かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

父が少年だった頃

 

父が亡くなるひと月ほど前のことです。

私は、布団に横たわる父のそばに居て、テレビでも見ていたのだと思います。

どういうきっかけだったのか、父が思い出話を始めました。

 

少年の頃、1人で自転車に乗って遠出した話でした。

塩の効いたおにぎりと水筒を持ち、朝早く出発して、ずいぶん遠くまで行ってきたようです。

ところが話の中心は、どこへ行って何をしたという「冒険」の方ではなく、帰り道の出来事でした。

朝からの遠乗りで疲れていた父は、眠気と戦いながら自転車を走らせていましたが、とうとう居眠りをしたらしく、あっという間にバランスを崩して、自転車ごと転倒してしまったのです。

のどかな時代で、車や歩行者に接触することもなく、すり傷をつくったくらいで済んだのは幸いでした。

 

「道端で見ていた男の人たちに笑われて、恥ずかしかったな」

なつかしそうに笑って話す声を、私は相槌を打ちながら聞いていました。

そして、ふと見ると、父が涙をぬぐっていたのです。

胸を衝かれる思いがしました。

戦争体験者であり、当時は不治の病といわれた肺結核を、過酷な外科手術で乗り越えてきた父です。泣く姿を見た記憶がなかったので、何気ない思い出話で涙することが、意外でもありました。

 

少年だった父が見ていた、夕暮れの景色。

「気いつけなよ」

と、声をかけてくれた大人たちの笑いは、嘲笑ではなく、親しみのこもったものだったようです。

負けん気の強い父は、痛がる素振りを見せず、少し顔を赤くしながら自転車を起こし、走り出したのではないかと思います。

まるでその場に立ち会っていたみたいに、時折、心に浮かんでくる光景です。

 

 

 

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