かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

新しい家~New Home~(創作掌編)

 

 紀久代が引っ越してきたマンションの部屋には、ルーフバルコニーが付いていた。

 とはいっても、その名から連想される高級なものではなく、建築基準法斜線規制によって、建物の造りが途中から階段状なった結果、中途半端に広いバルコニーが出来てしまった、ということなのだ。

 

 賃貸契約の仲介をしてくれた不動産屋さんは、

ガーデニングや家庭菜園ができる花壇付きなんです。コンセプトマンションの走りだった物件ですよ」

 と、目を輝かせたけれど、居住者は単身の勤め人が多く、せっかくのコンセプトも宝の持ち腐れになっているようだ。タタミ1畳ほどもある花壇の土は乾いてひび割れ、前の住人がガーデニングを楽しんだ形跡はなかった。

 

  50歳を過ぎて想定外のひとり暮らし、右往左往して日々を過ごしているうちに、いつの間にか花壇には、どこからともなくやってきて根付いた野草が数種類、寄せ植えしたように生えていた。

 同じ階の人たちの大半が、花壇に覆いをかけ、上にできたスペースを活用していると知ったのは、後になってからのことだ。

 バルコニーに出現した小さな野原──。

 放置するわけにはいかないと思いながら、平日はカウンセラーとして契約している会社や法人に通い、週末には高齢の両親と、ひとり息子の創太のアパートを交互に訪ねて世話をやいているので、なかなか手がつけられずにいた。

 

 半年ほど経ち、ようやく新しい暮らしに慣れてきた頃、まずは創太、続いて両親から、

「そんなにしょっちゅう来てくれなくても大丈夫だから、もっと自分の生活を楽しんで」

 というようなことを言われた。嬉しくも寂しい、お役御免だ。

 

 突然あたえられた自由時間を持て余した紀久代は、しかたなく町を散策し始めた。

 アクセスの良さだけを理由に選んだ場所でも、歩きまわっているうちに、少しずつ愛着がわいてくる。

 おもしろい小売店や感じのいいカフェも見つけたけれど、いちばん心引かれたのは、建て込んだ町なかに存在する、ささやかな野原だった。

 周りを家に囲まれた更地、何かの建設予定地、手入れがされなくなって久しい庭など、町の片隅で放任されたスペース──。

 ちょっとした空き地に自生する草花の生命力には、目をみはる思いがした。発見するたび、散歩コースに組み入れた。

 紀久代のお気に入りは、自宅にほど近い空き地だった。ご近所のせいか、バルコニーの野原と植生が似かよっていて親しみを感じる。

 

 そしてなによりも、そこで小鬼の姿を見かけたのが、決め手になった。

 

 手のひらに収まりそうな小鬼は、夕焼けの色をした赤鬼だった。あっという間に姿を隠してしまったけれど、乳白のオパールを思わせる短い角が1本あることも見てとれた。


 紀久代が生まれ、小学生の頃まで住んでいた土地では、小鬼は珍しくはあっても身近な存在だった。当時はどの家でも、親戚のなかに1人や2人は、見たことがあるという者がいた。

 紀久代自身も、学校の帰り道で小鬼とすれちがったとき、びっくりするのと同じくらい嬉しかったことを思い出す。嬉々として、そういう不思議にくわしい年寄りのところへ報告しに行ったものだ。

 

(あの時とくらべると、ずいぶん小さく見えるのは、私がおとなになったせいかしら。それとも場所柄かしら? 都会では小鬼も生きにくいでしょうね)

 散歩の途中で通りかかるとき、空き地に出来た野原と、そこに住んでいるなつかしい生き物に思いをはせた。

 

 けれど、町なかの野原は、たいてい期限付きだ。

 先週までは草が生い茂っていた場所が、次の週末には跡形もなく整地されている光景を何度か見た。

 そしてとうとう、特別に思っている空き地にも「建築予定」の看板が立ってしまったのだ。
 胸がふさがるような気持ちのまま家に帰った。夕飯の支度も忘れて考えに沈むうち、窓の外が暗くなっていく。はっとして時計を見ると、8時近い時刻になっていた。

 

 紀久代は意を決して、その夜ふたたび、あの空き地へ向かった。

 人通りが絶えた道で、建築予定の看板の正面に立つ。

「赤鬼さん」

 ささやくような低い声で語りかける。

「私は、すぐそこに建っているマンションの801号室に住んでいる者です。もうご存知かもしれませんが、この野原は近いうちになくなってしまいます。それで、もし、まだ行く先が決まっていないようでしたら、私のところへいらっしゃいませんか。うちのバルコニーには、こことよく似た場所があります。狭苦しい野原ですが、よろしかったら住んでみてください」

 一気に言うと、逃げるように立ち去った。こんなに真剣になったのは久しぶりのことだ。

 

 紀久代の思いが通じたのか、翌朝になると、小鬼はバルコニーの野原に引っ越してきていた。

 

 

 

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