両親とも東京の生まれだったので、「夏休みに泊まりがけで田舎に行ってきた」という友だちをうらやましく思っていました。
それでも一度だけ、叔母の配偶者(義理の叔父)の田舎へ連れて行ってもらったことがあります。
三世代同居の大きな家で、叔母夫婦と私の他にも親戚が来ていてにぎやかでした。
私にとっては、それまで会ったことのない人ばかりです。
年が近い子供もいたのですが、その子たちと遊ぶより、広い庭でひたすら自転車の練習をしていたことが記憶に残っています。ちょうど、補助輪を外して自転車に乗る時期だったのです。
夜になると、生まれて初めて、目がふさがれるような真っ暗闇というものを体験しました。
私たちが泊まった部屋は、長押に正装したご先祖さまの遺影が並ぶ和室で、蚊帳がつってあります。叔母が蚊帳に出入りするときの「作法」を教えてくれました。
蚊が中に入ってこないよう、まず、うちわであおいで追い払い、さらに蚊帳の裾をばさばさと揺らしてから少しだけ持ちあげ、素早く身をかがめてくぐり抜けること。
けれど、私がおもしろがって何度も出たり入ったりしたものですから、ずいぶん蚊を蚊帳の中に招き入れてしまったと思います。
そのうち叔父が、
「蚊帳には幽霊が出るんだぞ」と言ってからかい、私が怖がると、
「幽霊が出るのは白い蚊帳。これは緑色だから大丈夫なのよ」
叔母が機転を利かせてなだめてくれました。説得力のある言葉に安心し、私は蚊帳の中で眠ることができたのです。
どうして、兄弟のなかで私だけが、田舎へ連れて行ってもらえたのか、そのときは疑問に思いませんでした。
子供のいない叔母夫婦が、私を養女にすることを考えていて、しかしその話は、当時同居していた祖母の「内の孫はよそへやらない」という一言で立ち消えになった、と知ったのは、ずっとずっと後のことです。
気が強く、頭がよく、美しかった叔母も、今年の三月に他界しました。
亡くなる一年ほど前から、電話でしゃべる機会が増えたのですが、この蚊帳の話はしなかったと思い、文章として残したくなりました。