かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

マインドフルネスストレス低減法(3週目)

 

第3週は、ボディスキャンとヨーガ瞑想法を1日おきに行います。

「ヨーガ瞑想法」は「マインドフルヨーガ」とも言い、スタンダードなポーズのハタ・ヨーガです。「横になった姿勢のヨガ」と「立った姿勢のヨガ」の2種類があります。

3週目では「横になった姿勢のヨガ」のほうを行いますが、仰向けに横たわってリラックスする屍のポーズや、猫のポーズと牛のポーズを交互に繰り返す「キャット・アンド・カウ」など、馴染みのあるポーズがほとんどでした。

マインドフルヨーガの特徴は、ポーズよりも取り組む姿勢にあります。

 

ヨーガの要点は、いったん体を緊張させ、その後緊張を解くことで、緊張や弛緩の感覚を味わうことです。体の感覚と同時にそのときの心の感覚も味わうことが大切です。

と、CDブックに説明されている通り、その瞬間その瞬間の体と心の感覚に注意を向け続けることが、瞑想のトレーニングになるのです。

ジョン・カバット・ジン博士によれば、「ストレス・クリニックの患者たちの多くは、静座瞑想法やボディスキャンよりもヨーガを好むようです」とのことですが、たしかに動きのあるヨーガは楽しく、時間が経つのも早く感じました。

 

座って呼吸に注意を集中する静座瞑想は、時間を10分から15分に延ばし、さらに「ふだんの瞑想トレーニング」として、

毎日1回、楽しいことやうれしいことが起きたときにそれを意識する

という課題が加わります。1週間のカレンダーを作って、以下のような項目別に記入するのです。

  1. どのような体験でしたか?
  2. うれしいという感情がわきあがってきた時点で、その感情を意識することができましたか?

  3. そのときに、体はどのような感じを味わいましたか? 体の細部にどのような感覚が生じたかを説明してください。

  4. そのときに、どのような感情や思いがともなっていたかを思いだしてください。

  5. 今、この表に記録している時点では心の中にどのような思いがありますか? 

 

始める前は、うれしいことなんて毎日のように起こるはずがない、と懐疑的でした。

明確に「うれしい!」と思う出来事もありましたが、それ以外は、こじつけでもいいから何とか見つけ出してきた、というのが正直なところです。

それでも記録していくうち、自分がどんなことを「うれしい・楽しい」と感じるのかを発見できて、面白い実験のようになってきました。

 

ところで、うれしいことといえば、【はてなブログ】さんからグリーンスターのプレゼントがありましたね。

今月2日の朝、ログインしたらグリーンスターが100個も増えていてびっくりしました。

Myはてなの「アイテム受け取り履歴」を見ると、

『この度は、はてなブログのキャンペーンにご参加頂きありがとうございました。参加賞をプレゼントさせていただきます!』

 というメッセージがあったのですが、キャンペーンに参加した記憶がなく、心配になって思わず、はてなサポート窓口に問い合わせてしまいました。

 

すると、すぐに丁寧で優しいお返事が届き、「はてなブログタグリリースのキャンペーン」だということがわかりました。ブログタグをつけるだけで、参加賞としてグリーンスターが配布されるという、豪華企画だったのです。

ごめんなさい(>_<)。自分の記事に思いきりタグをつけていたのに気づかず、お騒がせしてしまいました。

 

もうすぐクリスマスですし、いつもすてきな記事を公開してくださるブログフレンドの皆さまに、感謝の気持ちをこめてグリーンスターをつけていこうと思います。

はてなスターをつけるボタンを表示されていない方は、いただいたコメントに☆彡゜

 

グリーンスターをつけて回るのも、「うれしいこと」になりそうです。

 

 

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスストレス低減法

 

 

 

マインドフルネスストレス低減法(2週目)

 

今回の取り組みですが、教材を読み通す前にスタートしたので、早とちりの見落としがありました。

8週間プログラムの第1週と第2週は、ボディスキャンを中心に行い、それとは別に、

① 毎日10分程度、座って呼吸に注意を集中する時間を作る

② 1日に1回「ふだんの瞑想トレーニング」をする

という2つの課題があったのです。

 

(しまった! ボディスキャンだけでいいと思っていた……)

と動揺しながらも、課題①のほうは、毎朝行っているYouTubeのココイマさんの誘導瞑想をカウントすることにしました。

課題②の「ふだんの瞑想トレーニング」とは、日常生活の中で集中力を養うための練習です。歯を磨く、シャワーを浴びる、食事や運転、買い物など、日課となっている行動の一瞬一瞬に意識を向け、注意を集中するというものです。

このトレーニング法については、お寺で開催されたマインドフルネス瞑想の講習会で、講師の先生から教わり、自分でも少しずつ試みていたのでOKとしました。

  

「マインドフルネス瞑想法」に取り組むにあたっての、7つの重要な態度のうち、

⑤ むやみに努力しないこと

⑥ 受け入れること

などを適用した次第です。

ちなみに見落とし判明以降は、ちゃんと課題に沿って進めています。

 

ボディスキャンも2週目に入りました。

左のつま先から始めて、頭のてっぺんまで、少しずつ注意を移動させながら、各部位の感覚を感じ取り、それぞれの場所で数回呼吸します。

たとえば足首なら、鼻から吸った空気が肺、お腹、脚を通って足首まで届くイメージで呼吸します。息を吐くときは逆のルートをたどるのですが、その時、呼吸と共に足首を「解き放つ」あるいは「心から消し去る」よう促されます。

実際にやってみると、呼吸を送って注意を集中させるのは何とかできそうなのに、逆の「解き放つ」が難しい。意識を向けることより、意識から消し去ることのほうが、はるかに困難だとわかりました。

 

眠気や雑念と闘いながら全身を巡ってきたボディスキャンも、最終段階になると気分的に盛り上がります。

 

 頭のてっぺんに鯨の噴水孔のような穴があいていて、そこから呼吸しているというイメージを作ってください。頭のてっぺんから入ってきた空気は、体全体を通って足の先から出てゆき、今度は足の先から入った空気が頭のてっぺんから出てゆく、一方の端からもう一方の端へ、体全体で呼吸しているというつもりになってください。

 

こんなふうに体全体で呼吸できたら、さぞかし楽しいだろうと思いますが、まだまだ道半ばです。足の先から入った空気が、凝り固まった肩と首のところで滞ってしまいます。

頭のてっぺんにあいた穴から空気を吸う、これもまた難しいです。CDの音声ガイドでは、大きさは百円硬貨くらいのイメージということですけれど、自分の体感では、針でつついた程度の噴水孔で、そこから空気を吸うのは、とても息苦しく感じます。

それでもやっきになって呼吸を繰り返していると、眠気も雑念も吹っ飛ぶのですが、リラックスした状態とは言い難く、私はいったい何をやっているのかと可笑しくもなるのでした。

 

ところで、ボディスキャンをしていて、トラウマが想起されてしまう例もあるようです。もし、強い反応が現れたときには、無理をせずに中断し、安全を感じるところまで戻ることが大切です。

書籍『マインドフルネスストレス低減法』のなかでも、ボディスキャン中に幼少期のトラウマを思い出し、専門家のサポートを受けながらトレーニングを続けた結果、心身の健康を取り戻したメアリーという女性の体験が記されています。

 

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスストレス低減法

 

 

マインドフルネスストレス低減法(1週目)

 

 「マインドフルネスストレス低減法」というものを始めました。

本とCDを使って8週間、毎日40分~50分くらい行うトレーニング・プログラムです。
衝動的に決めてしまったので、8週間のうちにやってくるお正月はどうしたものかと、今から思案しています。

 

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスストレス低減法

 

 

 

CDのナレーションを甲斐田裕子さんという一流の声優さんが担当していて、その語りが本当にすばらしいです。購入するにあたり、ナレーターが甲斐田さんだということが決め手になったのですが、大正解でした。

 

マインドフルネスストレス低減法は、マサチューセッツ大学メディカル・センターのストレス・クリニックで行われている「ストレス対処およびリラクセーション・プログラム」の臨床体験にもとづいたトレーニング・プログラムです。頭痛、高血圧、背中の痛み、心臓疾患、癌、エイズなど、さまざまな問題や症状をかかえたストレス・クリニックの患者を対象として、ジョン・カバット・ジン博士により開発されました。

不安やストレス、慢性疼痛に効果があることが認められています。

 

書籍『マインドフルネスストレス低減法』2章の冒頭「瞑想を始めるにあたって」には、プログラムを進めていくときの心構えが書かれていますが、折にふれ読み返したいポイントです。

「マインドフルネス瞑想法」にとり組むにあたっては、次の七つの態度が重要です。

 この七つの態度は、それぞれ別個のものではありません。それぞれが互いに関係しあい、影響しあって向上していくものです。一つができれば、すぐにほかのものもできるようになります。

① 自分で評価をくださないこと

➁ 忍耐づよいこと

③ 初心を忘れないこと

➃ 自分を信じること

⑤ むやみに努力しないこと

⑥ 受け入れること

⑦ とらわれないこと

以上の七つの態度です。

 

また、トレーニングの効果が現れやすい人、そうでない人の態度の違いについても説明されており、とても興味深く参考になりました。

例えば、

「どうせ、うまくいくはずはないけれど、とりあえず続けてみるか」

という人は、いざ、痛みや不安を感じると、「ほら、やっぱり痛みは治らないんだ」とか「注意集中力をつけるなんて、思ったとおり、私には無理なんだわ」などと考え、さらに疑いが強まって、効果はますます期待できなくなってしまいます。

逆に、

「これこそ自分の進むべき道だ、瞑想こそ事態を好転させる”答え”だ」

という「真剣な信奉者」も、すぐに失望感を味わうことになるようです。どんなに瞑想を行っても、今までの自分と何の変わりもなく、ロマンチックな思いこみだけでは効果がないということに気がついて、ひたすら努力し続けるのがむなしくなり、情熱を失っていくのです。

 

ストレス・クリニックを訪れる患者のなかで、一番効果が現れるのは、疑いながらも、何でも受け入れてみようとする人だといいます。

「うまくいくかどうかはわからないし、本当かなとは思うけれど、とりあえず全力投球してみて、どうなるか見てみよう」

ぐらいに考える態度です。

 

 

 プログラムの1週目・2週目は、ボディスキャンを習います。

「音声ガイドによる瞑想を行っているあいだは、最後まで目覚めた状態にあることが大切です」

と、CDの初めにアドバイスがあるのですが、今までYouTubeの音声誘導などで行ったボディスキャンで、私はほとんど寝落ちしてきました。

なので今週は、とにかく眠らないことを第一課題にして練習を続けています。部屋の照明は落とさず、目はなるべく見開いているのですが、ところどころ眠りかけたらしく、CDが終了してから振り返ると記憶が飛んでいました。

まぁ、起きていてもけっこう飛ぶのですが……(笑)。

第1週のテーマは「眠気との闘い」ということになりそうです。

 

 

お寺でマインドフルネス瞑想

 

ゲシュタルト療法の基本は「今、ここ」で自分に何が起きているか気づくことですが、知識としてはわかっていても、あまり身についていません。コースを受講したりワークショップに参加したりではなく、日常生活のなかで「今、ここ」にいられる方法を探していました。

というのも、私が感じているストレスのほとんどは、「今、ここ」に存在しないことだからです。過去の失敗にとらわれる、人の気持ちが離れていくのを恐れる、無価値感や不安感など、勝手にアタマのなかで作り出している悩みが多いのです。

この「勝手に」というところが厄介で、つまり、わかっていてもやめられない、コントール外の現象と言えます。

 

「マインドフルネス瞑想」という言葉は、前から知っていましたが、自分は瞑想向きではないと思い、なんとなく敬遠してきました。

けれど、この8月に『過敏で傷つきやすい人たち~HSPの真実と克服への道~』(岡田尊司幻冬舎新書)の読書感想をブログに書き、マインドフルネス認知療法の入門的なプログラムである「三分間呼吸空間法」を始めてから気持ちが変わりました。

 

そして、運命的な出会いが……(笑)。

 


15分 朝の瞑想|誘導瞑想

 

YouTubeで、ココイマさんという女性のマインドフルネス瞑想の誘導動画を見つけ、その優しい声と、明晰でわかりやすい内容に惹かれました。

それ以来、毎日ココイマさんと「瞑想の練習」をしています。

 

座って、あるいは仰向けに寝て、自分の自然な呼吸に意識を向け続けるというのが基本です。心がさまよったり、別のことを考えていることに気づいたら、気づいた時点で呼吸に意識を戻します。その際、ありのままの自分を、判断せずに優しく受け入れることを心掛けます。

他にも、身体のそれぞれの部位に意識を向けていくボディスキャン瞑想や、わいてくる思考と感情をどんなものでも「良い・悪い」と判断せず、ただ言葉にして確認し、消えていくのを見届ける瞑想など、いろいろなテーマで練習することができます。

瞑想中に異常なほど眠くなったり、感情が大きく揺れることもあります。続けているうちに、マインドフルネス瞑想についてもっと知りたくなりました。

ネット検索してもなかなか見つからなかったのですが、気長に散発的に探していたところ、突然、理想的な講習会を発見することができました。

 

会場は職場から一駅のところにあるお寺です。定期的に無料の坐禅会を開催しているお寺で、講師の女性も、その坐禅会に長年通っていらっしゃるとのこと。

予約は不要ですが、開催の確認をホームページの問い合わせフォームから行います。

当日、方向音痴の私はプリントアウトした地図と首っ引きでたどり着き、夜の山門をくぐりました。

 

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誰もいらっしゃらない……。

おそるおそる玄関を入ると、鏡にように磨き上げられた上がり框に、

「そのまま本堂にお進みください」という案内プレートが置かれています。

 

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本堂では、参加人数分の座布団と坐蒲(ざふ:坐禅用の円形クッション)のセットが準備されており、講師の先生が素敵な笑顔で迎えてくださいました。

先生の気さくな人柄と、開放感のある本堂。場の雰囲気はとても受容的で、緊張していた肩の力が抜けていきます。

 

やがて、参加者全員がそろって開始時刻になると、軽いストレッチの後、まず10分間の瞑想を行いました。先生の誘導で、自分の身体の感覚や自然な呼吸に意識を向けるという瞑想です。

自宅でしていた瞑想と、内容的に大きな相違はないのですが、体感の深さは段違いでした。場の力、そして、人とつながっている安心感を強く感じます。

その後、各人の簡単な自己紹介と、瞑想の感想をシェアする時間が設けられました。

参加者は7名で、小学生の男の子を連れたお母さん、坐禅やヨガをやっている人、転職中の人、マインドフルネスを仕事に役立てたいという人など、さまざまでした。共通点は「クラス初参加」です。

賢い小学生の感想「10分より短く感じました」に、おとなたちは感心しきりでした。

 

先生の解説や体験談を伺い、さらに十数分の瞑想。

「マインドフルネス瞑想は筋トレ」という先生の言葉が印象的でした。

今までずっと使ってこなかった部分の筋力をトレーニングしていくイメージです。即効性のものではなく、毎日10分間の瞑想を2~3ヶ月続けると変化を実感できるようになる、というお話に深くうなずきました。

 

最後は「歩く瞑想」でした。

片足をあげ、前に進んで足を下す、もう片方の足をあげる、という動作を一歩ずつ意識しながら、ゆっくりと小さな歩幅で歩きます。かなり時間をかけて、本堂を一周しました。

座って瞑想するだけではなく、たとえば、歩く、一杯のコーヒーを飲む、歯を磨くなどの日常的な動作でも、意識を向け続けて行うことで「筋トレ」になるそうです。

 

1時間のクラスが終了し、おそらく二度と会うことのない人たちと挨拶を交わして、お寺を出ます。

心地よく満ち足りた疲労感にひたりながら歩いていると、見覚えのない通りに出てしまいました。立ち止まり、深呼吸して地図を取り出し、来た道を戻ってから、もう一度駅に向かい直しました。

 

崇徳院の和歌

 

ラジオで古典落語の『崇徳院(すとくいん)』を聴く機会がありました。昭和の名人、三代目桂三木助の録音です。その後、YouTube志ん朝の『崇徳院』も聴きました。

 

出入りしている商家の旦那に呼ばれてやってきた熊五郎は、若旦那が寝込んでいることを知らされます。医者の見立てでは気の病らしく、このまま放っておけば、もって5日の命らしい。

誰が聞いても心の内を明かさない若旦那ですが、熊五郎になら話してもよいというので、急遽呼び出されたわけです。

さっそく若旦那の部屋へ行って聞いてみると、病の正体は恋わずらいでした。

 

二十日ほど前、上野の清水観音堂へお参りした若旦那は、茶店で綺麗なお嬢さんを見初めました。お供の女中を連れたお嬢さんが、茶袱紗を落としたのにも気づかず、店から出て行こうとしたので、追いかけて手渡します。

そこで、お嬢さんから短冊をもらうのですが、書いてあったのは、

 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の

という、和歌の上の句でした。

小倉百人一首、第77首目の崇徳院の歌です。

下の句は、

 われてもすゑに 逢はむとぞ思ふ

 

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川の浅瀬の流れが速いので、岩に堰き止められた急流は離れ離れに分かれてしまうけれど、それでもさいごには再び、一緒になろうと思う。

 「逢はむとぞ思ふ」の「ぞ」+連体形は、中学校の古文で教わる、強意・強調の「係り結び」です。滝川の流れという自然現象に託して心情を描きつつ、末句で湧き上がってくる純粋な意志が胸を打ちます。

 

お相手のお嬢さんもまた恋心を抱き、再会を願っていることが短冊から読み取れるのですが、若旦那は呆然としていて、その場で名前すら尋ねることができませんでした。

崇徳院の和歌だけを手掛かりに、町じゅうを捜しまわる熊五郎の奮闘ぶりが、笑いを呼ぶ噺です。

 

ところで、この「崇徳院さま」ですが、菅原道真平将門と共に「日本三大怨霊」と言われている人物の一人でもあります。

 

 

崇徳院(1119~1164)は、鳥羽天皇の第一皇子として誕生し、1123年に幼くして天皇に即位、1141年には上皇である鳥羽院から譲位を迫られて皇位を去ります。

そして平安時代末期の1156年、保元の乱で同母弟の後白河天皇に敗れて讃岐へ配流され、その地で崩御しました。

 

保元物語』(1220~30年代頃に成立)によれば、讃岐に流された崇徳院の望郷の念は強く、3年かかって五部大乗経を書写し、京の寺に納めてほしいと朝廷に差し出します。ところが後白河院は「呪詛が込められているのではないか」と疑い、写本を送り返しました。
憤怒した崇徳院は舌先をかみ切り、自らの血で写本に「日本国ノ大悪魔」となることをしたため、それから後は髪の毛も整えず、爪も切らずに、生きながら天狗の姿になって祟りを引き起こしたと記されています。

 

しかし、著者の山田雄司さんは、『保元物語』に記されている崇徳院自筆の五部大乗経は、おそらくもともと存在しなかったのではないかと考えています。

五部大乗経の写本の存在を語る唯一の史料は『吉記』寿永二年(1183年)七月十六日条で、崇徳院崩御してから19年後のことです。それまで実際にこの写本を見たという人物はなく、記録も見つかっていません。

『今鏡』(1170年頃成立)「すべらぎの中第二 八重の潮路」によれば、崇徳院は剃髪して、女房の兵衛佐局とその他の女房一人二人だけで配所での寂しい日々を過ごし、憂き世の悲しさのあまりか病気も年々重くなり亡くなったというのみで、五部大乗経や怨霊の話は全く登場しません。

 

 さらに、崇徳院が讃岐配流中に詠んだ歌からも、こうした崇徳院の姿が実像ではないかと想像される。先に紹介した『風雅和歌集』巻第九「旅歌」には、寂然(藤原頼業)が崇徳院と交わした歌も載せられている。〈中略〉

 

  松山へおはしまして後、都なる人のもとにつかはさせ給うける 崇徳院御歌

 思ひやれ 都はるかにおきつ波 立ちてへだてたる こゝろぼそさを(九二七)

 

 ここでは、京都から遥かに隔たった讃岐に住まざるを得なくなった状況に対して、崇徳院はたいそう心細いということを詠っている。しかし、そこからさらに発展して怨念と化すという姿勢は窺われない。

 

菅原道真は、学問の神様「天神様」として信仰されています。

平将門を祀る江戸総鎮守・神田明神は、近年ではアニメの聖地となり、たくさんのファンが巡礼しているそうです。

そして、崇徳院主祭神とする白峯神宮は、「まり(毬)の神様」としても崇敬されており、日本サッカー協会をはじめ各種スポーツにおいて使用された公式球が奉納され、競技の上達を願う参拝者が多く訪れています。

さらにまた『崇徳院』という落語が、江戸時代から現代にいたるまで笑いをもたらし続けている──。 

 日本三大怨霊、「すごいなぁ」と思いました。

 

 

よしなし言(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-13~

 

 外出から戻ると、ハヤさんが私の顔を見て、

「お帰りなさい。何かありましたか?」

 と、聞いた。

「あら、そんなに剣呑な顔つきかしら?」

「というより、すごく無表情だったので……」

  私は思わず苦笑する。

「打ち合わせの相手が、慇懃無礼を絵に描いたような物言いをする人でねえ。社会人スマイルを張り付けて応対していたから、表情筋がすっかり固まってしまったわ」

 

 ハヤさんは少し考えてから、

「それなら、ホットチョコレートかな」

 と言って、作り始めた。

 処方は大当たりで、私の顔は即座に緩んだのだった。

 

「人が口にする言葉というものは、毒にも薬にもなりますよね。そういえば、僕が寸一だった頃の話ですが━━」

 ハヤさんは、江戸から明治にかけて「寸一」という行者だった前世の記憶をたどり始めた。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 この度、寺の世話役に選ばれた理之助が、妻女のちかを伴って寸一の居室を訪れた。

 寄宿している行者にまで、丁寧な挨拶をするところに人柄が偲ばれる。 ちかもまた、理之助に輪をかけてよく出来た人物だった。

 しばらく和やかに談笑していたが、ふと、理之助が眉をくもらせて問い掛ける。

「寸一さん、常盤木がいっせいに葉を落とすというのは、どうしたことでしょうか。植木屋に見せても首をひねるばかり。何か異変の前触れではないかと案じております」

「その木とは?」

「庭のマサキでございます。実は、半年ほど前にも、別のマサキが落葉しまして。その折は、さほど気に留めていなかったのですが……」

 庭の木が枯れると家運が傾く、という言い伝えもある。

 寸一は見分を申し出た。

 

 理之助は檀家の寄り合いがあるというので、ちかが寸一を案内した。

 落葉し裸木となったマサキは哀れな姿であったが、悪い気を感じることはなく、すでに新芽も出始めている。

 ゆっくりと木を調べている最中、驚いたことに、ちかが深々と頭を下げたのだった。

「お許しくださいませ。この木の葉を落としたのは、私の仕業でございます」

 

 常日頃、賢く気を遣いながらも、奥ゆかしさを忘れないちかであるが、いつとはなしに胸に溜めこんだ愚痴を、庭の木に向かってこぼしていたのだ。半年ほど前、そのマサキの葉が落ちた。偶々の出来事と考え、別の木に変えて続けていたところ、またもや落葉したのだという。

 罪人のようにうなだれるちかに、

「物言わぬは腹ふくるるわざなり。これからは私が、このマサキの代わりを務めよう」

 と、寸一は言った。

 

 世話役の妻女というものは、寺に出向く用事が多い。

 帰りがけ、ちかは寸一と話をしていくようになった。

 本堂の隅や縁側で、一杯の茶を喫するほどの短い間に、小言、文句、恨み言の数々を息もつかずに語り尽くす。けっして大きな声ではなかったが、その勢いは雨あられのようであった。

 寸一は、常に変わらず緑の葉を揺らす常盤木の心持ちで、静かに耳を傾け続けた。

 

 三月ほど経った頃、ちかが不思議そうに言う。

「寸一さんは、相槌を打つわけでもなく、こちらに目を向けるわけでもないのに、言い分が聞き届けられているとわかります。有難いことです」

 

 さらに三月ほどすると、

「こんなに愚痴を聞かせて、マサキが葉を落としたように、寸一さんの髪が抜け落ちて丸坊主になってしまわれたら、いかが致しましょう」

 などと、剃髪頭の寸一に向かい、冗談を口にするようになった。

 

 ある朝のこと。

 境内の庭掃除をしている寸一のところへ、駆け寄るようにやって来たちかは、

「昨夜初めて、理之助を相手に口喧嘩をいたしました」

 と、清々しい顔で告げた。

 この日をもって、寸一のマサキ代わりは、お役御免となったのだ。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 「おちかさんが、ほんとうに話を聞いてもらいたかった相手は、理之助さんだったのね」

 私の言葉に、ハヤさんはうなずいた。

「そうですね。本音というのは、闇雲にぶつければいいものではなく、伝え方が重要です。寸一は、その練習台になったわけですよ」

「延々と愚痴を聞かされるのは、寸一にとっても、かなりの難行だったんじゃない?」

「常緑樹のマサキが、いっせいに葉を落とすくらいのストレスですからね。けれど、滝に打たれるばかりが修行じゃありません」

 

 喧嘩ひとつしないということは、もしかしたら、どちらかが気まずさを避けるため、我慢しているのかもしれない。

 私はちょっと心配になった。

 ハヤさんと私は、喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったからだ。

 思わず、窓際に置いてある観葉植物に目を向けると、ハヤさんもまた、振り返って同じ鉢植えを確かめていた。

 

 

人感センサーライトの不審な点灯

 

ちょっと怖いことがありました。

今、私が住んでいる賃貸マンションの部屋は、玄関の照明が人感センサーライトになっています。出入りするとき自動で点灯し、しばらくすると自動で消灯するので便利です。

けれど、私は怖がりなので、もし誰も近寄っていないのに灯りが点いたら……?
などと、たまに想像して怖がっていました。

 

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人感センサーライトのスイッチ

 

つい先日の朝、目を覚ますと、部屋のドアのすりガラス部分がぼんやりと明るく、

「え?」っと思った直後に、その明りが消えました。

ドアの向こうは、廊下と玄関です。

人感センサーで点いた灯りが、ちょうど消えた瞬間を目撃したのです。もちろん侵入者はいませんでしたが、怖いですよね。

ですが「朝」で「消えた瞬間」だったから、まだよかった。

もしこれが「夜中」で「点いた瞬間」だったら、何十倍も怖かったと思います。

 

気になりながらも、とりあえず出勤し、

「玄関 人感センサーライト 誰もいないのに点灯」

というようなワードでネット検索すると、たくさんの事例が出てきました。

自分だけに起こっていることじゃなくて「人感センサーあるある」なのだと知り、ひとまずホッとします。

また、センサーライトを扱っているメーカーのウェブサイトでも、

  • 感知エリアに人がいないのに点灯する
  • 人感センサーが勝手に動作します。どうしてですか?

といったQ&Aが、顧客サポートページに掲載されていました。

人感センサーライトは赤外線センサーにより「動く熱源」や「温度変化」を検知して反応するので、感知エリア内に人以外の熱源や揺れ動くものがあれば点灯するのだそうです。

 

この部屋に住んで、3年半以上になります。

賃貸物件サイトで情報収集して「ここ!」と思い、内見もせずに契約しました。(需要に対し供給の少ない物件だったので、内見を待っていたら間に合わなかったのです)

私はとても慎重な性格なのですが、なぜか時々根拠のない確信から、暴走的に動き出すことがあります。思えばゲシュタルト療法のワークショップに初参加したときも、そんな調子でした。

結果はいつも「当たり!」とは限らず、残念なカン違いだった、という場合も少なからずですが、そういうときは笑うしかありません。

 

さて、見切り発車で契約した部屋は、実際に暮らしてみると、間取り図から予測していた以上にコンパクトな居住空間で、テーブルや調理器具を買い替えることになりました。

また、同じ階の小火で逃げ遅れたり、排水口に物を落としたり、大小の事件もありました。よくあるメンテナンスなどの問題も、断続的に発生します。

それらをひとつずつ解決していくたび、「自分ち」感が深まりました。落ち着いた生活基盤を得て、掌編ブログをスタートすることができ、幸運な出会いや交流に恵まれたおかげで、何とか続けていられます。

ストレスや悩みは尽きませんけれども、もしかしたらこれまで生きてきて、今がいちばん幸せかもしれない、と定期的に思っております。

 

とはいうものの、怖いことは怖いので、あれ以来、夜は人感センサーライトのスイッチをOFFにして寝るようになりました。