かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

川上和人著『鳥類学者だからって…』

 

掌編を書くために知りたいことがあり、鳥類学者の本を読みました。

川上 和人 著『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮社)

 

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

  • 作者:川上 和人
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

【内容紹介】

必要なのは一に体力、二に体力、三、四がなくて、五に体力?!

噴火する火山の溶岩、耳に飛び込む巨大蛾、襲い来るウツボと闘いながら、吸血カラスを発見したのになぜか意気消沈し、空飛ぶカタツムリに想いをはせ、増え続けるネズミ退治に悪戦苦闘する――。

アウトドア系「鳥類学者」の知られざる毎日は今日も命がけ! 爆笑必至。

 

「爆笑必至」の惹句通り、いたるところに笑いが盛りこまれた本です。

私が思わず笑ったのは、以下の箇所でした。 

 聖なる嫌われ者の活躍

 皆さんは、糞と尿のどちらがお好きだろうか。どちらも捨てがたいが、私の場合は糞である。きっと皆さんにも好みがあることだろう。いやはや、考えているだけでワクワクする。

 いや、誤解しないでほしい。変質者ではないから逃げないでくれ。せめて話を聞いてくれ。純粋に研究の話題である。

(第三章 鳥類学者は、偏愛する)

 

「糞の内容物を分析すれば、その鳥の食物が間違いなくわかる」

と、著者の川上さんは説いています。

単に肉眼的に知るだけではなく、DNAを抽出することで、粉砕された食物の正体も明らかになるのです。

鳥のフンには白っぽい部分と黒っぽい部分がありますが、この白色部が尿で、黒色部が糞だということも初めて知りました。

鳥は、糞も尿も「総排泄腔」と呼ばれる単一の穴から排出されるので、黒い糞部と白い尿部がまとめて排泄されることが多く、両者が一緒に落ちてくることになります。

ちなみに、卵もこの「総排泄腔」から生まれます。時に殻が若干汚れているのは、そのためです。

 

 なお、鳥の尿が白いのは尿酸という成分でできているからだ。鳥は体を軽くするため体内に余分な水分を蓄えていない。なので、水分の含有量が少ない尿酸という形で排出するのが得策である。また、卵の中で発生途中の雛は尿を卵外に放出できないが、尿酸は水に溶けにくいため、卵内の環境を汚さずにすむのだ。

思えばかれこれ40年前、ハトのフンの直撃を受けたことがありました。

直撃といっても、命中したのは肩にさげていたバッグでしたが、それと気づかずに触れてしまったときの感触と、フンだとわかったときのショックは忘れられません。

でも、あの白色部分は尿酸だったのかと思うと、気持ちがやや明るくなります。

 

 わざわざ飛ぶ理由がみつかりません

 老婦人に舌を切除されるスズメでさえ、ときには500km以上を移動する。〈中略〉海鳥のキョクアジサシに至っては、毎年北極圏で繁殖して南極圏で越冬するという無茶をやってのける。

 鳥はあまりに易々と飛行するため、その有能さが実感されない。

 約1億5千万年かけ、飛翔に適した形態と行動を進化させてきたのだ。飛翔効率の悪い個体は食物にありつけず、捕食者に狙われ、異性から見放されたことだろう。より優れた形質を持つ個体のみが生き残り、飛翔行動を洗練させてきたのだ。

(第一章 鳥類学者には、絶海の孤島がよく似合う)

著者の主な調査地は東京都の小笠原諸島、本州まで約1000kmの海が隔てる絶海の孤島です。

小笠原には、コウモリを除く哺乳類は自然分布していません。海の中から生まれた海洋島なので、海を越えられない動物は到達することができないのです。

 

メグロ小笠原諸島母島列島だけに生息している鳥です。

母島列島は、母島を中心に姉島、妹島、姪島、向島、平島などが周りに配置されており、島の距離は互いに5~6km程度なのですが、メグロがいるのは母島と向島と妹島の3島のみ。どの島にも鳥が住める環境であるのに、いる島といない島があるのです。

 

この分布の謎を調べるためDNA分析した結果、メグロは島ごとに独自の遺伝的なパターンを持つことがわかりました。

もし、島間を個体が移動していれば、島ごとの独自性はないはずです。つまり、メグロはわずか数kmの海も越えない、ということになります。

 

そんなメグロに最も近縁な鳥は、サイパンにあるオウゴンメジロです。

 祖先は約1300kmの海を越えて南から飛来したのだ。にもかかわらず、今はすっかり引きこもりである。〈中略〉

 周囲に陸のない孤島では、中途半端な移動の行く末は水没である。熱帯や亜熱帯のぬくぬくとした気候では、他所に移動せずとも、地の利のある故郷の生活に不満はない。海の向こうの見知らぬ土地に、生活に適した環境が必ずあるとは限らず、移動は命がけのギャンブルとなる。そもそも飛翔は、重力に抵抗する高コストな行動である。積極的に飛ぶ必要がなければ、飛ばない性質が進化するのだ。

 鳥は、自由に空を飛ぶことができる。しかし、その能力の行使は、あくまでも彼らの選択に委ねられている。島に行くと、鳥にとっての飛翔の意義を、改めて考えさせられる。〈中略〉そこには進化の歴史が透けて見える。

 

最終章で明らかになるのは、印象的なタイトル『 鳥類学者だからといって、鳥が好きだと思うなよ。』に込められた意味です。

 

著者は、子供のころから鳥が大好きで鳥類学者になるのが夢だった、というわけでは全然なく、受け身の状態で流されるまま天職に到達したのです。

風の谷のナウシカ』に憧れて野生生物を探求する大学サークルに入り、大学3年生になって、

「そろそろ何かの研究をしなくては……」と、にわかに始めたのが鳥類学。指導教授に言われるがまま、小笠原諸島での研究に取り組みます。

 

 「慣れぬ仕事には労力がかかるが、断るのにはさらに大きなエネルギーを要する。気の弱い私にそんなことできるはずも無い」

という著者は、「受け身の達人」を自称しています。

 

 おわりに、或いはカホウハネテマテ

 舌先三寸と八方美人を駆使して、私は受け身の達人になることに決めた。新たな仕事を引き受ければ、それだけ経験値が上がる。経験値が上がればまた別の依頼が舞い込んでくる。世の中は積極性至上主義がまかり通り「将来の夢」を描けない小学生は肩身の狭い思いをするが、受動性に後ろめたさを感じる必要は無い。これを処世術にうまく生きていくのも一つの見識である。

 

自分自身のなかに確固とした夢や希望が見当たらなくても、他の人や生き物との出会いから、これだと思える世界にたどりつけることがある、と思いました。

 

煙の神様(掌編創作)~銀ひげ師匠の魔法帖⑪~

 

 銀ひげ師匠の書道教室は定休日だったけれど、晶太は書道だけではなく、魔法の弟子でもあるので、修行は休まずに続ける。

 入り口の引き戸を開けると、師匠が玄関まで来て、

「ちょっと出掛けてくるよ、すぐ戻るからね」

 と言い、入れ違いに出て行った。

 ところが「ちょっと」でも「すぐ」でもない、1時間近く経ってから戻ってきた銀ひげさんの姿を見て、晶太は目を見はった。

 肩から背中のあたりが、白っぽいもやに包まれていたのだ。

 

「師匠、背中になんか付いてますけど?」

「うん、生まれたての煙の神様だよ。用事を済ませて戻る途中、神社で篝火を焚いているのを見かけてさ、まだ明るいうちから珍しいことだと思って、お参りしたらね━━」

 神社には、樹齢数百年というご神木があるのだが、その枝先が折れて、かなり離れた場所で焚かれていた篝火の中へ落ちたのだという。

 風も吹いていないのに、まるで、自ら飛び入ったようにも見えた。

 白い煙がもくもくと上がり始める。

「自然に折れて落ちるくらいだから枯れた枝だと思うけれど、それでも水分が残っているから煙が白くなるんだろうね。さっそく、ご挨拶した」

 

 あらゆるものにはそれを司る神様がいる、というのが、晶太が習っている魔法の考え方だ。八百万の神というわけで、魔法使いは「ウタ」と呼ばれる呪文を唱えて神様に挨拶し、合言葉を授かる。魔法使いの力量とは、合言葉の数と、それを使いこなす技術なのだ。

 ご神木の枯れ枝から、火によって生まれ変わった煙の神様は、銀ひげさんの挨拶に応えて、すぐに合言葉を返してくれた。

「今まで私も、様々な神様と接してきたが、これほど好奇心の強い神様は初めてだよ。とにかく、何もかも珍しくて仕方ないんだね。目まぐるしく境内を飛び回っていたけれど、しばらく見物していた私が帰ろうとしたら、付いてきちゃったんだ」 

 

 今度は晶太が興味の対象となったらしく、神様は物珍しそうに近寄ってくる。晶太も「ウタ」を唱えて挨拶し、無事に合言葉を授かった。

 

 煙の神様は銀ひげ師匠の家に、しばらく滞在することを決めたようだ。

 そこで師匠は、書道教室の生徒さんたちを驚かさないために、

「煙の白さを少し控え目にして下さい」

 と、お願いした。

 願いは聞き届けられ、煙の色は透きとおって目立たなくなった。

 

 教室には、幼稚園児からお年寄りまでいろいろな人たちが集まる。神様はひとりずつお習字をながめたり、表情をのぞきこんだりしていた。誰かが笑い声を上げると見に行き、元気のない子に気づけばぴったりとくっつく。

  銀ひげ師匠が外出するときは、いつも一緒だ。散歩が大好きで、帰るのをいやがるから、なかなか大変らしかった。

 晶太の家まで付いてきて、一晩泊っていったこともある。

 

 怖いもの知らずの神様だけれど、雨だけは苦手なようだった。

「やっぱり、煙がご神体だから、水をかぶるのはNGなんだろうね。雨の日の散歩は、外に飛び出せなくて傘の中でぐるぐる回り続けるから、私まで目が回ってしまうんだ」

 そこで銀ひげさんが、透明なポリ袋を差し上げると、これが神様の大のお気に入りになった。

 中に入れば、雨に当たることなく、自由に表を飛び回れる。

 そればかりか、晴れていても、家の中でも、風に舞うポリ袋になりきって遊んでいるのだった。

 

 やがて、煙の神様は逗留を終えて旅出っていった。

 何百年もの間、ご神木のてっぺんから眺めていた世界を、直に見に行くことにしたらしい。

「さびしくなっちゃいましたね……」

 と、晶太が言うと、

「そうか? 君はずっと一緒に暮らしていたわけじゃないからね。どちらかというと、私はホッとしてるよ」

 そんなふうに答える銀ひげさんの横顔も、何となくさびしそうだ。

 

 それからというもの晶太は、風が強い日にポリ袋が吹き飛ばされてくると、立ち止まってじっと見てしまう。

 今にも中から、煙の神様が現れるような気がするのだ。

 

 

ティーバッグの持ち手問題

 

数週間前、私の一番初めの読者 Emily (id:Emily-Ryu)さんのブログが、しばらくお休みに入っていることに気づきました。

私はEmilyさんのブログが大好きで、記事の更新を楽しみにしていたので、さびしい限りです。けれど、お休みは大切ですから、再開を静かに待っています。

ところがそんな折、このことをEmilyさんに伝えたかった…と思う出来事がありました。

 

ティーバッグのひもの先についている、あの小さな紙の持ち手に関する発見です。

 

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ずいぶん前のことになりますが、

カップティーバッグを入れてお湯を注いだとき、外に出しておいた持ち手がカップの中に引き込まれてしまう現象』

について書かれた、Emilyさんのブログ記事を読みました。

私自身はこの現象を予防するために、ティーバッグのひもをカップの取っ手に巻きつけていましたが、Emilyさんはその方法は採用していないとのことでした。

たしかに、1日に何杯も入れるとなると、毎回ひもをぐるぐる巻きつけるのはめんどうですし、時には途中でほどけてきたりもしますからね。

他に何かいいアイデアはないものか?と考えてみたものの、

『小さなクリップでティーバッグの持ち手をとめる』

という、さらにめんどくさい方法しか浮かびませんでした。

 

ところが最近になって、ティーバッグを使う機会が増えたこともあり、これはと思う方法がひらめいたのです。

 

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       ↑ ↑ ↑

ティーバッグの持ち手の上に、カップを載せて重しにする』

 

ひもの長さやカップの形状など、いくつか条件が必要かと思いますが、私はこの方法でストレス無しにティーバッグを使えるようになりました。

 

雪娘の櫛、後日譚(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-10~

 

 ふと思い立って旧友を訪ねたら、先客がいた。

 

 以前から話に聞いていた「山猫さん」という人だ。

 旅の途中で立ち寄ったらしい。

「山猫さんは、物語を書くひとでね、お料理も上手なのよ」

 と、友人が紹介する。

 私は、料理はあまり得意ではないから多くを語れないけれど、物語ならば話題は豊富である。常日頃、ハヤさんの昔語りに親しんでいるからだ。

  そこで、数日前に聞いたばかりの「雪娘」の話をしてみた。

 

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 山猫さんは優しい笑顔で耳を傾けてくれた。

「雪娘のお話、もっともっと聞きたかったなぁ。湯船に浮かんでいた朱色の櫛は、その後何も語ってくれなかったのでしょうか。わたしは熱いものは苦手じゃないですが、哀しいお話は苦手なんです」

 と、穏やかな眼差しを少しだけ翳らせる。

「雪娘は若者が好きだったのに、きらわれるのが怖くて本当のことが言えなかったのかも……。好意がすれ違うのは哀しいことですから、勇気を出して伝えるようにしたいものですね」

 私の受け答えは、何だか一般論のようになってしまった。

「もし、雪娘と若者が共に暮らしたとしても、すれ違いだったかもしれませんね。出逢ったことがよくなかったのかもしれないと思うと、余計に切ないです。瑞樹さん、ぜひハヤさんに、2人のアナザーストーリーを語ってもらってください」

 

 家に帰って伝えると、ハヤさんは目をみはって答えた。

「アナザーストーリーといえるかどうかわかりませんが、小夜と結婚し、子宝にも恵まれて幸せに暮らしていた四郎が、あるとき寸一を訪ね、不思議な話を聞かせたことがあります━━」

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 四郎と小夜のあいだに生まれた二人の子供は、それぞれに親の質(たち)を受け継いでいた。

 姉は母と似て暑さが耐えられず、弟は父と同じように寒さに震える。

 それでも仲の良い姉弟は、いつも一緒に時を忘れて遊んだ。

 

 雪が一面に降り積もれば、姉は大喜びで飛び出して行き、弟がその後を追う。

「あまり遠くまで行っちゃいけないよ。弟をこごえさせないよう気をつけて」

 小夜は、娘に念を押して送り出した。

 

 ところがある日のこと、姉と弟は遊びに出た雪の原で、突然の吹雪に見舞われた。

 姉にとっては心地よい雪粒だったが、吹きつける風に熱を奪われた弟の唇は、見る間に青ざめていく。

 弟をかばいながら、一歩ずつ家へ向かっていた姉は、これまで見たことのないものを目にして立ち止まった。

 雪で覆われた地面にぽっかりと穴が開き、そこから立ち昇る湯気が風に吹き散らされているのだ。近寄ってのぞき込むと、青く透きとおった湯がこんこんと湧き出ていた。

 

 手ですくって飲ませると、弟の顔に血の気が戻った。

「あったかくなって、力が出てきた」

 といって、笑顔になる。

 元気を取り戻した弟と手を取り合って歩き出し、ほどなくして、二人の身を案じ迎えに来た父母と出会ったのだった。

 

 その冬が過ぎる頃には、雪の原に現れる不思議な出で湯のことを、知らぬ者はいなくなった。

 雪に降り籠められるのに飽きて遊びに出る子供は、必ず竹筒を持たされる。

 湧き出る湯を飲めば体が温まり、竹筒に詰めて懐に入れれば、家に帰るまでけっして冷めることはなかった。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 湯は雪を溶かして湧き出すが、深く積もった雪が溶けて消え去ることはなく、また、いくら雪が降りかかっても、青く澄んだ湯が冷めることもない。

 その光景を思い浮かべて、胸が熱くなった。

 

「きっと、雪娘と四郎の叔父さんは、長い時をかけて、子供たちの守り神になったのよね」

 問いかけるように呟くと、ハヤさんがうなずいて答える。

「そうですね、四郎も寸一に、そう言っていました」

 

 

※ 山猫(id:keystoneforest)さんとのコメントのやりとりから生まれた掌編です。

  猫舌ではない山猫さん、ありがとうございます。

 

イソバイドシロップ

 

先週の日曜日の朝、目を覚ますと、またもや右耳につまったような閉塞感がありました。

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早速、翌日には耳鼻科へ、約3ヶ月振りの受診です。

聴力検査の結果、前回と同じように右耳低音部の難聴が発症していましたが、前回よりは軽かったので一安心です。

会社の業務システムのバージョンアップが行われた関係で、この2ヶ月ほどストレスが多かったのが原因かもしれません。

 

問診の後で、おもむろに先生が引き出しを開けて取り出したのが━━、

 

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「イソバイドシロップ」、脳や目の圧力を下げて、むくみを取り、めまい等を改善するお薬です。

この薬には注意点があって、それは「まずい」ということ。

先生によれば、某栄養ドリンク剤を濃く苦くしたような味だそうです。

「人によっては飲むのがつらい味だけど、大丈夫そう?」

と聞かれ、

「リポDの味は好きなので、大丈夫だと思います」

と答えました。

私はコーヒーも砂糖を入れずに飲むし、ゴーヤーチャンプルーだって好きだし、苦味耐性はそこそこあるはず、と考えていると先生が、

「大丈夫じゃなくても処方するけどね(笑)」

……なるほど、もっともな話です。

 

イソバイドシロップを1日3回、朝昼夕食後、他に、頭の血の流れを調整して片頭痛を予防するお薬と胃薬が、5日分処方されました。

処方箋を持って薬局へ行くと、薬剤師さんから聞かれます。

「味について、先生から説明がありましたか?」

「はい。まずい、と伺いました」

「そうですね、梅酒を苦くしたような味です」

とのこと。

逆に飲むのが楽しみになってきました。

 

そして、飲んだ結果は、

「けっこう好きな味」でした。

梅酒というより、あんず酒のようなフレーバーです。食後に服用するので、まるで食後酒のリキュールを飲んでいる感じでした。

 

5日後の金曜日、先生に報告すると、

「好き嫌いが、まっぷたつ分かれる薬です。ちなみに、私は好き」だそうで、

さらに親近感がわきました。

聴力はあまり良くなっていませんでしたが、悪くもなっていないので、このまま治療を続けます。

イソバイドシロップは、1日2回を1週間、その後1日1回を1週間というように、減薬していくスケジュールです。

 

いつもなら、薬が減っていくのは嬉しいことですが、美味しく飲んでいただけに、少し残念にも思いました。

 

 

雪娘の櫛(創作掌編)~ハヤさんの昔語り#2-9~

 

 コーヒーを淹れるお湯の適温は、83度から96度だと言われている。

 ハヤさんはコーヒー豆によって、88度か93度に分けているそうだ。

「さらに言えば、美味しく飲める温度は60度から70度なので、お客様にお出しするとき、70度以下にならないよう心掛けています。温度計で測っているわけじゃないですが、長年の経験で」

 以前、私がハヤさんの珈琲店に客として通っていたとき、テーブルに置かれた熱いコーヒーに、すぐ手を伸ばすことはなかった。

 

「実は……、冷めてしまう前にひと口だけでも飲んでいだたきたいな、と思ってました。瑞樹さんが猫舌だと知るまでの話ですけれどね」

「そうだったの、気づかなかったわ」

「ちょうど良いと感じる温度は人それぞれですから。でも、あまりにも隔たりが大きいと誤解じゃ済まなくなります。僕が寸一だったときのことですが━━」

 と、江戸から明治の時代、寸一として生きた「前世」の記憶を持つ、ハヤさんの昔語りが始まった。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 四郎を可愛がってくれた叔父は独り身を通していたが、その訳を聞いたのは、亡くなる少し前のことであった。

 若い頃、叔父は家へ戻る道で、見知らぬ娘に出会ったという。

 雪の降るなか笠もかぶらず、薄い着物で佇んでいる姿が哀れで、素通りすることができずに連れて帰った。

 家で叔父の帰りを待っていた母親は驚き、囲炉裏の火を掻き立て、熱い汁物を拵えたが、娘は遠慮しているのか、囲炉裏端に近寄ろうともしない。

 それでも、ぽつりぽつりと言葉を交わすうちに、娘の人柄が伝わってくる。

「ただそこにいて、やさしく笑っているだけで、なんともいえず幸せな気持ちになったのだ。俺は娘を喜ばせたい一心で、飯も後回しにして風呂を炊いた。娘は困ったように俯いていたが、強く勧めると、ようやくうなずいてくれた」

 ところが、いつまでたっても娘は風呂から上がって来ず、湯を使う音すら聞こえない。

 心配して様子を見に行った母親が、高い声で叔父の名を呼んだ。

 駆けつけてみると、湯殿には誰もいない。

 ただ、湯船の湯のなかに、娘が差していた朱色の櫛が浮かんでいるだけだった。

 

「あれは雪娘だったのだろう。俺は悔やんでも悔やみきれなかった。火の側には寄せず、冷たい飯を食べさせ、水風呂に浸からせてやれば、共に暮らせたものを……」

 声を震わせ、涙を流す。

「俺が死んだら、棺桶に入れてくれ」

 繰り返し頼みながら、四郎に朱色の櫛を託したのだった。

 

 若者となった四郎が小夜と出会ったとき、叔父の涙と朱い櫛のことを思い出した。

(なんとしても、この娘を守らなくては……)

 と、心に決める。

 小夜は、何代にもわたり寒冷な高地に住む一族の出だった。

 四郎の嫁になるのは承知したが、夏のあいだは里帰りさせてほしいと言う。小夜は、暑さに耐えることができないのだ。

 四郎に否やは無かった。しかし、父と母はなかなか首を縦に振らない。

「何かと忙しい夏の盛りに居なくなる嫁など、聞いたことがない」

 と、顔をしかめるばかりだった。

  小夜の一族は昔、山の神様の子孫として敬われたと聞いているが、今はもう忘れ去られているようだ。 

 

 思いあぐねた四郎は、小夜を連れ、寸一のところへ知恵を借りに来たのだった。

 

 透き通るような白い顔をした小夜は、言い伝えられる雪娘の儚さではなく、明るい白銀のきらめきを持つ娘である。

 話をしてみると、不思議な力が備わっていることがわかった。

 人の体が発している熱を、目で見るようにありありと感じ取ることができ、しかも、その力を使って人を癒せるのだ。

 寸一に見せるため、小夜は四郎を床に横たわらせると、その体の上に袂から取り出した小石を置いていった。

「ここには余分な熱がこもっているから冷やす石、こちらは冷たくこわばっているから温める石……」

 つぶやきながら、いくつかの小石を置き終えて、にっこりと笑う。

「しばらくこのままにしていれば、体が楽になります」

 

 聞けば、石は山中で拾ってきたものだという。どの石にどんな効力があるのか、ひと目でわかるらしい。

 小石を載せたまま横になっている四郎の顔が、それとわかるほど和らいでくる。

 感心して褒めると、小夜は目を見張って答えた。

「たいそうなことではありません。けれど、喜んでもらえたのなら嬉しい」 

 

 寸一の助言に従い、四郎は渋る母親を説き伏せて、小夜の療治をためさせた。

 次は父親、兄弟、そして近隣の人びと──。

 

 やがて小夜は、自慢の嫁として、四郎の家で大事にされることとなった。

 

    △ ▲ △ ▲ △ 

 

「つまり、暑さに弱いのではなく、熱に対する感覚が人並みはずれて優れている、ということだったのね」

「ええ、その通りです」

 相槌を打ちながら、ハヤさんがコーヒーを淹れている。

 

「さあ、どうぞ」

 といって、私の前に置かれたのは、普段は使わない小さなデミタスカップだった。

 しかも、3つ並んでいる。

「僕は猫舌も同じだと思います。熱いのがダメというより、味覚が鋭いんですよ。だから、60度以下でも美味しく飲めるコーヒーを研究してみました。飲んで意見を聞かせてください」

 期待に満ちた目にうながされて、3つのカップのコーヒーを味わう。

 さて、困った……。

 ハヤさんのコーヒーは、いつでも同じように美味しいとしか、答えようがないのだ。

 

 

『はたらく細胞原画展』に行ってきました。

 

toikimi.hateblo.jp

 

去年、TVアニメ『はたらく細胞』について記事を書きましたが、今回は漫画の原画展に行ってきました。

   

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はたらく細胞』は、赤血球と白血球を中心とした体内細胞の人知れぬ活躍を描いた細胞擬人化ファンタジーです。

 

プロの漫画家さんですから当然といえば当然なのですが、ほんとうに絵がすばらしくて、見とれてしまいました。

漫画の原稿やカラーイラストの原画などに加え、「ネーム」とか「絵コンテ」と呼ばれる、1枚の紙を見開きにして、コマ割りしたところに、ラフなタッチで構図やセリフ、キャラクターなどを描いた貴重な原稿も展示されています。

 

原画はもちろん撮影禁止ですが、会場内には2箇所フォトスポットがありました。

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また、スタンプラリーがあり、会場と百貨店内の4箇所に設置されたスタンプを押して完成させると、オリジナルステッカーがもらえます。

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フォトスポットで撮影やスタンプラリーなど、いつもならちょっと面倒に感じてスルーしてしまうのですが、今回は童心にかえって楽しく遊んできました。

限定グッズのクリアファイルも購入、職場で使ったら癒されそうです。

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前回、掌編で人の体内世界について書きました。

主人公が「昔のSF映画」を思い出すシーンがあるのですが、これは『ミクロの決死圏』という映画のことです。

 

コメントしてくださった、かぴたん (id:RetCapt1501)さんも、この映画をご覧になっていると知り、

 “手塚治虫先生の「ミクロイドS」の影響を受けた作品だと聞いたことがあります。”

とコメントを返したのですけれど、後になってから何となく気になり調べてみたところ、

ミクロの決死圏』…1966年8月24日初公開

『ミクロイドS』…1973年3月26日号から同年9月3日号まで連載

━━ということで、真っ赤なカン違いでした(笑)。

コメントのやりとりがなければ、この先ずっとカン違いしたままだったに違いありません。

かぴたんさん、ありがとうございます。

 

ちなみに、私は『ミクロの決死圏』『ミクロイドS』『はたらく細胞』などの名作に、たくさんの影響を受けて前回の掌編を書きました。