日が暮れるのを待って、和奈は新盆の白い提灯に火をともした。
窓辺に提灯をつるしてから、母に声をかける。
「次は、迎え火だね?」
母は小さくうなずいたけれど、立ちあがろうとはしなかった。
和奈はひとりでベランダに出ると、用意しておいた迎え火をたいた。マンションの7階なので、煙を気にしながら、ささやかに火をたくことしかできない。
(こんなに小さな迎え火で、お父さんに見えるのかな……)
心もとない気持ちで、くすぶりながら燃える火を見つめた。
父が亡くなってから半年になる。頑固で口下手だった父を、いつも笑顔でささえていた母は、ずいぶん寡黙になってしまった。ついこのあいだ、季節はずれの風邪をこじらせて寝ついてからは、一日中ぼんやりしていることが多い。
そんな様子をみていると、父だけではなく母までも、手の届かないところへ行ってしまいそうで哀しくなる。
迎え火を終えて居間にもどると、うす暗い部屋のなかで、母の背中が小さく見えた。電灯のスイッチを入れようとした和奈を、母が振りむいて止めた。
「まだ、点けないで」
「あ、そうか。提灯の火が消えてないね」
となりに座り、盆提灯を見あげる。気を引きたてるように話しかけた。
「明日は、お姉ちゃんも一家でやってくるから、にぎやかになるね」
母は黙って祭壇を見つめている。盆飾りは、和奈がスーパーマーケットで、一揃いになっているものを買ってきた。付いていた説明書をたよりに、ひとりで盆棚をととのえたのだ。
ふと、母の手もとに目をやると、大切そうに何か持っている。
「お母さん、それなぁに?」
「ほおずきよ」
あざやかな朱色のほおずきが、手籠に盛ってある。それを両手で包みこむようにして、ひざの上に置いていた。
「いつのまに買ってきたの?」
「今日、和ちゃんが、お仕事に出かけているあいだ」
ひとりで買い物に行くほど、元気を取りもどしてきたと知って、和奈は少し明るい気持ちになった。
「母さんの実家の方では、新盆には、ほおずきをたくさんお供えするのよ。ほおずきは『鬼の灯り』といってね、ほら、こんなふうに――」
声につられて、肩ごしに手籠のなかをのぞきこむ。
母はやさしくはげますように、ほおずきをゆすった。
「ほら、ね」
すると、ほおずきのひとつひとつが、まるで内に火をともしたように輝きはじめたのだ。
和奈が息をのんで見つめるうち、ひとつの実から小さな光の球が、ぽっとゆらめき出た。
ひとつ、またひとつ――。あたたかな金色の光が、ほおずきの実をはなれて浮かびあがっていく。光の球は、あかあかと部屋を照らしながら輝きを強め、次から次へ窓ガラスを通りぬけると、夕暮れの空にちらばっていった。
そして、星座のように、ひとつの形をつくったのだ。
「あれは、舟だわ」
ほおずきの灯りにふちどられた舟が、きらめきながら浮かんでいる。
耳もとで母が歌うように言った。
「お父さんを乗せて帰ってくる舟よ」
和奈は思わず、我が家のしるしになってくれる白提灯に目をやった。なかのロウソクが、今にも燃えつきそうだ。炎はひとしきり大きくのびあがったと思うと、すうっと小さくなった。
それにつれて、空に浮かんだ舟の灯りも薄れはじめたように見えた。
「お父さん!」
和奈は窓に飛びついて呼びかけた。
伝えたいことがあるのだ。伝えたくて伝えられず、ずっと心の底にわだかまっていた思いだった。
「お父さんをがっかりさせてばかりでごめんね。お姉ちゃんみたいに、自慢の娘になれなくてごめんね」
唇をかみしめて、ほおずきの灯りが消えたあとの空に目をこらした。
「和ちゃん」
振りむくと、母がやわらかく微笑んでいた。
「だいじょうぶ。和ちゃんの言葉は、ちゃんとお父さんに届いたわ」
「でも、舟は途中で消えちゃった」
「あら、もう無事にお帰りになっているわよ」
和奈は子供のように、こぶしで涙をぬぐい、母のそばに戻った。ふたりで新盆の祭壇に向きあう。
「さいごに退院した後、お父さんとはずいぶんおしゃべりしたのよね。無口だった分を取り戻すみたいに、よくしゃべっていたわ」
「そうだったの」
「何度も言ってたわよ。和奈は自分がやりたいことを見つけてがんばってる、それでいいんだって。お父さんと私にとって、どんなときも、あなたは自慢の娘よ」
和奈は胸をつかれた。写真のなかで父は、苦笑しているようにも、照れているようにも見える。
母がいたずらっぽい表情になって、写真の父に話しかけた。
「私もあなたのお世話はしつくしたから、今度は自分のやりたいことをしようかしら」
久しぶりに見る母の生き生きとした顔に、ほっとしながらたずねた。
「お母さん、何かやりたいことがあるの?」
「それは、これから見つかるのよ」
「見つける」のではなく「見つかる」というところが、楽観的な母らしくて、和奈は思わず笑顔になった。