かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

天狗の下駄~ハヤさんの昔語り〔第二幕〕④~(創作掌編)

 

 仕事の打ち合わせから戻り、珈琲店のドアを開けると、ハヤさんが「いらっしゃいませ」ではなく、「おかえりなさい」と言った。

 ちょうどお客が途切れたタイミングだったようだ。

 なんとなく嬉しい気分でカウンターへ向かう途中、ふと、見慣れない物が目に留まって立ち止まる。

 窓際のテーブル席の椅子の下に、小さな赤い靴が押しこまれていた。

 

「きっと、ランチタイムにいらしていた親子連れのお客様が、忘れていったのでしょう。気づかなかったな」

「仕方ないよ。まるで隠してあるみたいだもの。そのお子さん、帰りはベビーカーだったの?」

「いえ、歩きでした」

 ではいったい、何を履いて帰ったのだろう。

 

「そういえば、僕が寸一だったころ──」

 といって、ハヤさんが前世の昔語りを始める。

 

   △ ▲ △ ▲ △ 

 

 天狗森で何か見つかったらしく、寸一が呼ばれた。

 行ってみると、森の際に一本歯の下駄が、きちんと脱ぎ揃えてあった。

 この森では三〇年ほど前、恐ろしい出来事があったという。力自慢の若者が天狗に相撲を挑んで投げ飛ばされ、その後、深い谷の奥で、手も足も一つ一つ抜き取られて死んでいたのだ。

 平生は、あまり近寄る者もいないのだが、秋の実りの時季ともなれば別のようだった。

 

 見つけたのは、森へ茸を採りにきた千吉という男だ。

「これは、天狗の下駄だな」

 寸一が言うと、千吉は震えあがった。

「えらい物を見つけてしまった。祟りがあるに違いない」

「大丈夫だ、見たところ昨日今日のものではない。この下駄は、森の外へ向けて脱ぎ置かれている。もはや要らなくなったのだ。天狗も年を取り、霊力が衰えてくると、山を下りて里で暮らすことがあるというから、その類いだろう」

 祟りどころか、むしろ縁起のいい置き土産だと説いても、千吉は納得せず、

「せめて、寸一さんが片方だけでも持っていてください」

 と、言い張るので、片一方を預かることにした。

 

(里に下りて、人と同じように暮らす天狗か……)

 思い当たる人物がいる。

 半年ほど前、町はずれの小屋に住み着いた音蔵という年寄りだ。この辺りのよい家柄に生まれながら、財産を使い果たし、長らく各地を渡り歩いていたという。

 戻ってきてからは、道行く人に甘酒を売り、細々と暮らしていた。そのくせ、酒代には不自由しないらしく、時折、町なかへ飲みに出ては、機嫌良く酔って、踊りながら帰るのが常だった。

「音爺」と呼ばれて慕われているが、この音蔵には不思議なところがあった。

 

 誰も見聞きしたことがないほどの、奇奇怪怪な話を数多く知っているのだ。ところが、音蔵の小屋でそうした話に興じていると、客は必ず強い睡魔に襲われる。そして、目を覚ましたときには、聞いた事をすべて忘れていた。

 それが度重なるにつれ、音蔵の家を訪ねる者は、寸一のほかいなくなってしまった。

 もちろん寸一も、何一つ覚えているわけではないのだが、話を楽しんだという気分は残っているし、なにより、話し相手を得た音爺がたいそう喜ぶからだった。

 

 数年の歳月が流れた。

 

 ある日、思い立って出向いて行くと、音蔵は床に伏せっていた。

「そろそろ私も寿命が尽きるようだ。さいごに顔が見られて何より」

 と、事も無げに笑う。

 寸一は、天狗森に残されていた一本歯の下駄のことを尋ねてみた。

 

「いかにもあれは、私の下駄だ。天狗から只人へ戻る決意の表れとして脱ぎ置いた。なかなかの神通力を備えた下駄でなぁ、新たな持ち主は自分で探したことだろう」

 確かに、あの下駄を見つけた千吉は、見違えるように豪胆になった。

 人の三倍働き、家は栄える一方で、先頃ひとり娘に立派な婿を取ったばかりだ。

 音蔵は眼をきらめかせて、寸一の話を聞いていたが、千吉に頼まれて下駄の片方を預かっていることを知ると、その表情が曇った。

「二つで一足という履物を、別れ別れにしておいたままでは、何とも心残りだ。この音爺の遺言だと思って、もう片方の下駄を、千吉さんとやらに渡してはくれまいか」

 もちろん、寸一に否やは無かった。

 

 約束を守り、天狗の下駄を千吉に届けると、一家を挙げて歓迎してくれた。

 ようやく揃った一本歯の下駄は、家宝として床の間に飾るそうだ。

 

 ところが、ほどなくして、千吉は忽然と姿を消した。

 天狗の下駄だけを持って出て行き、再び戻ってこなかった。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

「どうやら、天狗の下駄が探していたのは、幸運を授ける相手ではなく、継承者だったみたいです。一足揃ったことで、何かしら強い力が働いたのでしょう。天狗として生きていくことが、千吉の本望であったどうか、今となってはわかりませんけれど」

「あとに残された家族は大丈夫だったの?」

「ええ、お婿さんがしっかりした働き者でしたからね。千吉の奥さんは、毎日のように天狗森のそばまで行って、名前を呼んだりしていましたが、次々に孫が生まれていそがしくなると、だんだん足が遠のいたようです」

 

 店の電話が鳴った。

 ハヤさんの受け答えを聞くうち、赤い靴を忘れていった子の母親からだとわかったので、近づいて受話器に耳を寄せる。

 珈琲店に来る前に寄ったショッピングモールで、お正月用の新しい靴を買ったらしい。ところが、元旦までのあと3日が待てない子供は、母親が席を離れたわずかなあいだに、靴を履き替え、古いほうは隠してしまったのだ。

 

「家に帰ってから、はじめて気がつきました。ご迷惑をおかけしてすみません。これから引き取りにうかがいますから……」

 と、母親が言いかけたところで、びっくりするほど大きな泣き声が聞こえてきて、会話は中断した。そばで成り行きを見ていた子供が、抗議の大泣きを始めたようだ。

「いえもう、ほんとにいつでも……、来年になってからでも構いませんから……」

 ハヤさんがとりなすように繰り返して、ようやく事態は収まった。

 

 昔も今も、新しく一歩を踏み出してしまったら、元へは戻り難いようだ。