かきがら掌編帖

10年あまり通っていた童話教室で「宿題」として書いたものに加筆修正して載せています。

あたたかい窓の明かり(創作掌編)

 気持ちがふさぐとき、行き詰って出口が見えないとき、

(どこか遠くへ行きたい)と、思う。

 けれど、人混みと乗り物が苦手で、そのうえ冒険嫌いな真希が、思いにまかせて旅立ったことは、一度もなかった。

 

 今日も気ままに出てきたわけではない。

 会社に電話して休暇を取り、たとえ宿泊することになっても困らないよう、バッグに荷物も詰めた。

 最寄り駅で、いつもとは逆方向の電車に乗った。乗換駅で降りて、ひと休みした後、また別の路線を選ぶ。そんなことを繰り返しているうちに、自分がどこへ行こうとしているのか気づいた。

 遠回りして、寄り道しながら、「おうち」へ向かっていたのだ。

 

 真希の両親は、根っからの都会育ちで、利便性の高いマンション住まいを好んでいた。それでも「子供は一軒家で育てたい」という思いがあり、真希が生まれてから小学校を卒業するまでの12年間、狭いながらも庭のある家を借りて暮らしたのだった。

 折に触れて思い出す。

 あっという間に沈んでいく秋の夕日と競争して帰ると、窓の明かりがあたたかく輝き、晩御飯のいい匂いがしていた。玄関の扉を開け「ただいま」と言う直前の、幸福な瞬間。

 今では別の家族が住んでいるとしても、窓の明かりは同じように灯っているはずだ。

「ひと目、見に行こう」

 行き先がはっきりして、心が軽くなった。

 

 ところが、思い通りにはいかないものだ。

 すっかりリニューアルしてしまった駅で降り、記憶を呼び起こしながらたどり着いた場所に、もう家はなかった。

 真希の家だけではない。右隣の2軒と、左の1軒、裏手の製麺工場が消えて、跡地には四角いビジネスホテルが建っていたのだ。

「パークサイドホテル」

 真希は、回れ右して歩き出した。

 

(パークサイドを名乗るには、少し公園から離れすぎじゃないかしら)

 胸のなかで文句を言いながら、ここだけは変わっていない公園を通る。道と道にはさまれた細長い公園だ。まわりをふちどるように並んだ木々が散らした落ち葉を、蹴とばすようにして歩いた。

 公園のまん中には、1本のセイヨウミザクラが植わっていて、丸い柵で囲われた根元は芝生になっていた。夏になると、ほんとうのサクランボがなる樹だ。

「あれは観賞用だから食べちゃダメ。農薬がたくさんかかっているのよ」

 母親からきつく止められていたそのサクランボを、真希は食べたことがある。

 勇敢な仲間がいたからだ。

 

 ベンチに腰かけて、サクランボの樹を見あげた。

  (あのとき一緒にいたのは、誰だったかな?)

 よく遊んでいた友だちを、ひとりひとり思い浮かべてみたけれど、みんな真希と同じ、おとなしい良い子ばかりで、とてもそんなことはしそうにない。

 公園のサクランボを食べたことが発覚して、母親にしかられていたとき、

「マキは悪くない、悪くないよ!」と、となりで叫んでいたのは誰だろう?

 

(ちがう、となりじゃない)

 突然、あのとき五感で感じていたすべてが、はっきりとよみがえってきた。

(あの子がいたのは、私の心のなか。あの子の声は、私の頭のなかで響いていたんだわ)

 想像から生まれた、双子のかたわれのような親友。

 

「ルビ。名前だって、私がつけたのに」

 大切なことをすっかり忘れていた自分にあきれていると、憤然とした声が正面から聞こえた。

「そうじゃないでしょ、さいしょマキは、ルルだとかロロだとか呼んでたじゃない。あたしが自分でつけ直したのよ!」

 樹をはさんで真向いのベンチから、小さな人影が飛び出して、一直線に向かってくる。

 アーモンド形の目、短い髪の毛が火花みたいにはねている。スカートをはいていなければ、男の子と見まちがえそうな女の子だ。それでも、どことなく真希に似ていた。

 

「ルビなの?」

「そうだよ。おかえり、マキ」

 飛びついてきたルビを、両手で抱きとめた。

「私たちのおうち、なくなっちゃたんだね」

 言葉にしたとたん、涙がこみあげてくる。

「なくなってなんかない。あたしがどこに住んでると思ってんの? 今日みたいに木枯らしが吹いた日は、お母さんはきっとシチューをつくるよ。お父さんも、もうじき会社から帰ってくる」

 ルビの指さすほうを見て、真希は首を横にふった。

「だけど、そっちは逆だよ。駅に行く道」

「マキったら、忘れたの? この公園が合わせ鏡になっていること。こういう場所は、ほかと全然ちがう。今なら、おうちがあるほうへ行けるよ」

 公園のデザインが、セイヨウミザクラの樹のところで、鏡に映したような左右対称になっていることを、真希は思い出した。並木や花壇の位置、植わっている種類まで同じなのだと、楽しそうにルビが教えてくれた。

 真希と違ってルビはいつも、全体の形と意味に、強く引き付けられていたのだ。

 

(どこか遠くへ行きたいって、このことだったのかもしれない。今じゃない、いつか、ここじゃない、どこか)

 そう思いながらも、真希はベンチから立ちあがれずにいた。

「もう帰りたくないの?」

 となりに座ったルビが聞く。

「ううん、帰りたい気持ちはあるよ。でも、なんていうか……、あともどりはしたくない、やっぱりね」

「それでいいよ。おうちは、あたしがちゃんと見ていてあげるから、マキは安心して先へ進めばいい」

 ルビの言葉は、頼もしい約束のように心に届いた。

「ありがとう。今日はこれからどうしようか。そうだ、いっしょにパークサイドホテルに泊まってみない?」

「おもしろそう。入ってみたかったんだ」

 バッグのなかからスマートフォンを取り出すと、予約アプリを開いて、空室状況を検索する。

「よかった、空いてる部屋があったよ」

 すぐに予約して、確認の返信メールを待つ。そのようすを、ルビが目をまるくして見あげていた。

「マキ、すごい。立派になったね」

「これでも私は、自立した社会人だもの。確認メールが来た。これで予約完了」

 ルビは、その場で飛び跳ねてよろこんだ。

 

「ひとつベッドに寝て、たくさんおしゃべりしようね。それより、前みたいに私のとこに戻ってくる?」

 と、聞いてみる。

「ううん、やめておく。あたしもひとり立ちしたし、あともどりはしたくないから」

 真希は笑いながらうなずき、ルビと手をつないで歩きだした。

 

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