かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

断片をたどって(創作掌編)

 

 さっきまで騒がしさが嘘のように、静かになった。

 私は、 ほっとして歩きつづける。不思議なくらい身も心も軽く、気分は上々だ。

 このところ、何かと大変だったけれど、済んでしまえばどうということもない。結局また、取り越し苦労だっだのだろう。

 今はただ、きらめくような幸福感に満たされている。

 

 道の先に、何か落ちていた。

 手のひらほどの大きさの、平たい断片だ。不定形としかいいようのない形で、表面には彩りゆたかな模様が描かれている。見ているだけで心楽しくなるデザインだったので、拾いあげてトートバッグに入れた。

 少し行くと、また小片を見つけた。色も形もさっきとは違う。やさしい中間色のグラデーションで、角が丸かった。

 

 私は、行く先々で断片を拾い集めながら、歩いていった。

 どす黒く濁った色もあれば、触れると手が切れそうなほど鋭い形もある。のっぺりしたもの、ふわふわしたもの、悲しいもの……。

(どんなひとが、落としていったのかな?)

 捨てていったのではないということは、わかっている。大切なものを落としていくほど、急いでいたのだ。

(ひとつのこらず拾って、届けてあげよう)

 やがてトートバッグはいっぱいになった。それなのに、少しも重くない。

 

 道がゆるやかなカーブを描いて、きれいな川に行き当たった。

 流れる水は明るく透きとおり、川底に敷きつめられた白い小石が、きらきらと光って見える。

 川幅は広いものの浅く、歩いてでも渡れそうだ。

 心を惹かれながら、しばらくながめていたけれど、落とし物を届けなくてはならないことを思い出した。

 見ると、川のそばに大きなミュージアムが建っている。あそこで落とし主に会えるかもしれない。

 

 ミュージアムの入り口は開放されていて、人影ひとつ見えなかった。

 エントランスホールの天井の高さに感心しながら入っていくと、奥から威厳のある老人が現れ、私を出迎えた。

「これを、持ってきました」

 トートバッグの中身を見せて説明する。

 老人は、表情を和らげてうなずくと、先に立って展示コーナーまで私を案内した。

 

 正面には、見たこともないほど大きな、壁画が描かれている。

 それは風景画だった。

 春の明るさ、夏の輝かしさ、透明な秋、静かな冬。四季のすべてが表現されていた。

 それはまた、人物画でもあった。

 私がこれまで、縁あって出会った人のすべてを見つけることができた。

 パノラマのように広がった絵の世界には、エピソードがちりばめられ、歌と音楽が流れ、物語が展開していた。

 暮らしがあり、旅があり、冒険があった。

 それらのすべてを、私は一目瞭然に見て取ることができたのだ。

 

 老人の合図で、奇妙な生き物が一団となって飛んできた。カエルによく似た姿をしており、色は空色で、背中に羽が生えている。

 かれらは、床に置かれたトートバッグのなかから断片を1つずつ取り出し、それを抱えたまま、次々に壁画の方へ飛んでいった。

 その動きを目で追ううち、完璧と思えた絵のあちらこちらに、欠落している部分があることに気づいた。

 空飛ぶカエルたちは、持っている欠片を、ぴたりぴたりと絵にはめこんでいるのだった。

 まるで、巨大なジグソーパズルにピースをはめていくように──。

 

 さいごのピースが収まった瞬間、絵と私が一体のものになったように感じた。

 頭が信じられないほど明晰に澄み切って、ようやく私は、自分が生まれてきた意味を覚ることができた。

 ずっと、人生に意味などないと思っていたが、あれは、ただ断片だけを見ていたからだったのだ。こうして全体がひとつにまとまってみれば、まさに意味そのものだった。

 

 奇妙な生き物たちは、仕事を終えて帰っていった。

 老人は退出する前に、いちどだけ振り向いて私を見たが、その顔には見覚えがあった。

 母方の曾祖父の顔だ。

 私が生まれる前に亡くなっているので、写真でしか知らないのだが、向けた顔の角度や表情まで、遺影そのままなのだ。

 わきあがってくる不安を振り払うように、私は壁画に向き直った。

 しかし、絵はすっかり精彩を失い、そればかりか、全体に無数の細かいひび割れが生じ始めているではないか。

(えっ、そんな!)

 悲鳴をあげようとしたが、弱々しいうなり声にしかならなかった。

 

 だれかがスイッチを入れたように、不快感と痛みが一瞬で身体中に広がった。ユニフォームを着た人たちが集まって、横たわった私の周りを動きまわっている。耳障りな機械音と薬品のにおいで、記憶の切れ端がよみがえってきた。

 私は数日間続いた高熱で意識を失い、救急搬送されたのだった。

 ようやく治療が一段落すると、今度は家族がやってきた。マスクと不織布のキャップで、顔の大部分が隠されていたけれど、泣いて喜ぶ姿を見て初めて、戻ってきてよかったのだ、と思う。

 

 時間切れで家族が連れ出されると、入れ替わりに、医療スタッフが来て仕事を始めた。

 陽気な女性で、いろいろ話しかけてくれるのはいいのだが、子供相手のような口調には辟易する。悪気がないのは承知しているし、これまで面倒をかけ、これからもお世話になる人なので、角が立たないように、穏やかにこちらの気持ちを伝えたいと思う。

 ところが、話し出そうとして戸惑った。

 思考はあれほど自由自在だったのに、まだ記憶が充分に戻っていないせいか、言語表現力がひどく不足しているようだ。

 四苦八苦してようやく出てきた言葉が、

「看護師のおねえさん、あたしはいくつだと思う?」である。

 

 看護師のおねえさんは、軽く目をみはり、手もとのクリップボードをすばやく確認してから答えた。

「星葉ちゃんは、ここのつよ。あら、もうすぐお誕生日が来るのねー」

 

 

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