クラシック音楽の知識は、中学校の授業止まり。成人してから足を運んだクラシック系のコンサートも、イ・ムジチ合奏団、ウィーン少年合唱団、あとは作品名も忘れてしまったオペラくらいで、すべて人に誘われてのことでした。
それくらいクラシック音楽から遠く離れて生きてきた私が、2年半前、突発的にイツァーク・パールマンのファンになりました。
イツァーク(と、呼ばせてください)は、1945年イスラエルのテルアビブに生まれ、20世紀における最も偉大なヴァイオリニストのひとりと評価されています。
イツァークのバッハ、それからモーツァルトと、喜んで聴いていたちょうどその折り、来日公演決定のニュースを見つけ、幸いにもチケットを入手することができました。
とはいえ、ヴァイオリン・リサイタルというものに関して、右も左もわかりません。
曲目は発表されていたので、まずはその曲を「知る」ところからのスタートです。リサイタルまでの数ヶ月間、なにかの特訓のように、あるいは受験勉強のように、繰り返し聴きこみました。
また、リサイタルは2部構成になっているようで、1幕目は発表された曲を演奏し、2幕目は、
ヴァイオリン名曲集(当日パールマン氏がステージ上からご案内いたします)
とのことらしい。なんだか、シェフの気まぐれアラカルトみたいと思いつつ、イツァークのベストアルバムや小品集も、押さえておくことにしました。
当日は、期待と予習疲れで、ワクワクヨロヨロ状態です。
会場のホールは美しく、11月だったのでクリスマスの飾りつけがすてきでした。ドレスアップしている観客も多くて、気持ちが華やぎます。
席は2階席で、比較的前の方です。
ステージにはヴァイオリニストが座る椅子が1脚、ピアノが1台。
開演を知らせる鐘の音のあと、舞台下手から現われたイツァークを見て、となりにいた姉が、
「わー、感じいい」とつぶやきました。
ほんとうに、感嘆するほどの、感じよさでした。
イツァークは4歳のときポリオにかかり、下半身が不自由なので、電動車椅子での登場です。その車椅子のスピードがけっこう速い。共演者のピアニスト、ロハン・デ・シルヴァは慣れたもので、さりげなく大股に歩いて付いてきていますが、ピアノの譜面をめくる女性は、ほとんど小走りといってもいいくらいです。それがまた、なんとも微笑ましい。
そして、イツァークの弾くヴァイオリンの音色は、とても豊かで、すばらしいものでした。
――でしたが、あと少しのところで、私は音楽にひたりきることができません。
慣れていないし、緊張しているし、一生懸命聴こうとし過ぎている。リラックスなんて、しようと思えば思うほどできないものです。
2幕目は、きまぐれアラカルトのヴァイオリン名曲集。
ピアニストのロハンが、山のような楽譜を抱えて登場しました。ほんとうに、その場のインスピレーションで1曲ずつ決めていくので、待機しているロハンは、そこはかとなく緊張感をただよわせています。イツァークが曲名を発表した直後に、ピアノ用の楽譜を探しださなければならないからです。楽譜をめくりながら曲を選んでいるイツァークの手元を、伸びあがるようにして見つめています。
イツァークがいたずらっぽい微笑を浮かべて、そんなロハンをちらっと見たりすると、観客席からクスクスと笑う声が起きます。なごやかな雰囲気のなか、私は依然として音楽に没頭はできなかったけれど、「まあ、いいか」という気分になっていました。
そして、何曲目だったか、イツァークが曲名を言い、ロハンが楽譜を探しはじめ――、探して、探して、なかなか見つからない。譜めくりの女性も探索に加わり、ようやく見つかった瞬間、
「Yes!」
イツァークが茶目っ気たっぷりに言ったのです。
会場全体に、波紋のように広がっていく笑い。
私も笑いながら、ふっと肩の力が抜けたのを感じました。イツァークの明るく大きなハートに触れて、とても満ち足りた心地でした。
忘れえない、最高の演奏会になりました(幕間のシャンパンもおいしかった)
さて、イツァーク・パールマンは今年、2年ぶりに来日します。
チケット発売開始直後からPCにかじりついて、前回以上の席をゲットしました。
リサイタル当日まで、残すところ後3週間。
予習のほうは、ほどほどにがんばっています。