麻紀が勤務する会社は、4月で期が改まる。
所属している部署では、決算期前後の事務処理のため、3月半ばからの1ヶ月が年間を通して最も忙しかった。
連日の残業と休日出勤は当たり前。大量の伝票入力から専門的なデータ解析まで、業務を手分けして処理し続け、ようやく今年も無事に決算を済ませることができた。
共に乗りきった事務スタッフ同士で労をねぎらい、紙コップのビールでひそかに乾杯してから会社を出た。
立っている乗客が多い電車に乗ると、勤め人が帰宅する時間帯に間に合った気がした。
明るくざわめく商店街を通るのも久しぶりだ。疲れてはいても安らかな気分で、家へと向かう道を歩き出した。
自分に合った仕事だ。やりがいも感じている。それでも、残念なことがひとつあった。
(今年もまた、お花見ができなかったなぁ)
会社への行き帰りの道にも、桜は咲いていた。
通りがかりに足をとめて、満開の花を見あげてみたけれど、目には映っているのに、心まで届いてこなかった。気持ちに余裕がなかったせいだろう。
「忙しい」とは、心を亡くすこと。誰かに聞いたことばを実感した。
商店街のとぎれたところには公園があって、ぐるりと桜の木が植わっている。
10日ほど前までは、夜桜を楽しむ人たちが宴を張っていた場所も、今は静まりかえっていた。
はらりと、小さく白いものが胸もとに舞い落ちてきた。思わず、手のひらで受けとめる。
(桜の花びら?)
麻紀は首をかしげた。
公園に立ちならぶ桜は、すっかり花を終えているように見えるのに──。
花びらをそっとにぎって公園に入っていき、桜の花を探して木々を見あげた。
思わず笑顔になる。
暗く茂って見える葉のなか、あちらにも、こちらにも、こっそりと顔をのぞかせるように、桜の花が咲いていたのだ。
葉桜に咲き残った花は、寄りあつまって小さなかたまりをつくり、内側にほのかな明かりをともしたように、白く浮かびあがって見えた。
「なんてきれいな、さくら」
つい、声に出して呼びかけたとき、すぐとなりで、
「まことに」
と、古めかしい同意の声があがったから、おどろいて飛びあがりそうになった。
花を探すのに夢中で気づかなかったけれど、麻紀のほかにも、桜を愛でていた人がいたらしい。
その人は、風変わりな服装をしていた。
狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)、烏帽子(えぼし)――、服というより、装束と呼んだほうがぴったりする。
(コスプレ?)
と思ったが、いわゆる「人品卑しからぬ」という雰囲気を感じて、考え直す。
(ああ、神社の人かな。今日は『雅楽の夕べ』だったのかしら)
公園の裏は、幼いころからお参りしてきた神社だった。
祖母に連れられて、神楽殿で演じられた雅楽の会を見にいったこともある。あのときの楽師のような格好だ。
「こんばんは」
びっくりしてしまった照れかくしもあり、平静を装って挨拶すると、なごやかな笑みを浮かべ、会釈を返してくれた。
葉桜にほのぼのと咲く花の可憐さを分かち合った仲間だと思うと、親しみがわいてきて、
「今夜、偶然この花を見ることができて、ほんとうによかったと思います。満開の桜は見逃してしまったので」
「見のがした……」
「ええ、仕事が忙しくて、花をゆっくり楽しむヒマがなかったんです」
答えると、彼は心から同情するようにうなずき、痛ましそうに眉をよせた。
「それは気の毒な事でございましたね」
手をかざして、再び花に目を向ける相手につられ、麻紀も顔をあげた。
目が慣れてきたせいか、花の白さが先程よりもきわだって見える。
桜の花が満開で、夜でもあたりがほの明るく感じられることを「花明かり」というけれど、ひっそりと咲き残る花に下にいても、不思議な光に包まれる心地だった。
その光のなか、時折、花びらが舞い落ちていく。
切なさが胸にしみた。
ひと時が過ぎ、偶然の花見客となった2人は目礼を交わして、それぞれ別の方向へ歩き始めた。
ふと振り返り、公園の奥へ向かって遠ざかる背中を見て、麻紀は思った。
(あ、やっぱり裏の神社へ帰っていく)
その瞬間、薄闇にぼんやり見えていた後ろ姿が、ふっと消えた。
ちょうど公園のなかほど、大きな石碑があるあたりだった。足早に近寄って、影という影を透かし見たけれど、誰もいない。
はっと思い当たり、そばに立つ石碑を振り返った。
この町の公園には、それぞれに花を詠んだ和歌の歌碑が立っている。麻紀が目にしているのは、百人一首にも選ばれた、紀友則の歌だった。
久方の ひかりのどけき 春の日に
しづこころなく 花の散るらむ
詠まれた三十一文字には、不思議な力が宿っているという。
「ことだま」と呼ばれるその力が、風雅な姿となって立ち現われ、花見のひと時を贈ってくれたのかもしれないと、麻紀は思った。