僕の大好きな人、みのりさんが、チャリティコンサートの招待券をくれた。
みのりさんは、主催者側のスタッフなので、一緒に客席に座れるわけではないけれど、コンサート終了後に、夕食の約束をとりつけることができた。
クラシックのコンサートだ。曲目は、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』。
数年前の残念な思い出が、脳裏をよぎる。
当時つきあいはじめたばかりの彼女に誘われて、僕はオペラを観に行った。
「有名な演目ではないけれど、いいかしら?」
と言われ、よくわからないので気にもせず、二つ返事で出掛けていった。
そして、外国人のオペラ歌手が、外国語で知らない歌を歌い、字幕はあったけれど、その日かけていた眼鏡の度が弱かったせいで、僕にはほとんど読めず、舞台でいったい何が繰り広げられているのか見当もつかないまま、眠気と闘い続ける3時間を過ごしたのだった。
どうにか初デートの居眠りは回避できたものの、結局、彼女とはまもなく別れてしまった。
同じ轍を踏みたくはないので、今度はちゃんと下調べする。
すると、クラシックのコンサートには重要なマナーがあることがわかった。曲が終わっても、拍手をしてはいけないタイミングがあるというのだ。
たとえば、4つの楽章がセットになった交響曲だと、最終の第4楽章の演奏が終わり、指揮者が手を下ろしたときが、正しい拍手のタイミングで、楽章の切れ目で拍手することは、原則NGなのだ。早まったタイミングの拍手は「飛び出し拍手」などと呼ばれる。
ところが、それはあくまで「原則」だから、とてもすばらしい演奏だった場合、感動のあまり拍手してしまうことは「あり」だという。
どちらにしても、前もって演奏される曲を聴いておくことが大切らしい。
準備万端整えて、僕は当日を迎えた。
昼間のチャリティコンサートのためか、会場の雰囲気は思ったよりカジュアルで、ちょっと安心する。
ステージで開演前の音合わせが始まると、どうしても最大の弦楽器コントラバスに目を引かれた。なぜなら、みのりさんの趣味が、コントラバスの演奏だと聞いていたからだ。
(もし、みのりさんと結婚したら、あの大きな楽器も家族の一員になるんだな)
と、空想の翼を広げているうちに、拍手のなか指揮者が現われ、演奏が始まった。
チャイコフスキーの『悲愴』については、例の「飛び出し拍手」関連で、興味深い記事を読んだ。第3楽章が非常に盛り上がって終わるため、楽章の切れ目であると承知の上で、拍手が沸くことも珍しくないというのだ。
第3楽章が終盤に近づくにつれ、僕の鼓動は高鳴った。
弦楽器の弓が激しく動き、木管楽器は華やかに、金管楽器は迎え撃つように鳴り響く。ティンパニは轟き、シンバルが炸裂して、第3楽章は素晴らしく華麗に終わった。
一斉に拍手が起こる。僕も夢中になって手をたたいた。
指揮者は静かに立ったまま、背中で観客の称賛を受けとめている。第4楽章に入る動作と同時に、拍手はぴたりと止まるはずだ。
けれどそこで、予想外の出来事が起こった。
舞台袖から小さな女の子が、送り出されるように現れたのだ。ドレスアップして、手には立派な花束を抱えている。
女の子は、ステージ中央までとことこ歩いていくと、指揮者に花束を渡し、はずかしそうに笑いながら戻っていった。
戸惑いの拍手が続くなか、会場全体に疑問符が飛び交い、声にならないざわめきが広がっていく。
そのとき、すばやく事態を収拾した人物がいた。
みのりさんだ。花束の子が出てきたのとは逆の舞台袖から現れたみのりさんは、背筋をまっすぐ伸ばし、自然な足取りで指揮者に歩み寄ると、一礼して花束を預かり、静かに立ち去った。
その間数秒、切れかけた糸はかろうじてつながり、何事もなかったように第4楽章が始まった。
刺激的かつ感動的なコンサートだった。
けれど僕にとってのメインステージはこれからだ。
夕食の店は、美味しくて雰囲気のいいイタリアンレストランを予約した。スタッフに知り合いがいるので、落ち着ける席をお願いしてある。
みのりさんと僕は、終わったばかりのコンサートの話で盛り上がった。ハプニングはあったけれど、無事に済んでしまえば笑い話だ。
「楽章の切れ目でしてしまう拍手を『飛び出し拍手』っていうらしいね」
「知らなかった、おもしろいわね。タイミングが早すぎる『Bravo』を、フライング・ブラヴォーと呼ぶのは聞いたことがあるわ」
「そういえば、女の子が渡した花束だけど、なぜ早まっちゃったの?」
聞くと、みのりさんはワイングラスをかたむけながら、楽しそうに舞台裏の話を教えてくれた。
第3楽章後の拍手があまりにも盛大だったため、舞台袖にいた主催者が勘違いして、花束贈呈役の子供を送り出してしまったというのだ。
フライング・ブラヴォーならぬ、フライング・ブーケ……。
さらに加えて、第4楽章を終えて戻ってきた指揮者に、
「ありがとうございます。それにしても先生、長いアンコールでしたね」
と、満面の笑顔でコメントしたらしい。
僕はみのりさんと一緒に笑ったけれど、笑い声は少しうわずっていたかもしれない。
話のとちゅうで、ドキリとしていたからだ。
実は今日、ささやかなサプライズを用意している。ささやかといっても、一世一代くらいの勇気をふりしぼり、レストランのスタッフに小さな花束を渡して、デザートのとき持ってきてもらうよう頼んでおいたのだ。
僕の花束のタイミングは大丈夫だろうか。
早すぎたり、遅すぎたりしていないだろうか。
「みのりさん、この花の花言葉はね──」
と、練習した台詞をちゃんとしゃべれるだろうか?
花言葉は『あなたは特別な存在です』。
※ チャイコフスキー『悲愴』第3楽章の花束と、主催者のコメントのエピソードは、
指揮者・田久保 裕一さんのホームページ上のエッセイ「演奏会での拍手」に書かれている「実話」を元に創作しました。