かきがら掌編帖

10年あまり通っていた童話教室で「宿題」として書いたものに加筆修正して載せています。

イソップの太陽(創作掌編)

 30年も前のことだけれど、ありありと覚えている。

 古びたオフィスビルが立ち並ぶ街角、道路をはさんで向かいあっている2棟のビル。共に7階建てで、片方が灰色、もう片方は煉瓦色だった。

 私が数ヶ月のあいだ夜間の警備員をしていたのは、灰色のビルのほうだ。

 学生時代の仲間と起業したアイデア商品の会社が倒産し、心底がっかりしながら、アルバイトの掛け持ちをして借金を返していたのだ。

 

 警備の仕事をし始めてまもなくの頃だった。地下1階から最上階の7階までを巡回し終わった後、私は非常階段の踊り場に立ち、暗い街並みをながめていた。

 午前2時過ぎ、人通りはなく、ほの白い街路灯がわびしく見えた。

 思わずため息をつく。

 自分の頭の中でひらめいた考えを、仲間と一緒に製品化し、それが世に出て誰かの役に立つことを信じていた日々――。目がまわるほど忙しかったけれど、失敗も多かったけれど、楽しかった。

(ほんとはもう少し、みんなとがんばりたかった。でも、これでよかったんだ。大きな負債をかかえる前に、会社をたためて)

 自分に言い聞かせていた時、ちょうど視線の先にあった向かい側のビルの窓に、明かりが灯った。

 

 私は二重の意味で驚いた。ひとつは、こんな真夜中のオフィスビルに人がいたこと。そしてもうひとつは、その窓に風変わりなステンドグラスがはめ込まれていたことだった。

 電灯の光を受けて窓に浮かびあがったのは、オレンジ色の太陽だ。しかもその太陽には顔があって、満面の笑みを浮かべている。外国の絵本に出てくるような、豊かな表情で、私はイソップ寓話の「北風と太陽」を思い出した。陽気でユーモラスなイソップの太陽が、私の心を照らすように笑いかけている。

 あの窓の内側で、自分以外にも誰かが働いている。それだけのことを、ふしぎなほど心強く感じた。

(大切な用事を思い出して、駆けつけたビジネスマンだろうか。それとも、こっそり忍びこんだ企業スパイだったりして……)

 窓の灯りを見ながら、想像をめぐらせた。

 

 翌日の夜も明かりは灯った。1日おいて、その次の夜も。気まぐれに、ひんぱんに、イソップの太陽は現れつづけた。

 私は心待ちにするようになった。3日も間があいたら寂しく思うほど。

(時差のある外国と取引している貿易商かもしれない)

不眠症の経営者?)

(実はあの部屋は住居で、病弱な少女が若き夜警の僕に恋してしまったとか)

(やり残した仕事が気になって、成仏できない幽霊……)

 

 あれこれ空想しているうち、ふたたび、頭の中にひらめきが戻ってくるのを感じた。

「こうしてはいられない」

 という思いにせかされて、私は進み始めた。 

 あらゆるつてを頼り、家電ベンチャーの会社に職を得ると、がむしゃらに働いた。雑用と呼ばれる単純作業や力仕事も、率先して引き受けた。無心に体を動かしていると、アイデアが湧いてくる。次から次へと企画書を作り、「まるでSF作品だな」と突き返されては練り直し、再提案を繰り返した。

 借金を完済するころには、企画もすんなり通るようなっていた。クライアントや取引先との応対も増えてくる。相手と打ち解けると、私はよく、真夜中に灯る窓の明かりの話を持ちだした。イソップの太陽に笑って、その人なりの謎解きをしてくれると嬉しかった。

 正体はザシキワラシではないかという人、いや守護天使だという人。

 もちろん、困ったように首をかしげる人や、まったく興味を示さない人もいる。

 

 いちばんおもしろく聞いたのは「未来の自分説」だ。

「いつかきっと、あなたはその部屋の持ち主になるのよ。そしてある夜、午前2時に窓から向かいのビルを見ると、非常階段の踊り場に立っている警備員、つまり過去のあなた自身がいるの。そこで、未来のあなたは明かりを灯し、あたたかいイソップの太陽を輝かせて元気づける」

 話してくれたのは工業デザイナーの女性で、今では私の妻だ。

 

 長い年月にわたって、たくさんの人々に、同じ話をし続けてきた。

 その場限りで終わらず、人から人へと話が伝わることもあったのだろう。それが巡り巡って30年後に、あのイソップの太陽の持ち主と引き合わせてくれるとは、想像もしていなかった。

「びっくりしましたよ。あの街で、煉瓦色のビルの7階、窓に太陽のステンドグラスといったら、それはうちの事務所じゃないかと。いや、数年前に引退しているので、今では別の会社になっていますがね」

 にこやかに話しているのは、白い口髭をたくわえた老紳士だ。

「当時は、どんなお仕事をされていたんですか?」

 私は身を乗りだして尋ねた。

「妻とふたりで、西洋アンティークの買い付けをしておりました。あのステンドグラスもヨーロッパで見つけたものです。気に入ったので職人さんにお願いして、事務所の窓に組み込んでもらいました」

「そうだったのですか。では、やはり、時差の関係で夜中にお仕事を?」

 あっさりと謎が解けて、私は肩の力を抜いた。しかし、意外にも相手は、首を横に振ったのだ。

「いいえ、そこが私も不思議だったんですよ。事務所はオフィス兼倉庫で、開けていたのは普通に朝から夕方まででした。当時は、管理人が夜の10時にビルの出入り口を施錠してしまうので、締め出されたら大変です。他の会社の方々も9時過ぎには帰っていたはずですよ」

「それじゃ、真夜中に灯っていた明かりは、いったい……」

「ひとつだけ、考えられることがあります。私たちは月に半分は海外に行っていたので、その間、事務所は留守になります。夫婦ふたりでやっていた会社ですからね。これでは物騒だと心配した妻が、ある日、タイマー付きの防犯ライトをいくつか買ってきました。窓辺やドアの近くに置き、毎日決まった時刻に点灯と消灯をしていれば、長く不在であることを知られずにすむだろうと。そのおかげか、事務所荒らしに遭うこともありませんでしたが、たぶん、そのライトのひとつが誤作動を起こしていたんでしょう」

 思いがけない事実に、私は声もなく話を聞きいっていた。

「もちろん、夜中のことなので、私たちは気づきませんでした。とはいえ、誤作動していたのは、あの時期だけだったと思いますよ。そんな怪現象が長く続いていたら、いくらなんでも耳に入るでしょうから。まだパーソナルセキュリティの機器がめずらしかった時代です。あのライトも、どこか小さなメーカーのものでした」

 

 そのメーカーこそ、30年前に倒産した私たちの会社に違いない。製品第1号だった「るすばん灯」の明かりが、暗闇の淵から私を救いあげてくれたのだ。

 

 

 

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