思い出せるいちばん古い記憶は、3歳前後に食中毒で入院したときのことだ。
夜、病室で目を覚ました私は、知らない部屋にいることにおびえて、ベッドを抜け出した。暗い廊下を歩いていくと、電気の明かりがもれている部屋がある。中に入ったら、そこには複数の看護婦さんがいて、おどろいたように私を見た。
やさしくなだめられて、ベッドに連れ帰ってもらったところで、記憶は終わっている。
たぶん裸足だったのだろう。廊下をぺたぺた歩いていたことや、母を呼びながら泣いていたこと、前方右手のほうに扉が開いていて、そこから光があふれ出ていたことなど、鮮明に覚えている。
この入院時には、もうひとつ残っている記憶がある。
食中毒なので、ずっと病院食はおかゆだった。病室の他の子たちが、ごはんを食べているのがうらやましくて、ようやく自分にもごはんが出てきたときは、とてもうれしかった。
やっぱり食べものがらみ、と思う(食べることが好き)
入院という非日常だからこそ、まとまったエピソード記憶として残ったのかもしれない。
次に印象的な記憶は、入園したばかりの保育園でアヒルにおそわれたこと。
園庭の砂場で遊んでいたら、うしろからアヒルにつつかれただけなのだが、その瞬間の、首から背中にかけての感触と恐怖は、リアルな身体感覚として残っている。
入院はその後もしたけれど、アヒルにおそわれたのは1度きりなので、重大事件だったといえる。
それにくらべ、日常の記憶は断片的であいまいだ。
天井からつりさげられ回っていたベッドメリーの赤い色とか、また同じパターンになるけれど、弟が哺乳瓶でミルクを飲んでいるのがうらやましくて欲しがったこと、などなど。
もうひとつ、特別な記憶がある。
母から話を聞いて、自分でつくりあげたものだ。
私は夜泣きならぬ「夜しゃべり」をしたらしい。みんなが寝静まる時刻になると、機嫌よくおしゃべりを始める。ごきげんだろうが何だろうが、うるさくて迷惑なので、母は私をおぶって外に出ると、気が済んで眠るまで家の前の道を歩いたという。
幼児が3人いて、病弱な姑の世話までしていた母の、貴重な睡眠時間をうばったわけだ。
まん中っ子の私は、母を独占できる時間がほとんどなかったから、相手をしてもらえることが、うれしくてしかたなかっただろう。
街路灯が照らす夜道を行ったり来たりしている母に、安心しきって甘えている私。
この記憶の場面は、私の「核」ともいえるところに納められている。