かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

インナーチャイルドとリトルミイ

 

 前回の記事の〈つづき〉です。

toikimi.hateblo.jp

 

ゲシュタルト療法のワークで、インナーチャイルド(内なる子ども)と出会った日、夜ひとりになってから、ふと、

(あのとき感じたイメージは、まさにリトルミイだった)

と思いました。

突然、焦点が合ったような感覚でした。

 

リトルミイは、トーベ・ヤンソン原作の『ムーミン』シリーズに登場するキャラクターですが、それまでは特に好きでも嫌いでもありませんでした。

ところが、イメージが重なった結果、すっかりお気に入りになってしまったのです。

以来ずいぶんと、リトルミイグッズを買い集めました。

【正規輸入品】ARABIA (アラビア) ムーミンマグ ミイ 0.3L レッド 1000993

【正規輸入品】ARABIA (アラビア) ムーミンマグ ミイ 0.3L レッド 1000993

 

食器やタオルハンカチ、ペットボトルカバー、ポーチなど、身の回りに置いて「愛でる」ことのできるものばかりです。

とにかく、ミイがかわいくてしかたない。見つめては笑いかけ、あいさつするといった溺愛ぶりでした。

 

インナーチャイルドについて、百武正嗣さんの「気づきのセラピー」ではこんなふうに書かれています。

 人は心の奥に小さな子ども(インナーチャイルド)を住まわせています。それは幼い頃の自分です。人はその存在に癒されたり、また悩まされたりもします。カウンセリングやゲシュタルト療法の個人セッションでは、しばしば〈幼い子〉が現れてきます。それは、時に〈傷ついた幼い子〉であることもあります。 

 

ある看護師の女性は、仕事の場面で、わけもなくおどおどしがちでした。セッションを始めてすぐに、いじめにあった体験が大きく影響していることが分かります。

その女性は、病院で大きな声で怒鳴る患者さんを想像しただけで、胸が痛くなるのですが、その胸の痛みの中には「幼い女の子がうつむいて」いたのです。

胸の痛みは、幼いころに「いじめ」にあった心の痛みでもあったのです。その子は大人になった今も泣いているのです。

 

ゲシュタルト療法では、そのように傷ついた経験を「未解決な問題」と呼びます。過去の経験自体が問題なのではなく、大人になった「今、ここ」の現時点で、過去の経験のパターンに無意識に戻り、過剰に反応してしまうことが問題なのです。

 

ファシリテーターは、胸の中で泣いている「内なる子」に声を与え、その時に自分の身を守るためにしたかった「行動」「動作」を表現して、未解決なプロセスを完了させることを支援します。

安全な人間関係(グループ)の中で、自分の気持ちを伝え、幼い時の怖さを表現してもらい、そのことで大人になった今は「安全である」という確信をからだで感じられるようにするのです。

その過程を経て、彼女は「内なる子」が笑っていることを、グループのみんなに伝えることができました。

 

似たワークを、私もしたことがあります。

幼稚園のお遊戯のとき、他の園児と違ったことをして、その場で園長先生にひどく叱られた体験から、人と違うこと、目立つことへの恐怖が心に残っていることに気づきました。

そこで、「傷ついた幼い子」の座布団に座り、園長先生の座布団と対決するワークをしたのです。

とはいっても、1度のワークで、すぐさま「人と違っても平気」になるわけではありません。

「未解決な問題」である記憶は少なからず存在し、それをひとつひとつ完了していくことを、ゲシュタルト療法では「玉ねぎの皮むき」と呼んだりします。

 

どこかの時点で、私がリトルミイのイメージを重ねている「内なる子」は、インナーチャイルドというより、幼い時期に私と共にいたイマジナリーコンパニオン(イマジナリーフレンド:想像上の友だち)だと確信するようになりました。

そのころはまだ、イマジナリーフレンドという名称を知りませんでしたが。

今では、グッズの収集熱もおさまり、心の中に「うちのミイちゃん」がいることを感じています。あいかわらず辛口ですが、味方であることがわかっているので、もう傷つくことはありません。

 

さて、書くことを停止した私ですが、ゲシュタルト療法のトレーニングコースを受講している期間は、次回のワークのテーマを何にするか、あれこれ考えることに熱中しました。

ファシリテーターは数名いるので、その人の個性にあったものを選びたいと思いましたし、どのようにワークを進めていくか、頭の中でシュミレーションしながら、ストーリーを組み立てました。

掌編創作と似たような作業を行っていたわけです。

もっとも、実際のワークになってみれば、考えてきたストーリー通りに進むことはなく、いつも予想外の展開になったものです。

 

1年間のコースを修了し、次はどうしたものかと思ったとき、ブログを始めてみるというアイデアが浮かびました。

新しい創作をする自信はなかったけれど、 書きためた作品に手を加えるだけならできそうな気がしたのです。

ブログを開設してしばらくは、ひとりもお客さまが来ないガランとした店で、品物をひとつずつ並べながら店番している気分でした。

ですから奇跡のように、読者になってくれる方が現われたときは、うれしくてしかたありませんでした。

自分の書いた言葉が届いている、さらに、相手の方の書いた言葉を受け取れる、という双方向の交流は、とても新鮮で楽しく、今ではブログ中心の日々を送っています。

 

その楽しさに後押しされて、この半年余りのあいだに、新しい掌編を3つ書くことができました。

2ヶ月で1作……、もう少しペースを上げたいものです。