かきがら掌編帖

10年あまり通っていた童話教室で「宿題」として書いたものに加筆修正して載せています。

林間学校

 林間学校の第1日目、真志は初めて、本物のカッコウの鳴き声を聞いて感心した。

(ほんとに「カッコウカッコウ」って鳴くんだなぁ)

 

 夕食後、先生のお話や注意事項を聞くために、レクリエーションルームに集まった。

 正面の目立つ場所に、大きな額がかかっていた。5つの漢字が筆書きされた、不思議な書だ。

 ずいぶんと縦に長い「気」、丸文字のような「心」、横向きに倒れた「腹」、大きな「人」という字の下には小さな「己」の5文字。

  その意味を先生が説明してくれた。

「これは、気は長く、心はまるく、腹立てず、人は大きく己は小さく、と読みます。はじめの3つはそのままでもわかるでしょう? あとの2つは謙虚さということを表しています。人としての心がけを、わかりやすく覚えやすく、書き記してあるんですね」

 文字クイズみたいだったから、みんな笑っていたけれど、真志はおもしろいとは思わなかった。

(あの小っちゃい「己」は、ぼくのことをいってるみたいだ。大きな「人」の下で縮こまっている)

 真志は自分でもいやになるくらい、気が弱くて怖がりなのだ。

 

 夜は、大部屋にふとんを並べて敷いた。消灯の時刻をすぎても、クスクス笑いや、ささやき声のおしゃべりが聞こえ、ときどき枕が投げられたりしているうちはよかった。

 懐中電灯を持った先生が、何度目かに見回りに来たあと、だんだんと、まわりのみんなは眠りについていく。

 真志だけが、暗闇に目を見開いたまま、聞きなれない物音や気配にびくびくして、長い夜を過ごすことになったのだ。

 ようやく眠ることができたのは、窓の外がうっすらと明るみはじめたころで、いくらもたたないうちに起床時刻になってしまった。

 廊下の洗面台で順番を待っているうち、耳がキーンとして、目の前が暗くなった。

(ああ、いやだな……)

 あわててしゃがみこむ。

 寝不足のため貧血をおこした真志は、楽しみにしていた山歩きに参加できなかった。午前中ずっと、部屋で横になっているように言われたのだ。

 

 お昼の時間になると、がらんとした食堂でお弁当を食べた。ほうじ茶を持ってきた施設スタッフの人が、

「具合がよくなったのなら、少し散歩してくるといいわよ。裏の敷地は雑木林になっていて、気もちのいい遊歩道があるからね」

 と、おしえてくれた。

 

 真志は体操服に着がえ、リュックを背負って表に出た。

 昼下がりの日差しは強かったけれど、林のなかに入ると、空気はひんやりとしている。立ち並ぶ木々のあいだを歩いていくうち、しだいに心が軽くなってきた。

 

「おーい」

 風にのって声が聞こえてくる。

 耳をすませて、背の高い木々にふちどられた空を見あげ、視線をもどすと、目の前に女の人が立っていた。

 真志は息がとまりそうになった。いきなり現れただけでもびっくりなのに、その人は先が細くなった袴と、袖のない羽織のようなものを着ていたのだ。

 

「林間学校に来た小学生だろう? ひとりでどうした、迷子にでもなったか?」

  切れ長の明るい目が、まっすぐ見つめてくる。

 真志が声も出せず、首を横に振りつづけていると、

「真志か。良い名前だね」

 体操服の胸もとについている名札を見て、ほめてくれた。

「私の名前は、ソラ。君は仲間とはぐれてしまったの?」

「ちがいます。ぼく、寝不足で貧血おこしちゃって――」

 口ごもりながら、今朝からのことを説明したあと、思いきってたずねた。

 

「おねえさんは、山伏?」

 とたんに、笑い飛ばされた。

「いいや違う、私は天狗だよ」

「天狗! 女の人なのに?」

「女だって、天狗になれる。君の名前みたいに、真のこころざしがあって、一生懸命に修行すればね」

 怪しくて、怖い。けれど、好奇心のほうが少しだけ勝った。

「ソラさん、前は人間だったの?」

「そうだよ。私の師匠だって、普通の人間から天狗になった。師匠の師匠という方は、生まれながらの天狗だったらしいが、そういう天狗は、もう姿を見せないね」

 

 話を聞いているうちに、思ってもみない言葉が、真志の口からこぼれ出た。

「ぼくも、天狗になれるかな」

 ソラは片方の眉をあげて、問いかけるように真志の顔をのぞきこんだ。

「なに、君は天狗になりたいの?」

「だって、天狗は強いんでしょう? ぼくは強くなりたいんだ」

 涙ぐみそうになったから、顔をしかめて何度もまばたきした。

 

「私は、真志と同じくらいの歳から、空を飛びたかった。おとなになって、働いてお金を稼げるようになると、ハンググライダーやスカイダイビングなんかをやってみたよ」

「すごいねぇ」

「うーん、でも、そういうスカイスポーツは、望んでいたものと違っていたんだ。そんな折だね、師匠と出会ったのは。ひとりで夏山を登っていたとき、天翔けるように空を飛ぶ師匠を見つけた。夢中で追いかけて、弟子入りを頼みこんだよ」

 ソラはなつかしそうに目をほそめた。

「天狗見習いとして、師匠について何年も修行した。ようやく、この春、ひとりで自由に修行を続けるお許しを得たんだよ」

「空を飛べるようになったの?」

「いいや、まだ地面から飛び立つという、いちばん難しいところが今ひとつだし、飛行距離も短い。せいぜい、こちらの木からあちらの木へ飛び移るという程度かな」

 

 真志は肩を落とした。おとなになってから、その先何年も修行して、それでもまだほんとうの天狗になれないなんて、気が遠くなるようなことだ。

 

 ソラは、着物の懐から、小さな木の板と、細長い道具を取り出した。

「これはお札と矢立。矢立というのは、昔の携帯用筆記用具さ。こんなふうに筆と墨がセットになっているんだよ」

 筒から出した筆に墨をふくませると、お札に大きく文字を書いて、真志に差し出す。

 受け取ってみると、まだ墨の跡が光る「胆」という漢字1文字だった。力強く、そして、下にいくほど広がっている台形の字だ。

「空を飛ぶばかりが天狗の修行じゃないからね。いいかい、真志。そこに書いたように、胆さえしっかり据わっていれば、たいていのことはなんとかなる」

 

  真志は、レクリエーションルームの額を思い出した。

「ぼくの胆はきっと、生まれつき、すごく小さいんだと思う」

 ため息まじりにつぶやくと、ソラが高笑いした。

「胆に大きいも小さいもあるものか。もって生まれたことに気づいているか、いないかだけだ」

 

 目を見はっている真志にひとつうなずき、わきに立っていた樹の幹に手をかけたかと思うと、ソラは高々と飛びあがった。ひとつの枝から、もっと高い次の枝へ、見る間に駆けのぼっていく。

 はっと、われにかえった真志は、顔を天にむけ、もう姿も見えなくなった天狗に向かってさけんだ。

「ソラさぁーん、ありがとう!」

 

 はるか高みから、声だけが返ってきた。

――――

 

 

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