サトシは中学時代からの友だちだが、正月も仕事で帰って来ないというので、こちらから会いに行くことにした。
シングルパックの切り餅をいくつかと、家にあった金箔入り吟醸酒をリュックに詰め、さほど遠くはないものの、一度も訪れたことがない町へ向かう。
駅の改札を出ると、サトシが待っていて、相変わらずのポーカーフェイスを少しだけくずして笑った。長い付き合いなので、すごく歓迎してくれていることがわかる。
私は文系の社会人だから、型通り新年の挨拶をしてから、
「ちょっとやせたんじゃない? ちゃんと食べてる?」
と、友の身を気遣った。
聞けば、初詣もまだしていないと言う。サトシが淡々と提案した。
「同僚に聞いたけれど、変わったおみくじが評判になっている神社があるみたいだ。行ってみるかい」
サトシの職場は、理系の頭脳集団で成り立っているらしいが、それなりに世間話もしているようだ。
「いいね。どんな風に変わってるの?」
「辛口みくじ、というものらしい」
我々はのんびりと、神社までの道を歩いた。
中学2年のとき、苦手な数学を教えてもらいたくて、サトシに声をかけたけれど、すぐに無理だと思い知った。数学がわからない人間の頭の構造が、彼にはまったく理解できなかったのだ。言葉を尽くし説明してくれたのだが、どれほど傾聴しても混迷するばかりだった。
それでも一生懸命教えてくれようとする姿に感動し、親友になって、今に至っている。
私はサトシから、数学ではなく、「人はそれぞれ違うのだ」という大切なことを教わった。
神社で参拝をすませ、おみくじを引く。
普通のおみくじもあったけれど、やはり評判の「辛口みくじ」に行列ができていた。私が並んでいるあいだ、こういうものに興味のないサトシは「算額」を探しに行った。「算額」とは、江戸時代の数学者が、和算の問題を記して奉納した額のことである。
ようやく順番がまわってきて手にした「辛口みくじ」を読み、私は衝撃を受けた。
あなたは敗れたのです。
もう勝ち目はありません。
あなたに出来る最善のことは、
ただ敗北を認めることです。
血の気が引いていくのがわかる。
遠距離交際中の相手のことだろうか、あるいは、同期入社の昇進レースか? 先週ずっと背中が痛かったのは、重大な病の前ぶれなのかもしれない、それとも……。
(とりあえず、これは無かったことにしよう。しかるべき場所に結んで帰れば大丈夫だと聞いたことがある)
ショックで少しふらつきながら、「おみくじ結び所」を目指して歩き出したとき、ちょうど戻ってきたサトシに腕をつかまれた。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
私は無言でおみくじを渡した。
文面に目を走らせたサトシが、「まあ、落ち着け」と言って、近くのベンチに誘導する。
「算額は見当たらなかったが、そのかわり、変わった光景に出くわしたよ。社務所のそばに特設コーナーがあって、人だかりができているんだ。いったい何をやっているのかと思ったら、ドライヤーでおみくじを熱していた」
「ドライヤーで? 何のために?」
「あぶり出しさ。この辛口みくじは、下半分のスペースがずいぶん空いているだろう。ここがあぶり出しになっているんだ。ほら、ちゃんと書いてあるよ」
見ると、おみくじの余白のすみに小さな文字で、あぶり出しのことが説明されていた。
さっそくその特設コーナーへ行くと、ドライヤーが何台も用意されており、待つほどもなく、あぶり出しの文字を読むことができた。
いかなる人生においても、
敗北を避けて通ることはできません。
敗れたことを受け入れなければ、
敗北を引きずったまま生きることになります。
敗れたことを認めて向き合えば、
敗北から多くを学べるでしょう。
「なるほど!」と、私は大きくうなずいた。
最初がショックだっただけに、時間差で知った内容が身に沁みる。
(この言葉を心に刻んで、いよいよその時がきたら、逃げずに向き合おう)
「おみくじ結び所」を横目に見ながら、となりを歩く友に話しかける。
「ありがとう。あぶなく早合点してしまうところだった。ほんと、いつも冷静なサトシがうらやましいよ」
するとサトシは、
「いや、僕のほうこそ、どんなことにも素直に感動できる君がうらやましい」
と、真顔で応えた。