つぐみ町郵便局は、にぎやかな商店街のなかほどにあります。少しレトロな建物と、大きな赤いポストが、町の人たちに親しまれていました。
秋冷えの朝、郵便局が開くと同時に飛びこんできたのは、漆黒のドレスを着た女の人でした。郵便の窓口を担当しているナミのところへかけよってきます。
毎週のように小包を出しにくるお客さまです。名前は「三日月」さん。きれいで折り目正しく、それでいて、どこか浮き世ばなれした感じの人でした。
印象深く覚えているのは、ほかにも理由があります。
ご本人だけではなく、小包の宛名も、「望月」さん、「十六夜」さん、「新月」さんなど、月齢を表す名前ばかりなのです。
「お客さま、どうなさいましたか?」
ひどくあわてている三日月さんに問いかけましたが、
「あの……」と言ったきり、あとの言葉が続きません。
ナミは、カウンターの外へ出て、三日月さんを壁ぎわのベンチに案内すると、もう1度たずねました。
「どうなさいましたか、なにかお困りのことでも?」
「ああ、もうどうしたらいいのでしょう。けれど、こちらのことを思い出して――。あなたは覚えていますか? ちょうど5日前、私が不在通知を持って、小包を受け取りにきたことを」
「はい、よく覚えております」
と答えて、はっとしました。その小包は、厚みのある封筒の形でしたが、封がはがれて口が開きかけていたのです。気がついたナミは、包みごとビニール袋に入れて保管していました。
「小包の中身はご無事でしたか?」
「ええ、あれは特別に作らせた封筒で、中を守るため二重の構造になっています。送り手がきちんと封をしなかったのは、うかつなことでしたが、入っていた種は、おかげさまで無事でした」
「タネ、ですか?」
思いがけない中身に、ナミは目をみはりました。
三日月さんは、少し落ち着きを取りもどしたようすでうなずきます。
「私は、花の品種改良の仕事をしています。小さな温室で花を育て、確認済みの最適な栽培データと一緒に、種を花農家に卸しているのです。種そのものに働きかけ、改良していく作業は、各地にいる私の仲間が受け持っています」
「お仕事で扱う大切な種のやりとりに、小包をご利用いただいているのですね」
「そうです。その種が、どんな花を咲かせたいと望んでいるのか、感じ取るのは新月の役目です。そのあと、望月が種に月光浴をさせて、微妙な花の色を調えます。また、十六夜の奏でる音楽は、病気に強く、じょうぶに育つ種をつくるのです」
聞いていて、おどろきをかくせませんでした。そんなナミを安心させるように、三日月さんは微笑みを浮かべます。
「魔法のようだと感じるかたもいらっしゃいますが、これらは、私たちが代々つちかってきた技能なのです。月の光も、音楽も、語りかける言葉も、それぞれの種にもっともふさわしい与えかたをしなければなりません」
それでもやはり、とても神秘的なことだと、ナミは思いました。
「先日送られてきたのは、特別な種だったのです。私たちが長い年月をかけて研究し、ようやく完成に近づいてきた『虹の花』の種。じっさいに花を咲かせてみて、新たに種を採取するのが、今回の私の役割でした。持ち帰ってすぐ、大切に植えつけたのに、おとといの嵐で――」
思い出すのもつらそうに、両手をにぎりあわせます。大型の台風は、滝のような雨と強風をともない、木の枝が折れたり、窓ガラスが割れるなどの被害もあったと聞いています。
「――私の温室の天窓がこわれたのです。芽吹いたばかりの種は、落ちてきた窓枠と共に吹きこんだ雨に流され、ただのひとつも救うことができませんでした」
「そんな……」
「けれど、こちらで受け取ったとき、小包の口が開いていたことを思い出したのです。もしかして、この郵便局のどこかに、こぼれ落ちた種が残ってはいないでしょうか?」
「あのビニール袋の中!」
ナミは窓口の席にかけもどりました。足もとのゴミ箱はからっぽです。奥に備えつけられたダストボックスのふたを開け、のぞきこみましたが、5日も前のことなので、とっくに回収されていました。
(でも、たしか、ビニール袋を折りたたんで捨てたとき、中の空気をぬこうとして軽くふるったはず――)
ひざまずいて床の上をさがしまわると、ありました!
壁と床のあいだの角に、わずかなちりが積もっていて、ふたつ、みっつと、うす緑の芽が顔を出しています。
さきほどから心配そうに見守っていた局長が、さっとメモ紙を手わたしてくれました。
ナミは、紙をすべらせるようにして、ちりごと芽をすくいあげました。そのまま、ゆっくりと慎重に運びます。
待ちうける三日月さんの瞳が、きらきらとかがやいていました。
「ありがとう。ほんとうに、ありがとうこざいます」
三日月さんは、ふた付きのガラスケースを取りだして、貴重な芽を移しました。
「虹の花って、どんな花なのですか?」
「透きとおるほど淡い水色の花で、光をうけると、花びらのふちが虹色にきらめくのです。私たちが咲かせたいと願っているのは、それを見る人のこころのなかに、あこがれを呼びさますような花です。ほんものの、虹と同じように」
そういえば、さいごに虹を見たのはいつだったか……、ナミには思い出せません。
「虹の花が咲いたら、いちばんに、ここへ届けにきますね」
ナミのことをふわりと抱きしめ、三日月さんは約束してくれました。