彫金の職人だった曾祖父が、ワタルの誕生を祝って作ったお守りがある。
干支のお守りだ。銀色の小さなヘビが、自分のしっぽの先に頭をのせて輪になっている様子が、ユーモラスでかわいい。けし粒ほどの目は、きらきらとしたオリーブグリーンの宝石だった。
お守りのヘビの名は、五分(ごぶ)。
まっすぐ伸ばすと、長さが一寸になるところから、「一寸の虫にも五分の魂」の諺にちなんで命名されたのだ。
名前の力なのか、それとも、精魂こめて作られたからなのか、五分には確かに「たましい」があった。
けれどそれは、ワタルと五分だけの秘密だ。
「ワタル、お守りはおもちゃじゃないんだから。遊んで置きっぱなしにしちゃダメよ」
と、よく母にしかられた。ワタルのせいではなく、五分が家じゅうを探検していて、戻る前に見つかってしまったということなのに。
母はお守り袋を作り、五分を中に入れた。
小学校に通っているあいだ、お守り袋はずっと、ランドセルに結びつけられていた。
五分から最初に手紙をもらったのは、卒業式の朝だ。
起きたとき、ふと見ると、五分が勉強机の上のメモパッドに乗っている。
「あれ、どうかした?」
五分はいつもよりちょっと頭を高くあげて、なにか伝えようとしているみたいだ。注意して見ると、メモ用紙いっぱいに、とがったものでひっかいたような跡がついていることに気づいた。
斜めから光をあててみると、刻まれた文字の影が浮かびあがる。
ワタル へ
小学校卒業 おめでとう
五分
「五分、ありがとう。字が書けるなんて知らなかったよ。そうか、ぼくたち6年間いっしょに学校で勉強したんだものね」
ランドセルの時期が終わると、お守り袋はストラップに変わった。五分を結びつける先も、ワタルの成長と共に、ペンケース、キーホルダー、携帯電話と移っていった。
時々、ストラップから抜けていなくなるけれど、五分も成長してかしこくなったので、途中で発見されるようなことはなくなった。
いつもいっしょで、節目の日には手紙をくれる。五分はワタルの特別な友だちだった。
ワタルは社会人になった。
ようやく仕事に慣れてきたある日、メモパッドに乗っている五分を見つけた。
「今日は記念日じゃなかったはずだけど……?」
そう思いながら読んでみると、
ワタル へ
君が会社に行っているあいだ
パソコンで調べたいことがあるんだ
よろしくお願いします
五分
と、書いてある。びっくりしたけれど、ワタルは願い通り、パソコンのそばに五分を置いて出勤した。
五分がいいというまで、ずっと続けることにする。
数週間後、
(いったい五分は、何を調べているんだろう?)
考えながら会社から帰ってくると、パソコンの電源は入ったままで、ワープロアプリの画面が開いていた。
入力された文字は、五分からのメッセージだ。
ワタル
君を見守るために、ぼくは作られた。
けれどいつのまにか、
ぼくのたましいが夢を持つようになった。
この夢を実現するためには、旅に出なければならない。
きっと何年もかかるだろう。
帰ってこられる保証もない。
だから、君が行くなと言えば、
ぼくはあきらめる。
迷いは、全くない。
五分
ワタルは、キーボードの端に乗っている五分に言った。
「五分、もちろん君の夢を応援するよ。ぼくはもう大人になったんだから、気にしないで旅に出ていいんだ。だけど、どんな夢なのか教えてくれる?」
すると五分は、輪になっていた体を伸ばし、キーボードの上をすばやく跳ね回って、返事の言葉を入力し始めた。
ぼくの夢は竜になること
いろいろ調べた結果
地名に竜の文字や
竜の言い伝えが残る土地に
古い記憶が眠っているらしいとわかった
まずそこを訪ねることから始める
そして
夢がかなったらすぐに
ワタルのもとへ飛んで帰ってくるよ
「でも、竜ってものすごく大きな生き物だよね。五分の夢がかなったら、もういっしょには暮せないんじゃない?」
ワタルがたずねると、五分は答える。
大きさは重要ではないんだ
自由に空を飛び
自然の魔法に長じている
それが竜なのさ
ぼくは世界一小さな竜になる
その夜のうちに、五分は旅立っていった。
あれからもう何年経つだろう。
いつかきっと、小さな竜となった五分が、銀色にきらめきながら飛んで帰ってくるにちがいない。
空を見上げるのが、ワタルの癖になった。