正美にとって最大の悩みの種は、長年続いている肩こりだった。
まるでゴツゴツした石が、両肩に埋めこまれているようだ。ただこっているだけはなく、ちょっとしたはずみで、首から肩にかけてつってしまうと、寝違えたように痛む。自分の頭の重さを支えきれず、出勤できないことさえあるけれど、「肩こりのため会社を休みます」とは言いづらかった。
整形外科から民間療法まで、いろいろな治療や施術を受けてきた。
肩こりに有効だという体操も毎日続けているし、普段の姿勢、食べるもの、枕、入浴の仕方まで気をくばっている。
(なんだか私は、肩こりと闘うために生きてるみたい)
情けない気もちで、ため息をつくしかなかった。
ふと、何か隠れた病気のサインではないか、という疑いがわき、思いきって大きな病院で精密検査も受けてみた。結果は、異常なし。健康体だと聞いてがっかりする始末だ。
それでも正美はあきらめずに、口コミやインターネットの情報を探し続けた。そして、肩こりを専門にして高い治療効果を上げている、とあるクリニックにたどりついたのだ。
すがるような思いで、予約した日を待った。
そのクリニックは、専門医が集まっている通り沿いの、ビルの3階にあった。
初診の受付を済ませて、待合室のソファに腰をおろす。清潔で落ち着いた雰囲気の院内は、居心地がよかった。
正美は多くの治療院にかよった経験から、
(だいじょうぶ、ここは信頼できる)
と、直感した。
診察室に呼ばれて、院長のドクターと顔を合わせたときも、好印象は変わらなかった。ほっそりとした女医さんで、まなざしが力強く、笑顔は親しみやすい。そばに控える看護師さんも有能そうだ。
正美は症状をくわしく話した。だんだん感情がこみあげてきて、
「肩こりは病気ではないかもしれませんが、ほんとうに……つらいんです」
知らず知らず涙ぐんでいた。
問診と診察を済ませたドクターは頼もしくうなずいた。
「よくなりますよ。肩こりの原因物質がだいぶ蓄積されていますが、治療により取り除くことができます。ただし、骨格などを変える治療ではないので、症状が再発する可能性はありますが、おそらくかなり先のことでしょう」
「はい」
その点は、クリニックのウェブサイトにもきちんと説明されていた。
(たとえしばらくの間だってかまわないわ。この状態から、完全に抜け出せることができるのなら……)
思いつめた心の声に応えるように、ドクターは続けた。
「それでも、いちどリセットされて、肩こりから解放されるという体感は、非常に重要です。肩こりを発症する以前の、本来の状態を充分に経験することで、そうですね、あまり科学的な表現じゃありませんけど、あなたの肩が自信を取り戻すのです」
治療は日にちの間隔をおき、様子をみながら10回ほど行うという。看護師さんに案内されて治療室へ移った。
部屋の壁側に、医療機器やモニターが並んでいる。 正美は両肩にいくつか吸盤のようなものをつけられ、寝椅子に横になった。吸盤は透明な管で機械とつながっていて、スイッチが入った瞬間、肩に振動が伝わってきた。軽く引っぱられるような感触だ。
「約30分間で終わります。うたた寝されてしまう方も多いんですよ」
モニターをチェックし終わった看護師さんに声をかけられて、緊張していた正美は、ほっと力をぬいた。
(今度こそよくなるかしら)
肩こりのなくなった自分を想像しながら、天井を見つめた。
2ヶ月後、正美は晴れやかな笑顔で、ドクターと向かいあっていた。
「治療はすべて終了です。順調に回復されましたね。今日は、これをお渡ししましょう」
差し出されたトレイの上には、丸く平たい小石のようなものがのっている。色は半透明の乳白色で、碁石くらいの大きさだった。
「これは?」
「特殊な樹脂を固めたものです。手にとって光に透かしてみてください。色のついた泡のような粒子が見えるでしょう?」
窓のほうへかざすと、ドクターの言葉どおり、色とりどりに光る粒がたくさん見てとれた。
「はい、きらきらと輝いていますね」
「それは、治療で取りのぞいた、肩こりの誘因物質の結晶体です」
「えっ」
ドクターはプリントアウトした紙を向けて、正美に五角形のレーダーグラフを示しながら説明した。
「結晶体の色は、怒り、悲しみ、恐怖など、それぞれ感情と結びついているんです。たとえば、怒りが強い人は赤い結晶体が多くなり、グラフの該当部分が突出します。あなたのグラフは、ほぼ整った五角形になっていますね。いろいろな感情を、まんべんなく溜めこんでいらっしゃったんでしょう。今までほんとうに、がんばってこられたんだと思います」
正美は診察室にいることも忘れて、手のなかの石に目をこらした。
「先生、自分で言うのも何ですが、とても美しい結晶の集まりですね。このままアクセサリーとして、身に着けたいくらい」
冗談めかして笑うと、ドクターは真顔で答えた。
「これまで正美さんが一生懸命生きてきた証し、いわば勲章ですものね。はい、これは賞状ですよ」
差し出されたレーダーグラフの紙を受け取ろうとしたとき、頭のなかに荘厳な音楽が流れはじめた。
(これって、授章式なんかに演奏される曲よね。よくがんばってきた自分は、表彰されて当然ってわけ? 私もずいぶん自信家になったものね)
正美は、すっかり軽くなった両肩をすくめた。