以前、作家の吉村昭さんのエッセイで、
『鎖国』していた日本には海洋文学がないと言われるが、それは違っている。江戸時代に漂流し帰還した者たちから聴取した、何作もの「漂流記」こそ、日本独自の海洋文学ではないか──。
という内容の文章を読み「漂流記」の存在を知りました。
漂流者といえばジョン万次郎が有名ですが、彼以外にも、漂流した後に帰国を果たした人々がいました。
帰還した漂流民は、不可抗力とはいえ国禁を犯した容疑者と見なされ、長崎奉行所や各藩で取り調べを受けました。
このときに作成された訊問書である「口書(くちがき)」、「漂流記」、またはその写本類などが多数現存していて、漂流の実態を読み解くことができるのです。
弁才船(べざいぶね:江戸から明治にかけて使われていた大型木造帆船)の漂流が始まるまでには、一定のパターンがあり、「作法」が共有されていたことをうかがえます。
①天候が急変して強風が吹き始める。
②帆を降ろし、梶(かじ)だけを頼りにして漂う。
③船が破損し浸水が激しくなる。
④船底に溜まった海水(アカ:淦)を、桶でリレー式に運び上げて排出。スッポンと呼ばれる手動式のポンプも使用された。同時に漏水箇所に応急の防水処理を施す。
あらゆる措置を講じても、船体の破損や浸水が止まらず、転覆の危険がせまってくると、
⑤大声を上げて念仏を唱える。
⑥神籤(くじ)を引いて占う。
遭難中、重大な選択を迫られたとき、もっとも信頼された指針は神籤であった。方角や船の位置を占い、淦の浸水個所を占い、帆柱を伐るべきかどうかという船の運命はもちろん、上陸すべきかどうかなども、神籤で占って決定した。
⑦全員が髻(もとどり)を切ってざんばら髪になる。
髪にまつわる呪術は、古代以来の慣習であった。髻を切るなどの逸脱した髪型や、中世において烏帽子をかぶらないなどということは、社会的立場や地位を転換することでもある。〈中略〉
すなわち非日常的な状態にあるとき、髪型が蓬髪(乱れたままの髪)であることは、航海安全の保障には、毛髪の呪術がはたらいていることを示している。
切り取った髻は、伊勢大神や金毘羅大権現、海神や龍神、船神などの諸神仏に捧げるため、海中に投下するという慣習もありました。
取り調べにおいて、髪を切り払わなかったことで、叱責される例もあります。
さらに、いよいよとなると、
⑧捨て荷(刎ね荷)をする。
⑨帆柱を切断する。
理由として、帆柱に当たる風圧で転覆する、または、船体が緩んで沈没するおそれがある、ということが挙げられています。帆柱は、例えば一八〇〇石積み(約270トン)19人乗りの船で1メートル近い太さがあり、切断するのは危険をともなう大変な作業です。
人の命よりも積み荷の米を大事にする時代であり、捨て荷をしながら帆柱を伐ることなく、無事に帰還した場合、
「遭難を装って積み荷を売り払ったのではないか」
と、役人から厳しく詰問されたという記録も残っています。
船乗りとして出来得る限りの手を尽くしたあとは、積み荷という現世の利益を捨て、髪を切り払うことで社会的地位と日常を捨て、神仏を心の拠りどころにしたのです。
帆柱を失えば、もはや操船不能となります。
碇に長い綱をつけ海中に垂らして船を安定させ(「たらし」と呼ばれる状態で、現在のシーアンカー)、ついに漂流が始まるのです。