かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

川上和人著『鳥類学者だからって…』

 

掌編を書くために知りたいことがあり、鳥類学者の本を読みました。

川上 和人 著『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮社)

 

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

  • 作者:川上 和人
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

【内容紹介】

必要なのは一に体力、二に体力、三、四がなくて、五に体力?!

噴火する火山の溶岩、耳に飛び込む巨大蛾、襲い来るウツボと闘いながら、吸血カラスを発見したのになぜか意気消沈し、空飛ぶカタツムリに想いをはせ、増え続けるネズミ退治に悪戦苦闘する――。

アウトドア系「鳥類学者」の知られざる毎日は今日も命がけ! 爆笑必至。

 

「爆笑必至」の惹句通り、いたるところに笑いが盛りこまれた本です。

私が思わず笑ったのは、以下の箇所でした。 

 聖なる嫌われ者の活躍

 皆さんは、糞と尿のどちらがお好きだろうか。どちらも捨てがたいが、私の場合は糞である。きっと皆さんにも好みがあることだろう。いやはや、考えているだけでワクワクする。

 いや、誤解しないでほしい。変質者ではないから逃げないでくれ。せめて話を聞いてくれ。純粋に研究の話題である。

(第三章 鳥類学者は、偏愛する)

 

「糞の内容物を分析すれば、その鳥の食物が間違いなくわかる」

と、著者の川上さんは説いています。

単に肉眼的に知るだけではなく、DNAを抽出することで、粉砕された食物の正体も明らかになるのです。

鳥のフンには白っぽい部分と黒っぽい部分がありますが、この白色部が尿で、黒色部が糞だということも初めて知りました。

鳥は、糞も尿も「総排泄腔」と呼ばれる単一の穴から排出されるので、黒い糞部と白い尿部がまとめて排泄されることが多く、両者が一緒に落ちてくることになります。

ちなみに、卵もこの「総排泄腔」から生まれます。時に殻が若干汚れているのは、そのためです。

 

 なお、鳥の尿が白いのは尿酸という成分でできているからだ。鳥は体を軽くするため体内に余分な水分を蓄えていない。なので、水分の含有量が少ない尿酸という形で排出するのが得策である。また、卵の中で発生途中の雛は尿を卵外に放出できないが、尿酸は水に溶けにくいため、卵内の環境を汚さずにすむのだ。

思えばかれこれ40年前、ハトのフンの直撃を受けたことがありました。

直撃といっても、命中したのは肩にさげていたバッグでしたが、それと気づかずに触れてしまったときの感触と、フンだとわかったときのショックは忘れられません。

でも、あの白色部分は尿酸だったのかと思うと、気持ちがやや明るくなります。

 

 わざわざ飛ぶ理由がみつかりません

 老婦人に舌を切除されるスズメでさえ、ときには500km以上を移動する。〈中略〉海鳥のキョクアジサシに至っては、毎年北極圏で繁殖して南極圏で越冬するという無茶をやってのける。

 鳥はあまりに易々と飛行するため、その有能さが実感されない。

 約1億5千万年かけ、飛翔に適した形態と行動を進化させてきたのだ。飛翔効率の悪い個体は食物にありつけず、捕食者に狙われ、異性から見放されたことだろう。より優れた形質を持つ個体のみが生き残り、飛翔行動を洗練させてきたのだ。

(第一章 鳥類学者には、絶海の孤島がよく似合う)

著者の主な調査地は東京都の小笠原諸島、本州まで約1000kmの海が隔てる絶海の孤島です。

小笠原には、コウモリを除く哺乳類は自然分布していません。海の中から生まれた海洋島なので、海を越えられない動物は到達することができないのです。

 

メグロ小笠原諸島母島列島だけに生息している鳥です。

母島列島は、母島を中心に姉島、妹島、姪島、向島、平島などが周りに配置されており、島の距離は互いに5~6km程度なのですが、メグロがいるのは母島と向島と妹島の3島のみ。どの島にも鳥が住める環境であるのに、いる島といない島があるのです。

 

この分布の謎を調べるためDNA分析した結果、メグロは島ごとに独自の遺伝的なパターンを持つことがわかりました。

もし、島間を個体が移動していれば、島ごとの独自性はないはずです。つまり、メグロはわずか数kmの海も越えない、ということになります。

 

そんなメグロに最も近縁な鳥は、サイパンにあるオウゴンメジロです。

 祖先は約1300kmの海を越えて南から飛来したのだ。にもかかわらず、今はすっかり引きこもりである。〈中略〉

 周囲に陸のない孤島では、中途半端な移動の行く末は水没である。熱帯や亜熱帯のぬくぬくとした気候では、他所に移動せずとも、地の利のある故郷の生活に不満はない。海の向こうの見知らぬ土地に、生活に適した環境が必ずあるとは限らず、移動は命がけのギャンブルとなる。そもそも飛翔は、重力に抵抗する高コストな行動である。積極的に飛ぶ必要がなければ、飛ばない性質が進化するのだ。

 鳥は、自由に空を飛ぶことができる。しかし、その能力の行使は、あくまでも彼らの選択に委ねられている。島に行くと、鳥にとっての飛翔の意義を、改めて考えさせられる。〈中略〉そこには進化の歴史が透けて見える。

 

最終章で明らかになるのは、印象的なタイトル『 鳥類学者だからといって、鳥が好きだと思うなよ。』に込められた意味です。

 

著者は、子供のころから鳥が大好きで鳥類学者になるのが夢だった、というわけでは全然なく、受け身の状態で流されるまま天職に到達したのです。

風の谷のナウシカ』に憧れて野生生物を探求する大学サークルに入り、大学3年生になって、

「そろそろ何かの研究をしなくては……」と、にわかに始めたのが鳥類学。指導教授に言われるがまま、小笠原諸島での研究に取り組みます。

 

 「慣れぬ仕事には労力がかかるが、断るのにはさらに大きなエネルギーを要する。気の弱い私にそんなことできるはずも無い」

という著者は、「受け身の達人」を自称しています。

 

 おわりに、或いはカホウハネテマテ

 舌先三寸と八方美人を駆使して、私は受け身の達人になることに決めた。新たな仕事を引き受ければ、それだけ経験値が上がる。経験値が上がればまた別の依頼が舞い込んでくる。世の中は積極性至上主義がまかり通り「将来の夢」を描けない小学生は肩身の狭い思いをするが、受動性に後ろめたさを感じる必要は無い。これを処世術にうまく生きていくのも一つの見識である。

 

自分自身のなかに確固とした夢や希望が見当たらなくても、他の人や生き物との出会いから、これだと思える世界にたどりつけることがある、と思いました。