かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

仕事納め

 

今日が、令和初の仕事納めでした。

先週の金曜日から休みに入っている従業員が多く、閑散としたオフィスで、今年のこと、来年のことなど考えながら、一日を過ごしました(仕事もしました)。

 

 記念写真

皆が休んでいるなか出勤とは殊勝である、ということで、会社の偉い人がお昼をご馳走してくれるのが、ここ数年のイベントになっています。

 

今年は記念に写真を撮ってみました。大きい海老なので、イベント感あります。

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 家計簿ソフト

来年は家計簿をつけようと思い、フリーソフトを探したところ、まさに打って付けのものを見つけました。

その名も、個人主義的小遣い帳:収入や支出を費目、内訳、金額、備考の4項目で整理し、収入・支出・残高を管理できる家計簿的、お小遣い帳ソフトです。

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個人主義的小遣い帳 - メイン画面

 

「いまサイフの中にはいくらあるか」「どこで何にいくら使ったか」を押さえておくことを目的として作成されたソフトなので、機能や項目が多すぎず、コンパクトなメイン画面で直感的に操作できるため、気楽に続けられそうです。

 

 

 ゲシュタルトの祈り

今年は一度も、ゲシュタルト療法のワークショップに参加できませんでした。

予定を入れ、申し込みまで済ませたのに、親戚の不幸や突発的な病気でキャンセルということが続きました。

そればかりか、振り返ればブログにも、ゲシュタルト関連の記事を書いていません。

 

英語に詳しくありませんが、「unlearn」という言葉が浮かびました。

「脱学習」とか「学びほぐし」などと訳されています。

学んだことを改めて問い直し、時にはいったん放棄し、自分のやり方で心に収め直す、という意味があるそうです。

思えば3年ほど、ゲシュタルトにどっぷり浸かって過ごしましたから、そろそろ「unlearn」の時期に入ったのかもしれません。

私はゲシュタルトを、セラピーというより生き方だと思っているので、ワークショップに参加することだけがすべてではない、ともいえます。

 

原点に立ち返って──、

  ゲシュタルトの祈り

私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。

私はあなたの期待にそうために、この世に生きているのではない。

あなたも私の期待にそうために、この世に生きているのではない。

あなたはあなた、私は私である。

もし、たまたま私たちが出会うことがあれば、それはすばらしい。

もし出会うことがなくても、それは仕方ないことだ。

 

 フリッツ・パールズ

(百武 正嗣 著「気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法」より)

 

ゲシュタルト療法とは、精神分析フレデリック(通称フリッツ)・パールズと、妻でゲシュタルト心理学者のローラ・パールズ、そして編集者のポール・グッドマンの3人によって創られた実践的な心理療法です。

ゲシュタルトの祈り」は、ゲシュタルト療法の哲学を表現した詩だといわれています。

 

この詩の最後の1行は、さまざまに受け取られていて、「冷たい」と感じる人もいれば、これこそゲシュタルトらしいと思う人もいるようです。

「もし出会うことがなくても、それもまたすばらしい」

と訳されることもあります。

私自身は、「出会わないことに、出会っている」という解釈が好きです。

 

ゲシュタルトの祈り」ですが、パールズは晩年、身近な女性たちから「無関心さを助長している」などと批判を受け、以下の2行を付け加えた、という話も残っています。

私とあなたが、私たちの基本

一緒にいてはじめて世界を変えられる

 

また、パールズの没後、弟子のタブスが発表した「パールズを超えて」という詩では、

私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。

もしそれだけならば、お互いの絆も、私たち自身も失うことになる。 

〈中略〉

心のふれあいは、成り行きまかせではない、自分から求めていったところにある。

すべての始まりは私に委ねられていて、そして、一人では完結しない。

本当のことはすべて、私とあなたとのふれあいの中にあるものだから。

 もしかしたら、タブスさんも「unlearn」されたのかもしれません。

 

ところで今年は、「ゲシュタルトの祈り」の最後の1行ではなく、ひとつ前の行、

もし、たまたま私たちが出会うことがあれば、それはすばらしい。

を実感した年でした。

はてなブログを通じての出会いに感謝、です。

 

どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

御池ガモの里親(創作掌編)

 

 御池(みいけ)ガモは、ペット用に品種改良されたカモの一種で、ペットブームが過ぎた後、御池山公園の池に放置され半野生化した水鳥である。

 公園の自然は造成されたものだ。

 それでも、芝を植えた築山や、緑に囲まれた大きな池は、町なかのオアシス的存在だった。人工池に浮かぶ御池ガモも、地域住民から親しまれている。

 

 園子は、御池山公園と同い年だ。家のそばに立派な公園が出来て喜んだ父親が、生まれてきた娘の名前に「園」という字を入れたというから、ご縁は深い。

 成人して長年のあいだ家を離れていた園子だが、介護のため両親のもとへ戻り、今ではひとり気ままに生家で暮らしている。

 

 3年前の春のこと━━。

 御池山公園を散歩していたら、突然、すぐそばで1羽の御池ガモが飛び立っていった。

 まさに「足元から鳥が立つ」のことわざ通りで、園子は驚いて棒立ちになった。

(ああ、びっくりした。池から離れたこんな場所で、何してたのかしら?)

 と、カモが飛び出してきた場所をのぞき込む。

 そこで、枯れ草を集めたような巣のなかに、数個の卵を見つけたのだった。

 どうやら、卵を抱いていた母ガモを脅かしてしまったようだ。あわててその場を離れたものの、なんだか気になってしかたない。

 近所をひとまわりして充分に時間を置いてから、そっと様子を見に行くと、まだ母ガモは戻っていなかった。

 

 鳥は危険を感じると巣を放棄してしまう、と聞いたことがある。 

(もしかして、私のせいで……)

 自責の念にかられた園子は、公園内に掲示されている指定管理者の連絡先に電話してみた。すると、応対した担当者は慣れた口調で、

「野生鳥獣保護ボランティアに依頼して、状況を確認してもらいます。巣の位置をくわしく教えてください」

 と言った。

 聞けば、そのボランティアは近所に住む年配のご夫婦で、在宅していればすぐにでも駆けつけてくれるらしい。巣のなかの卵が他の生き物に狙われないか心配だったので、その場で到着を待つことにした。

 

 それが、田中さんご夫婦との出会いだった。 

 今では園子もすっかり、御池ガモ里親チームの一員である。

 

 町なかの公園という環境のためか、御池ガモが抱卵を中止してしまうケースは多く、このままでは数が減少する一方だと憂えて、田中夫妻は行動を起こした。

 最初は2人だけだった保護ボランティア活動も、年月を経て、田中家を中心にゆるやかな輪が広がり、チームが作られていった。

  母ガモが戻らなくなった巣から卵を保護し、孵卵器でヒナを孵して育てる。春から初夏にかけ、およそ2ヶ月のあいだ世話をして、充分に大きくなったところで御池山公園の池に返すのだ。

 さらには、御池ガモが安心して子育てのできる公園を目指し、整備の提案や請願も地道に続けていた。

 

 園子も野生鳥獣保護ボランティアに登録し、田中さんから教えを受けながら雛を育てた。

 世話にはかなりの時間と労力が必要で、また、生存率もけっして高いとはいえない。心身ともに消耗するので、離れていくメンバーも少なからずいる。

 けれど、新しい希望者がとぎれることはなかった。

 園子と同じように、公園で母ガモを驚かせてしまったのがきっかけで、チーム入りする新人が次々と現れるからだ。

 

 今年、園子は小型の孵卵器を買った。

 温度と湿度を自動でコントロールしてくれるうえ、転卵機能も付いている優れものである。「転卵」とは、卵の中の胚が殻に癒着するのを防ぐために、一定の間隔で卵を回転させることだ。

 頼りになる機器を備え、初めて自宅で卵を温めながら、園子は孵化の時が来るのを心待ちにして過ごした。

 

 ある夜、眠る前に観察すると、卵のひとつに、ひびが入っていた。

 とうとう、雛が内側からくちばしてつついて殻に穴をあける、嘴打ち(はしうち)が始まったのだ。

 嘴打ちの開始から孵化までは、半日ほどかかることが多い。

 園子が、里親チームの連絡網にニュースを流すと、さっそく翌日には、田中さんご夫婦が新しいメンバーを連れてやってきた。

 

 一晩のうちに、ひびの入った卵は3つに増えていた。

 ひびはかなり広がっていて、殻をつつく「コツ、コツ」という音の合い間に、小さな鳴き声も聞こえてくる。

「何度立ち会っても、孵化の瞬間は感激するのよね」 

 田中さんのお母さんが目を細め、お父さんも笑顔でうなずく。

 新メンバーの井上君は、現在休学中の学生だと聞いたが、生き生きとした表情で卵に見入っていた。

 

「私、ときどき見る夢があるんですけど━━」

 園子の言葉に、3人が顔をあげる。

「暗い道を歩いていると、後ろのほうから光が差してくるんです。振り返ってみると、御池ガモの雛が一列になって付いてきていて、『あっ!』と思った瞬間に目が覚めます。不思議と元気が出る夢なんですよね」

 すると、田中さんご夫婦も、

「雛を連れて歩く夢は、私たちも見るよ。孫の夢より多いくらいだ」

「そうよね、娘たちが知ったら気を悪くしそうだから内緒だけど」

 と、顔を見合わせて笑った。

 

「僕もいつか、そんな夢を見られるでしょうか?」

 井上君が真顔で質問する。

「生まれて間もない雛の世話は、朝から晩まで、ほとんどかかりっきりだからねえ。毎日そうしていると、いやでも夢に出てくるさ」

「井上君も、雛のお母さんになってみればわかるわ。子育てでいっぱいいっぱいになって、他のことは考えられない。眠っているあいだも、気にかけている感じよ」

「でも大丈夫、いつでも相談にのるし、ちゃんとサポートしますから」

 いっせいに話しかけられ、何度もうなずいた井上君は、再び卵に視線を戻す。

 

 新しい世界へ通じる扉を叩くように、嘴打ちの音が大きくなった。

 

     ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ぼくは殻のなかで、外から聞こえてくるヒトの声に応えて鳴いた。

 今は、ぼくたちにとって、生きるのが困難な時代だ。だからお母さんは、ヒトという大きな生き物に、ぼくたちを託したのだ。

 

 殻をこわして出て行くまえに、お母さんが教えてくれたことを思い起こす。

 

 外に出たら、最初に見た動くものを母親だと信じ込む。そして、鳥のこころを忘れずに、しっかりと生きのびる。

 いつか必ず、もっといい時代が巡ってくる……。

 

 

川上和人著『鳥類学者だからって…』

 

掌編を書くために知りたいことがあり、鳥類学者の本を読みました。

川上 和人 著『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮社)

 

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

  • 作者:川上 和人
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

【内容紹介】

必要なのは一に体力、二に体力、三、四がなくて、五に体力?!

噴火する火山の溶岩、耳に飛び込む巨大蛾、襲い来るウツボと闘いながら、吸血カラスを発見したのになぜか意気消沈し、空飛ぶカタツムリに想いをはせ、増え続けるネズミ退治に悪戦苦闘する――。

アウトドア系「鳥類学者」の知られざる毎日は今日も命がけ! 爆笑必至。

 

「爆笑必至」の惹句通り、いたるところに笑いが盛りこまれた本です。

私が思わず笑ったのは、以下の箇所でした。 

 聖なる嫌われ者の活躍

 皆さんは、糞と尿のどちらがお好きだろうか。どちらも捨てがたいが、私の場合は糞である。きっと皆さんにも好みがあることだろう。いやはや、考えているだけでワクワクする。

 いや、誤解しないでほしい。変質者ではないから逃げないでくれ。せめて話を聞いてくれ。純粋に研究の話題である。

(第三章 鳥類学者は、偏愛する)

 

「糞の内容物を分析すれば、その鳥の食物が間違いなくわかる」

と、著者の川上さんは説いています。

単に肉眼的に知るだけではなく、DNAを抽出することで、粉砕された食物の正体も明らかになるのです。

鳥のフンには白っぽい部分と黒っぽい部分がありますが、この白色部が尿で、黒色部が糞だということも初めて知りました。

鳥は、糞も尿も「総排泄腔」と呼ばれる単一の穴から排出されるので、黒い糞部と白い尿部がまとめて排泄されることが多く、両者が一緒に落ちてくることになります。

ちなみに、卵もこの「総排泄腔」から生まれます。時に殻が若干汚れているのは、そのためです。

 

 なお、鳥の尿が白いのは尿酸という成分でできているからだ。鳥は体を軽くするため体内に余分な水分を蓄えていない。なので、水分の含有量が少ない尿酸という形で排出するのが得策である。また、卵の中で発生途中の雛は尿を卵外に放出できないが、尿酸は水に溶けにくいため、卵内の環境を汚さずにすむのだ。

思えばかれこれ40年前、ハトのフンの直撃を受けたことがありました。

直撃といっても、命中したのは肩にさげていたバッグでしたが、それと気づかずに触れてしまったときの感触と、フンだとわかったときのショックは忘れられません。

でも、あの白色部分は尿酸だったのかと思うと、気持ちがやや明るくなります。

 

 わざわざ飛ぶ理由がみつかりません

 老婦人に舌を切除されるスズメでさえ、ときには500km以上を移動する。〈中略〉海鳥のキョクアジサシに至っては、毎年北極圏で繁殖して南極圏で越冬するという無茶をやってのける。

 鳥はあまりに易々と飛行するため、その有能さが実感されない。

 約1億5千万年かけ、飛翔に適した形態と行動を進化させてきたのだ。飛翔効率の悪い個体は食物にありつけず、捕食者に狙われ、異性から見放されたことだろう。より優れた形質を持つ個体のみが生き残り、飛翔行動を洗練させてきたのだ。

(第一章 鳥類学者には、絶海の孤島がよく似合う)

著者の主な調査地は東京都の小笠原諸島、本州まで約1000kmの海が隔てる絶海の孤島です。

小笠原には、コウモリを除く哺乳類は自然分布していません。海の中から生まれた海洋島なので、海を越えられない動物は到達することができないのです。

 

メグロ小笠原諸島母島列島だけに生息している鳥です。

母島列島は、母島を中心に姉島、妹島、姪島、向島、平島などが周りに配置されており、島の距離は互いに5~6km程度なのですが、メグロがいるのは母島と向島と妹島の3島のみ。どの島にも鳥が住める環境であるのに、いる島といない島があるのです。

 

この分布の謎を調べるためDNA分析した結果、メグロは島ごとに独自の遺伝的なパターンを持つことがわかりました。

もし、島間を個体が移動していれば、島ごとの独自性はないはずです。つまり、メグロはわずか数kmの海も越えない、ということになります。

 

そんなメグロに最も近縁な鳥は、サイパンにあるオウゴンメジロです。

 祖先は約1300kmの海を越えて南から飛来したのだ。にもかかわらず、今はすっかり引きこもりである。〈中略〉

 周囲に陸のない孤島では、中途半端な移動の行く末は水没である。熱帯や亜熱帯のぬくぬくとした気候では、他所に移動せずとも、地の利のある故郷の生活に不満はない。海の向こうの見知らぬ土地に、生活に適した環境が必ずあるとは限らず、移動は命がけのギャンブルとなる。そもそも飛翔は、重力に抵抗する高コストな行動である。積極的に飛ぶ必要がなければ、飛ばない性質が進化するのだ。

 鳥は、自由に空を飛ぶことができる。しかし、その能力の行使は、あくまでも彼らの選択に委ねられている。島に行くと、鳥にとっての飛翔の意義を、改めて考えさせられる。〈中略〉そこには進化の歴史が透けて見える。

 

最終章で明らかになるのは、印象的なタイトル『 鳥類学者だからといって、鳥が好きだと思うなよ。』に込められた意味です。

 

著者は、子供のころから鳥が大好きで鳥類学者になるのが夢だった、というわけでは全然なく、受け身の状態で流されるまま天職に到達したのです。

風の谷のナウシカ』に憧れて野生生物を探求する大学サークルに入り、大学3年生になって、

「そろそろ何かの研究をしなくては……」と、にわかに始めたのが鳥類学。指導教授に言われるがまま、小笠原諸島での研究に取り組みます。

 

 「慣れぬ仕事には労力がかかるが、断るのにはさらに大きなエネルギーを要する。気の弱い私にそんなことできるはずも無い」

という著者は、「受け身の達人」を自称しています。

 

 おわりに、或いはカホウハネテマテ

 舌先三寸と八方美人を駆使して、私は受け身の達人になることに決めた。新たな仕事を引き受ければ、それだけ経験値が上がる。経験値が上がればまた別の依頼が舞い込んでくる。世の中は積極性至上主義がまかり通り「将来の夢」を描けない小学生は肩身の狭い思いをするが、受動性に後ろめたさを感じる必要は無い。これを処世術にうまく生きていくのも一つの見識である。

 

自分自身のなかに確固とした夢や希望が見当たらなくても、他の人や生き物との出会いから、これだと思える世界にたどりつけることがある、と思いました。

 

煙の神様(掌編創作)~銀ひげ師匠の魔法帖⑪~

 

 銀ひげ師匠の書道教室は定休日だったけれど、晶太は書道だけではなく、魔法の弟子でもあるので、修行は休まずに続ける。

 入り口の引き戸を開けると、師匠が玄関まで来て、

「ちょっと出掛けてくるよ、すぐ戻るからね」

 と言い、入れ違いに出て行った。

 ところが「ちょっと」でも「すぐ」でもない、1時間近く経ってから戻ってきた銀ひげさんの姿を見て、晶太は目を見はった。

 肩から背中のあたりが、白っぽいもやに包まれていたのだ。

 

「師匠、背中になんか付いてますけど?」

「うん、生まれたての煙の神様だよ。用事を済ませて戻る途中、神社で篝火を焚いているのを見かけてさ、まだ明るいうちから珍しいことだと思って、お参りしたらね━━」

 神社には、樹齢数百年というご神木があるのだが、その枝先が折れて、かなり離れた場所で焚かれていた篝火の中へ落ちたのだという。

 風も吹いていないのに、まるで、自ら飛び入ったようにも見えた。

 白い煙がもくもくと上がり始める。

「自然に折れて落ちるくらいだから枯れた枝だと思うけれど、それでも水分が残っているから煙が白くなるんだろうね。さっそく、ご挨拶した」

 

 あらゆるものにはそれを司る神様がいる、というのが、晶太が習っている魔法の考え方だ。八百万の神というわけで、魔法使いは「ウタ」と呼ばれる呪文を唱えて神様に挨拶し、合言葉を授かる。魔法使いの力量とは、合言葉の数と、それを使いこなす技術なのだ。

 ご神木の枯れ枝から、火によって生まれ変わった煙の神様は、銀ひげさんの挨拶に応えて、すぐに合言葉を返してくれた。

「今まで私も、様々な神様と接してきたが、これほど好奇心の強い神様は初めてだよ。とにかく、何もかも珍しくて仕方ないんだね。目まぐるしく境内を飛び回っていたけれど、しばらく見物していた私が帰ろうとしたら、付いてきちゃったんだ」 

 

 今度は晶太が興味の対象となったらしく、神様は物珍しそうに近寄ってくる。晶太も「ウタ」を唱えて挨拶し、無事に合言葉を授かった。

 

 煙の神様は銀ひげ師匠の家に、しばらく滞在することを決めたようだ。

 そこで師匠は、書道教室の生徒さんたちを驚かさないために、

「煙の白さを少し控え目にして下さい」

 と、お願いした。

 願いは聞き届けられ、煙の色は透きとおって目立たなくなった。

 

 教室には、幼稚園児からお年寄りまでいろいろな人たちが集まる。神様はひとりずつお習字をながめたり、表情をのぞきこんだりしていた。誰かが笑い声を上げると見に行き、元気のない子に気づけばぴったりとくっつく。

  銀ひげ師匠が外出するときは、いつも一緒だ。散歩が大好きで、帰るのをいやがるから、なかなか大変らしかった。

 晶太の家まで付いてきて、一晩泊っていったこともある。

 

 怖いもの知らずの神様だけれど、雨だけは苦手なようだった。

「やっぱり、煙がご神体だから、水をかぶるのはNGなんだろうね。雨の日の散歩は、外に飛び出せなくて傘の中でぐるぐる回り続けるから、私まで目が回ってしまうんだ」

 そこで銀ひげさんが、透明なポリ袋を差し上げると、これが神様の大のお気に入りになった。

 中に入れば、雨に当たることなく、自由に表を飛び回れる。

 そればかりか、晴れていても、家の中でも、風に舞うポリ袋になりきって遊んでいるのだった。

 

 やがて、煙の神様は逗留を終えて旅出っていった。

 何百年もの間、ご神木のてっぺんから眺めていた世界を、直に見に行くことにしたらしい。

「さびしくなっちゃいましたね……」

 と、晶太が言うと、

「そうか? 君はずっと一緒に暮らしていたわけじゃないからね。どちらかというと、私はホッとしてるよ」

 そんなふうに答える銀ひげさんの横顔も、何となくさびしそうだ。

 

 それからというもの晶太は、風が強い日にポリ袋が吹き飛ばされてくると、立ち止まってじっと見てしまう。

 今にも中から、煙の神様が現れるような気がするのだ。

 

 

ティーバッグの持ち手問題

 

数週間前、私の一番初めの読者 Emily (id:Emily-Ryu)さんのブログが、しばらくお休みに入っていることに気づきました。

私はEmilyさんのブログが大好きで、記事の更新を楽しみにしていたので、さびしい限りです。けれど、お休みは大切ですから、再開を静かに待っています。

ところがそんな折、このことをEmilyさんに伝えたかった…と思う出来事がありました。

 

ティーバッグのひもの先についている、あの小さな紙の持ち手に関する発見です。

 

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ずいぶん前のことになりますが、

カップティーバッグを入れてお湯を注いだとき、外に出しておいた持ち手がカップの中に引き込まれてしまう現象』

について書かれた、Emilyさんのブログ記事を読みました。

私自身はこの現象を予防するために、ティーバッグのひもをカップの取っ手に巻きつけていましたが、Emilyさんはその方法は採用していないとのことでした。

たしかに、1日に何杯も入れるとなると、毎回ひもをぐるぐる巻きつけるのはめんどうですし、時には途中でほどけてきたりもしますからね。

他に何かいいアイデアはないものか?と考えてみたものの、

『小さなクリップでティーバッグの持ち手をとめる』

という、さらにめんどくさい方法しか浮かびませんでした。

 

ところが最近になって、ティーバッグを使う機会が増えたこともあり、これはと思う方法がひらめいたのです。

 

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       ↑ ↑ ↑

ティーバッグの持ち手の上に、カップを載せて重しにする』

 

ひもの長さやカップの形状など、いくつか条件が必要かと思いますが、私はこの方法でストレス無しにティーバッグを使えるようになりました。

 

雪娘の櫛、後日譚(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-10~

 

 ふと思い立って旧友を訪ねたら、先客がいた。

 

 以前から話に聞いていた「山猫さん」という人だ。

 旅の途中で立ち寄ったらしい。

「山猫さんは、物語を書くひとでね、お料理も上手なのよ」

 と、友人が紹介する。

 私は、料理はあまり得意ではないから多くを語れないけれど、物語ならば話題は豊富である。常日頃、ハヤさんの昔語りに親しんでいるからだ。

  そこで、数日前に聞いたばかりの「雪娘」の話をしてみた。

 

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 山猫さんは優しい笑顔で耳を傾けてくれた。

「雪娘のお話、もっともっと聞きたかったなぁ。湯船に浮かんでいた朱色の櫛は、その後何も語ってくれなかったのでしょうか。わたしは熱いものは苦手じゃないですが、哀しいお話は苦手なんです」

 と、穏やかな眼差しを少しだけ翳らせる。

「雪娘は若者が好きだったのに、きらわれるのが怖くて本当のことが言えなかったのかも……。好意がすれ違うのは哀しいことですから、勇気を出して伝えるようにしたいものですね」

 私の受け答えは、何だか一般論のようになってしまった。

「もし、雪娘と若者が共に暮らしたとしても、すれ違いだったかもしれませんね。出逢ったことがよくなかったのかもしれないと思うと、余計に切ないです。瑞樹さん、ぜひハヤさんに、2人のアナザーストーリーを語ってもらってください」

 

 家に帰って伝えると、ハヤさんは目をみはって答えた。

「アナザーストーリーといえるかどうかわかりませんが、小夜と結婚し、子宝にも恵まれて幸せに暮らしていた四郎が、あるとき寸一を訪ね、不思議な話を聞かせたことがあります━━」

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 四郎と小夜のあいだに生まれた二人の子供は、それぞれに親の質(たち)を受け継いでいた。

 姉は母と似て暑さが耐えられず、弟は父と同じように寒さに震える。

 それでも仲の良い姉弟は、いつも一緒に時を忘れて遊んだ。

 

 雪が一面に降り積もれば、姉は大喜びで飛び出して行き、弟がその後を追う。

「あまり遠くまで行っちゃいけないよ。弟をこごえさせないよう気をつけて」

 小夜は、娘に念を押して送り出した。

 

 ところがある日のこと、姉と弟は遊びに出た雪の原で、突然の吹雪に見舞われた。

 姉にとっては心地よい雪粒だったが、吹きつける風に熱を奪われた弟の唇は、見る間に青ざめていく。

 弟をかばいながら、一歩ずつ家へ向かっていた姉は、これまで見たことのないものを目にして立ち止まった。

 雪で覆われた地面にぽっかりと穴が開き、そこから立ち昇る湯気が風に吹き散らされているのだ。近寄ってのぞき込むと、青く透きとおった湯がこんこんと湧き出ていた。

 

 手ですくって飲ませると、弟の顔に血の気が戻った。

「あったかくなって、力が出てきた」

 といって、笑顔になる。

 元気を取り戻した弟と手を取り合って歩き出し、ほどなくして、二人の身を案じ迎えに来た父母と出会ったのだった。

 

 その冬が過ぎる頃には、雪の原に現れる不思議な出で湯のことを、知らぬ者はいなくなった。

 雪に降り籠められるのに飽きて遊びに出る子供は、必ず竹筒を持たされる。

 湧き出る湯を飲めば体が温まり、竹筒に詰めて懐に入れれば、家に帰るまでけっして冷めることはなかった。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 湯は雪を溶かして湧き出すが、深く積もった雪が溶けて消え去ることはなく、また、いくら雪が降りかかっても、青く澄んだ湯が冷めることもない。

 その光景を思い浮かべて、胸が熱くなった。

 

「きっと、雪娘と四郎の叔父さんは、長い時をかけて、子供たちの守り神になったのよね」

 問いかけるように呟くと、ハヤさんがうなずいて答える。

「そうですね、四郎も寸一に、そう言っていました」

 

 

※ 山猫(id:keystoneforest)さんとのコメントのやりとりから生まれた掌編です。

  猫舌ではない山猫さん、ありがとうございます。

 

イソバイドシロップ

 

先週の日曜日の朝、目を覚ますと、またもや右耳につまったような閉塞感がありました。

 toikimi.hateblo.jp

  

早速、翌日には耳鼻科へ、約3ヶ月振りの受診です。

聴力検査の結果、前回と同じように右耳低音部の難聴が発症していましたが、前回よりは軽かったので一安心です。

会社の業務システムのバージョンアップが行われた関係で、この2ヶ月ほどストレスが多かったのが原因かもしれません。

 

問診の後で、おもむろに先生が引き出しを開けて取り出したのが━━、

 

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「イソバイドシロップ」、脳や目の圧力を下げて、むくみを取り、めまい等を改善するお薬です。

この薬には注意点があって、それは「まずい」ということ。

先生によれば、某栄養ドリンク剤を濃く苦くしたような味だそうです。

「人によっては飲むのがつらい味だけど、大丈夫そう?」

と聞かれ、

「リポDの味は好きなので、大丈夫だと思います」

と答えました。

私はコーヒーも砂糖を入れずに飲むし、ゴーヤーチャンプルーだって好きだし、苦味耐性はそこそこあるはず、と考えていると先生が、

「大丈夫じゃなくても処方するけどね(笑)」

……なるほど、もっともな話です。

 

イソバイドシロップを1日3回、朝昼夕食後、他に、頭の血の流れを調整して片頭痛を予防するお薬と胃薬が、5日分処方されました。

処方箋を持って薬局へ行くと、薬剤師さんから聞かれます。

「味について、先生から説明がありましたか?」

「はい。まずい、と伺いました」

「そうですね、梅酒を苦くしたような味です」

とのこと。

逆に飲むのが楽しみになってきました。

 

そして、飲んだ結果は、

「けっこう好きな味」でした。

梅酒というより、あんず酒のようなフレーバーです。食後に服用するので、まるで食後酒のリキュールを飲んでいる感じでした。

 

5日後の金曜日、先生に報告すると、

「好き嫌いが、まっぷたつ分かれる薬です。ちなみに、私は好き」だそうで、

さらに親近感がわきました。

聴力はあまり良くなっていませんでしたが、悪くもなっていないので、このまま治療を続けます。

イソバイドシロップは、1日2回を1週間、その後1日1回を1週間というように、減薬していくスケジュールです。

 

いつもなら、薬が減っていくのは嬉しいことですが、美味しく飲んでいただけに、少し残念にも思いました。