かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

逃げ遅れる50代女性

 

 少し前のことです。

 午前2時過ぎ、マンションの部屋に設置されている火災感知器が鳴りました。

就寝中だったので飛び起きると、警報音の合間に、「同じ階で火災が発生している」という音声も聞こえます。

あわてて内廊下をのぞいてみたところ、2つ先の部屋のドアのすき間から、白い煙が流れ出ていました。

 

他の部屋のドアも開き、顔見知りらしい隣人が、名前を呼びながら煙の出ているドアをたたいています。

じきに、消防車のサイレンの音が遠く聞こえ始めました。

 

(これは、避難すべき状況?)

部屋に戻って考えた私は、おろおろもたもたしながら身支度をし、さらに通勤バッグに携帯電話や通帳を入れたりしました。

その間、何度かドアの外をのぞきに行き、無駄に時間を費やしながらです。

いつ見ても廊下は静かで、もう人影も見えず、火元らしき部屋のドアから漏れ出る煙と、しだいに近づいてくる消防車のサイレンがなければ、夢だったのかと思うほどでした。

 

いざ部屋を出ようとすると、ちょうど消防士の方たちが到着して、ドアの前に集まったところです。

非常階段は火元のドアの向こう。

(今、出て行ったら邪魔になる)

と思い、いったん部屋に引っ込みました。

 

そして、頃合いを見計らい、次にドアを開けたとき、すでに内廊下には黒煙が充満していたのです。

大量の煙が流れ込んできたので、咳き込みながらドアを閉め、部屋の窓をすべて開け、ベランダに出てしゃがみこみました。火災の煙は上方に広がるので、姿勢を低くして吸い込まないように、と聞いたことがあったからです。

 

「まずい、逃げ遅れたかも……」

繰り返し呟いていました。

火災感知器は部屋のインターフォンとセットになっています。受話器を取ってみると、緊急対応サービスにつながりました。部屋番号と、部屋から出られない状況を知らせます。

 

すでに消火は始まっているわけで、このままベランダにいれば大丈夫だと、冷静に考えている部分もあったのですが、やはりパニックを起こしていたのでしょう。

玄関まで靴を取りに戻り、よせばいいのにまたちょっとドアを開けて、入りこんでくる黒煙におびえたりしていました。

ベランダの柵は防犯上やや高めで、外から見えないようになっています。もちろん立ちあがれば顔を出せるのですが、表もかなり煙ってきて、吸い込むのが怖かった。

 

靴をはいてベランダにうずくまり、ふと見ると、床に避難ばしごの蓋が――。

とりあえず逃げ道を確保しておこうと蓋を持ち上げ、引っ掛かっているチェーンを手さぐりではずしました。

蓋を開けると、下側の扉も連動して開くらしく、真下の階のベランダだけでなく、外の通りまで見下ろせました。

「押す」というボタンを押し下げると、たたまれたハシゴが一気に降りていきました。

 

1階分といってもけっこうな高さだし、下の階のベランダ窓の鍵が開いているとは限らない。このハシゴを降りるのは最終手段だと思いながら、こわごわのぞきこんでいるとき、表の通りで侵入規制をしていた警察の方のひとりと目が合ったのです。

すぐに情報が伝わり、消防士の方が部屋まで迎えに来て、避難誘導をしてくださいました。

タオルで口を押さえ、消防ホースをよけながら階段を降りました。煙で目とのどが痛かったので、大事をとって救急搬送。受診の結果、心配なしとのことで、支払いを済ませて、大通りでタクシーを拾い、帰ってきたのが午前4時少し前です。

世界一安全な国に住んでいるありがたさが身にしみました。

 

避難していたマンションの入居者は部屋に戻り、侵入規制も縮小されていたものの、まだ数台の緊急車両が停まり、騒然とした雰囲気が残っていました。

部屋に帰ると、ドアの鍵はもちろん、窓もすべて開けっぱなしです。

そして、避難ばしごのハッチも――。

 

横になっても眠れるはずはなく、強い煙のにおいを感じながら頭に浮かぶのは、あの避難ばしごをなんとかしなければ……でした。

再び起き出して、スマホで避難ばしごの収納方法を検索します。見つけたサイトで、手順を確認しつつ、空が明るくなるのを待ちました。

幅1メートル足らずのベランダに、60数センチ四方の避難ハッチが開いています。

蓋の裏側から、付属の巻上げハンドルを取りはずし、軸にしっかり差し込んで「右回り」に回す。せまい場所でバランスを取りながらの収納作業なので、とても怖かったです。

 

 

日頃、事件や事故の報道で、50代の女性が逃げ遅れたり、巻き添えになったりしているのを見聞きすると、自分と重ねて気になっていました。

とっさの判断力や反射神経などが、加齢により変化してきているのに、自覚がまだ追いついていないのかもしれないと、わが身を顧みて考えていました。

けれど、当事者になってみて、年齢性別より、自身の性格や習性の方が問題なのだと実感しました。

 

普段から私は、相手に迷惑がられるのではないかと、余計な逡巡をしがちです。

心理的な生活習慣みたいなものです。今、何がいちばん大切かという、優先順位がずれていました。

相手の身になって考えるのは悪いことではないですが、「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」で、今回のように、消火活動中に貴重な人員を割いて部屋まで迎えに来させれば、かえって大迷惑です。

 

恐れず、面倒がらず、行動すべき時に行動する。

決意したからといってすぐ身につくものではないので、日々意識して練習を積んでいこうと思います。

喉元過ぎても熱さを忘れぬよう、記事にしてみました。