僕は無個性な社会人だが、仮面の制作という少し変わった趣味を持っている。
「ベネチアンマスク」と呼ばれる、中世ヨーロッパの仮面舞踏会やカーニバルで使われていた、顔の上半分を覆うハーフマスクを作るのが好きなのだ。
あるとき、完成した作品を並べてみて、4つのテーマ別で分類できることに気がついた。
怒り・悲しみ・笑い・愛
(なるほど、こういうものを表現したかったのか……)
それからは、テーマを意識して制作することを心掛けた。
独学で工夫を重ね、自信作と言えるような作品が少しずつ増えてくると、その仮面たちが、本来の役割を果たすところを見たい、と思うようになった。
はっきりした目当てもないまま、広大なネット空間をさまよい、ついに見つけたのが『マスカレード』という舞踏集団だ。ウェブサイトのトップページには、仮面風のステージメイクを施したダンサーたちの画像、そして──、
素顔で語るとき、人は最も本音から遠ざかるが、仮面を与えれば真実を語り出す。
という、オスカー・ワイルドの言葉が添えられていた。
その夜のうちに、彼らのダンスパフォーマンス動画を見尽くした僕は、ウェブページのメールフォームからコンタクトをとった。二の足を踏んで怖気づく前に、大急ぎで自己紹介文を書き、仮面の画像を添付して送信したのだ。
すると、翌日には折り返し連絡があり、順調に話が進んで、面会の約束ができてしまった。
待ち合わせ場所は、街なかの広々としたカフェだった。行ってみると、聞いていた目印を探すまでもなく、すぐに彼らを見つけられた。
ことさらに人目を引く格好をしていたわけではないけれど、演出と振り付けを担当しているという2人は、表現者らしい空気感を全身にまとっていたし、マネジメントを引き受けている女性は、穏やかな物腰ながら、眼の光に切っ先のようなきらめきがあった。
僕は気後れしながらも勇気をふるって挨拶し、持参した仮面を披露した。
思いのほか好評だったので、ひとまず安堵する。
作品を前にした演出担当の2人の口から、次から次へと掛け合いのように、アイデアがあふれ出てきた。
「メイクと違って素早く付け替えることができるから、4部構成で行けそうですね。『怒り』、これは稲妻のように、瞬発的で目がくらむほど、烈しく動きましょう」
「『悲しみ』はバリエーション豊かに、『笑い』はふざけすぎるくらいがちょうどいい」
「で、『愛』はどうしましょうか?」
「それはもう、大団円の舞踏会。ワルツにラテン……」
彼らは即座に、振り付けメモらしきものを書き始めた。極度に簡素化した人体が、紙の上で踊り出す。まるでダンスの速記だ。
息を飲んで見守っていた僕は、ふと視線を感じた。目を向けると、マネジメントの女性が、笑いをこらえるような表情を浮かべていた。
「ふたりとも少し落ち着いて。まだ作家さんと契約のお話もしていないんですよ」
と、たしなめる。
思わず胸が高鳴った。僕のことを「仮面制作の作家」と認めてくれたのだ。
彼女が笑顔で、言葉を続ける。
「──というそばから、私もひとつ提案があるの。舞踏会のフィナーレで、いっせいに仮面を脱ぎ捨てるのはどうかしら?」
2人はそろって彼女を見つめた。
「それはたしかに、インパクトのある演出ですけれど……」
「仮面を破損するおそれがあるんじゃないかな。脱いだあと、目立たないように持っている、というならともかく」
僕の作品を気づかっての発言だったが、彼女は首をかしげた。
「後ろ手に隠したりするなら、いっそ何もしないほうがいいわ。愛とは、臆面もなく素顔を晒すもの。仮面をかなぐり捨てるくらいじゃないと、その意図は伝わらないと思うの。でも、あなたたちの言うことは正しい。作品を破損するような演出は避けるべきね」
「いえ、素晴らしい演出だと思います。脱ぎ捨てるどころか、床にたたきつけたってかまわない!」
われ知らず、僕は大きな声で主張していた。
彼女が、実際家の顔に戻って答える。
「ありがとうございます。ですが、考えてみればやはり無理がありました。このやり方では、舞台をひとつ終えるたびに、『愛』の仮面が足りなくなってしまいますものね」
「それなら、僕はこれから『愛』だけを作ります」
(あなたのために……)
いつもの臆病さも忘れ、僕は彼女に向かい、熱意もあらわに申し出た。