かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

テヅカ料理人学校の卒業実習(創作掌編)

 

toikimi.hateblo.jp

 

 自分でも感心するくらいがんばった1年が過ぎ、料理だけではなく自信も身につけた、と僕は思った。

 けれど今、「卒業実習室」へ向かいながら、胸のドキドキを押さえられない。

 

 昨日、僕は医師の診察を受け、そのまま絶食した。

 実習室に入り、白衣の技師から渡されたのは、カプセル内視鏡だ。

 外周に刻まれた螺旋状の突起を回転させて進むことができる、自走機能を搭載した内視鏡だった。

「従来のカプセル内視鏡は、消化器のぜん動運動によって運ばれていたので、飲んでから排出されるまで丸1日以上かかりましたが、この最新型の内視鏡ならば数時間で済みます」

 技師の説明にうなずきながら、小さなカプセルを飲み下す。

「機器が正常に作動していることが確認できました。それでは、コックピットへ移動してください」

 誘導されるままに場所を移った。

 

 卒業実習室の中央に設置されているのは、ドーム型のブースだ。

 内側はカプセル状の楕円形で、床に固定された座席が一つ、そして360度ぐるりと、大きな窓がついていた。

 本物の「窓」ではない。カプセル内視鏡から送信されてくる動画を、リアルタイムで映し出すスクリーンなのだ。

 僕が座席に座ると、技師はベルトでしっかりと固定した。

「映像だけではなく音や振動も再現されるので、時には座席が大きく揺れることがあります。ここはコックピットと呼ばれていますが、自動操縦の内視鏡ですから、操縦かんはありません。もし、気分が悪くなったら、インカムのボタンを押してください。いつでも外と交信できます」

 

 技師が立ち去ると、僕は深呼吸をしながら周りを見まわした。

(まるで、一人乗りの宇宙船か潜水艇みたいだ)

 これから「消化管」という、生命を維持するための一本の管、一筋の道を進む旅が始まるのだ。

 昔、テレビで観たSF映画を思い出す。

 物質をミクロ化する技術が進んだ未来世界で、手術不可能な患者を救うため、医療チームを乗せた潜航艇を細菌以下のサイズにミクロ化して、体内に送り込み治療するというストーリーだった。

 

 真っ暗だったスクリーンがまたたいて、息をのむような光景が表れた。

 幾筋ものひだが走る、なめらかな淡紅色の世界━━。

 そして、規則的に打つ鼓動の響きと、血液が動脈を流れる「ザーザー」という音。このふたつの音が、控え目だが頼もしいベース音のように、聞こえ続けていた。

 

 インカムから、ナビゲーターの声が流れてくる。

「ここは胃底部と呼ばれる胃の上部です。ここへ来るまでに、舌や喉など25種類以上の筋肉が働いて、気管の入り口をふさぎ、食道へ押し込みながら逆流を防ぐという『飲みこみ』の動作が、見事な連携で行われたのです……」

 淡々としているけれど、優しい女性の声だ。

 耳を傾けながら、外の風景に目をこらす。

 ひだの表面には無数のくぼみがあって、きらめく液体が泉のように湧き出てくるのが見てとれた。

「強酸性の胃液は雑菌を退治すると共に、食べ物のタンパク質をほぐして消化します。胃は、ただの袋ではありません。1分間に3回ほどくびれながら中身をまぜたり、空腹時には波打つような動きで内部の掃除もするのです」

 座席を揺らす、ゆるやかな動きのひとつひとつに目的があること知ると、それはどこかひたむきで、感動的にすら思える。

 胃から十二指腸へと下降しはじめたとき、なんとなく名残り惜しい気がした。

 

 けれど、しんみりとした気分は、十二指腸の片方の壁に、奇妙なまるい出っ張りを発見したことで消し飛んでしまった。

(2つもある! これって、ポリープというやつだろうか、大丈夫なのかな?)

 僕の不安を感じ取ったかのように、ナビゲーターの落ち着いた声が応える。

「手前の小さな突起からは膵液が、その先の大きな突起からは膵液に加えて胆汁が流れ出ています。膵液も胆汁もアルカリ性で、胃酸を中和する働きがあります。十二指腸では、タンパク質だけではなく脂質の分解が本格化するのです。脂質の50%から70%は、十二指腸以降で分解されるといわれています」

 つまり、とても大切な出っ張り、というわけだ。

 

 食べ物がさいごにたどり着くのが「腸」。

 最終的な消化と吸収を行なう小腸は、全長が6~7メートルもあり、十二指腸、空腸、回腸に分かれている。

 十二指腸を通り抜けて空腸まで来ると、目に映る風景は一変した。

 管をぐるっと一周する輪っか状のひだが数多く現れたのだ。ひだの表面には指先のような突起物が無数に生えている。

 その指先がすべて、自分に向かって差し伸べられているように感じて、僕は思わず座席の中で身を引いた。

 

「これらの絨毯の毛のような組織は『絨毛』といい、実際には高さ1ミリ前後の突起物です。入り組んだひだや絨毛は、表面積を格段に広げる効果があり、消化酵素によって分解されてきた栄養素に、より多く触れ、限られたスペースで最大限効率的に吸収することを可能にしています」

 おびただしい数の絨毛が、命の糧を求めてゆらめくトンネルを進みながら、僕は長い時間を過ごした。

 空腸から回腸にかけて、なだらかに構造が変わっていく。回腸の後半へ進むにつれて、絨毛は短くまばらになってきた。

 

 大腸まで来ると絨毛は見えなくなり、代わりに現れたのは、数百兆個という膨大な数の腸内細菌だ。細菌は種類ごとに集団を作って腸内に棲み着いている。腸内フローラと呼ばれるが、フローラとは植物群集、あるいはお花畑の意味があるそうだ。

 もちろん、僕の目に細菌のお花畑が見えるわけではない。けれど、今までの道のりとは違う、不思議な雰囲気を感じた。

「腸内細菌は免疫の活性化など、宿主であるヒトに対して有益に作用し、ヒトのほうは細菌に適した環境を提供しています。これを『共生』と呼びます……」

 

 

 自走機能により短縮されたとはいえ、4時間近いカプセル内視鏡の「旅」だった。 

 卒業実習を終えた後、服装を整えてから校長室へ向かう。テヅカ校長と一対一で話をするのは、これが初めてだ。

 校長は料理人ではなく医師免許を持つドクターで、大病を患ってから「食」の重要性を痛感し、料理の学校を設立する決意をした、と聞いている。

 向かい合ってみると、大きく温かな人だった。

 

「お疲れ様でした。今の率直な感想を聞かせてもらえますか?」

 深い関心を表して、校長が尋ねた。

「はい。人は食べたもので出来ている、と教わりましたが、今日の実習を受けて、ほんとうにそうだと思いました。これから僕が作る料理は、それを食べた誰かの一部になるということです。料理人として僕は、責任と、そして誇りを感じました」

「これはこれは、嬉しい言葉だ。ありがとう」

 テヅカ校長は顔をほころばせた。

「━━さて、こうして話すことができるせっかくの機会ですから、君のほうからも、何か質問や意見があればどうぞ」

 

 実はさっきから、気になっていることがあるのだ。

 目の前でほほ笑む相手の、黒縁めがねとベレー帽を見つめながら、僕は思いきって質問した。

「校長先生は、あのマンガの神様のご親戚なのですか?」

 テヅカ校長は楽しそうに笑い、それから真面目な表情になって、

「いえ、たまたま名字が同じというだけです。しかし私もまた、心やさしい科学の子たちが、より良い未来を拓いていくと信じる者のひとりです。たとえ、時代遅れだと言われても、ね」

 と、答えた。