだ、考えることができるのだということを自覚させることになる。
さて、この重要な「気づく」能力ですが、身につけるためには練習が必要なようです。
ゲシュタルト療法のワークショップでは、しばしば「気づきのレッスン」というものを行います。
2人ひと組となって、ひとりが相手に問いかけます。
「あなたは今、どんなことに気づいていますか?」
問いかけられた方は、
「わたしは今、○○○に気づいています」
と、一定の時間内で、応え続けるのです。
たとえば、
「わたしは今、あなたの服の模様に気づいています」だったら外部領域
「わたしは今、肩がこっていることに気づいています」なら内部領域
「わたしは今、ランチはどこへ行こうか考えていることに気づいています」は中間領域
です。
時間になったら、役割を交換して同じことを繰り返します。
普段はとりとめもなく流れている自分の意識を、その瞬間瞬間、どの領域にあるのか自覚することによって、「気づく」力を育てていくのです。
ですが、実際にやってみると、5分間ほどの短い時間であっても、非常に長く感じます。私は、気づきのレッスンが苦手だということに気づきました。
そう言うと、ファシリテーターは答えました。
「このシンプルなレッスンはひとりでもできるので、15分でいいから毎日続けることを強く勧めます」
私は2度ほどチャレンジしました。
1度目は通勤電車のなかで、声に出さずやってみました。
2度目は夕食後くつろいでいる時間に、今度は声に出してやってみました。
しかし、両方とも、2、3ヶ月でギブアップしました。びっくりするほど中間領域に偏っていることがわかっただけです。
3度目は、趣向を変えて試みるつもりです。
私は毎朝、目を覚ましてから起き出すまでのあいだ、横になったまま軽いストレッチのようなことをしています。時間にして、ちょうど15分くらいです。
その間、音楽も聴いています。イツァーク・パールマンのバイオリンソナタなどです。
ところが、気持ちよく体を伸ばし(内部領域)、好きな音楽を聴いている(外部領域)にもかかわらず、「今日の仕事の段取り」とか「昨夜観た海外ドラマの内容」などを漫然と考えている(中間領域)ことが多く、気になっていました。
これからはこの時間を、中間領域に滞りがちな意識を根気よく引き戻すためのトレーニングとして使いたいと思います。
もし、長く続けることができれば、ミニ・サトリが訪れるかもしれません。