庭に咲く花を摘むことにあこがれて、翠は園芸を始めた。
土作りをした花壇に種や苗を植え、夢中で育てているうち、家じゅうに飾ってもありあまるほど、花があふれてきた。
それでも、次に咲かせたいと思う花は、尽きることがない。
友だちや知り合いにプレゼントしても限りがあって、とうとうフリーマーケットで売ることを考えた。
近所の空き地では、月に1度「ものづくりフリーマーケット」が開催されていて、翠も立ち寄ったことがある。
(あのフリマに申し込んでみようか。「ものづくり」だから、ただお花を並べるのではなく、花束にアレンジしたほうがいいかしら)
庭いっぱいの花に押し出されるように、翠は思ってもみなかった行動に駆り立てられたのだ。
初出店の日は、緊張のあまり手がふるえた。
花束や備品をカートに載せて運びながら、いっそ引き返そうかと何度も思った。
双葉のときから大切に育て、朝摘みした花。幾種類もの花を組み合わせて、それぞれに個性の違う花束を作った。
かわいらしいもの、シンプルなもの、華やかなもの、シックで落ちついたもの……。
余りの花も、おまけのサービス用に1本ずつラッピングした。
(この花たちを、放り出してしまうわけにはいかないわ)
自分をはげましながら、会場へ向かった。
割り当てられたブースに行ってみると、となりの出店者はすでに準備を済ませていて、慣れない翠を手伝ってくれた。
自分で焼いた陶芸品を売っている女性で、名前は曜子さん。
やさしい笑顔が印象的だった。
もし曜子さんと、となり合わせにならなければ、そのあと半年、1年と、続けてこられなかったに違いない。
今ではもう、フリーマーケットで花束を売ることは、翠にとって生活の一部だ。
中心に近い、とても大事な一部だった。
今日も、早朝から起きて花束を作った。
どんな名前の花を組み合わせているのか、花束ごとにカードを作っておく。興味を持ったお客さまに渡すためだ。
フリマ日和のおだやかな天気だった。
途中、曜子さんと落ち合って、会場までいっしょに歩いた。
初めてのお客さまもいるし、毎回のように来てくれる方もいる。
「仏さまのお花」として仏壇に供えるという老婦人は、翠の祖母に少し似ていた。
玄関に花があると、帰宅したとき出迎えてくれているようだと笑う、ひとり暮らしの女性。
奥さんとケンカして、腹立ちまぎれに散歩していた男性は、ずいぶん迷いながら、ピンク色の花束を選んでいった。
求めてくれる人に花束を手渡すことは、花を育てるのと同じくらい楽しかった。
けれど、ほんとうに特別な瞬間は、また別にやってくるのだ。
花束を完売して、ブースを片付けているとき、翠はふと手をとめて、宙を見つめる。
いつも、ほんの1、2分のあいだのことだった。
「翠さんの、瞑想タイム」と微笑んで、曜子さんがそっとしておいてくれるのが、とてもありがたい。
翠の目に映っていたのは、どこからともなく舞い降りてくる、無数の花びらだった。
淡い色の花びらは、髪に触れ、肩をかすめて、地面に着く前に消えていく。
ふしぎなかがやきに包まれ、翠はまばたきもせずに見つめていた。
するどい刃物で花々を断ち切り続けてきた、この両手にも、やさしい花びらが、惜しみなく降りかかるのを……。