かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

父が少年だった頃

 

父が亡くなるひと月ほど前のことです。

私は、布団に横たわる父のそばに居て、テレビでも見ていたのだと思います。

どういうきっかけだったのか、父が思い出話を始めました。

 

少年の頃、1人で自転車に乗って遠出した話でした。

塩の効いたおにぎりと水筒を持ち、朝早く出発して、ずいぶん遠くまで行ってきたようです。

ところが話の中心は、どこへ行って何をしたという「冒険」の方ではなく、帰り道の出来事でした。

朝からの遠乗りで疲れていた父は、眠気と戦いながら自転車を走らせていましたが、とうとう居眠りをしたらしく、あっという間にバランスを崩して、自転車ごと転倒してしまったのです。

のどかな時代で、車や歩行者に接触することもなく、すり傷をつくったくらいで済んだのは幸いでした。

 

「道端で見ていた男の人たちに笑われて、恥ずかしかったな」

なつかしそうに笑って話す声を、私は相槌を打ちながら聞いていました。

そして、ふと見ると、父が涙をぬぐっていたのです。

胸を衝かれる思いがしました。

戦争体験者であり、当時は不治の病といわれた肺結核を、過酷な外科手術で乗り越えてきた父です。泣く姿を見た記憶がなかったので、何気ない思い出話で涙することが、意外でもありました。

 

少年だった父が見ていた、夕暮れの景色。

「気いつけなよ」

と、声をかけてくれた大人たちの笑いは、嘲笑ではなく、親しみのこもったものだったようです。

負けん気の強い父は、痛がる素振りを見せず、少し顔を赤くしながら自転車を起こし、走り出したのではないかと思います。

まるでその場に立ち会っていたみたいに、時折、心に浮かんでくる光景です。

 

 

 

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ベール(創作掌編)

 

 ついさっき結婚を約束したばかりの僕と初音は、降りしきる雨のなかを歩いていた。

(あれ、いったい僕たちは、どこへ行こうとしているんだろう?)

 傘を打つ雨音で、ふと我に返る。

 フレンチレストランでプロポーズして、初音が承諾してくれたあと、極度の緊張から解放され、安堵感で夢心地になっていたらしい。

 

 ほどなくして、あずまやのある公園に着いた。

 傘をたたんで屋根の下に入り、ベンチに腰掛ける。規則的に植えられた木々の向こうに、高層ビル群の明かりが美しい。

 横顔を見せたまま、初音が言った。 

 「昔話をひとつ、聞いてくれますか? 私の家に伝わる話で、母から娘へ、代々というより転々と、語り継がれてきた昔話」

 唐突さにとまどいながら、僕はうなずいた。

 

    △ ▲ △ ▲ △

 

 昔、ある村に古いお社(やしろ)がありました。

 村じゅうの人びとが集まる秋祭りでは、夜通し、かがり火がたかれ、さまざまな奉納舞が行われます。

 宝物殿に納められた舞衣装のひとつに「羽衣」と呼ばれる単の上衣があり、その年に選ばれた娘だけがまとうことを許されていました。

 ところが、日が暮れてから降り出した雨のせいで、羽衣の舞は取りやめになってしまいました。屋根のない平舞台では、大切な衣装が濡れてしまうからです。

 

 舞手に選ばれていたのは、お社のそばに住む娘でした。

 幼いころから敬い慕っていた神様のため、長いあいだ稽古を重ねて、心待ちにしていた奉納舞です。どうしてもあきらめきれない娘は、夜更けにそっと家を出ました。

 自分の持っている、ただ一枚の晴れ着を胸に抱え、雨をついてお社へ向かったのです。

 

 村の若者がひとり、かがり火の番をしていましたが、舞台へあがる娘を止めようとはしませんでした。

 娘は晴れ着を打ち掛けてはおり、舞い始めました。雨音にまぎれて何処からともなく、笛や鼓の調べが聞こえてきます。

 一心に舞いきった娘は、晴れやかな顔でひれ伏しました。

 

 不思議なことに、その髪にも、着物にも、雨粒ひとつ付いていなかったのです。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

「娘は、かがり火を守っていた若者と結婚して、幸せに暮らしました」

 話を結ぶと初音は、思わず引き込まれるような笑顔を見せた。

 

「その娘と若者の子孫が、初音なんだね」

「ええ、私はこのお話が大好きで、母にせがんで繰り返し聞かせてもらったわ。でも、父と兄には内緒だったの。母親から娘だけに伝わる、秘密の物語だから」

「どうして、秘密なの?」

 尋ねると、初音は真顔になって僕を見つめた。

「それはね、物語と一緒に、神様から授かった不思議な力も、母から娘へと受け継がれているからよ。雨のなかに出ても濡れることがない、そういう特別な力は、人に知られてはいけないの。それが、智恵というものなんですって。小さいころからいつも、母に言われてきたわ。けっして雨に当たってはいけない。どんな天候の日でも、必ず傘を持ち歩きなさい。風邪を引くだけじゃすまないのよ……って」

 聞きながら、僕はひそかに考えた。

(ひょっとしたら、あまり体が丈夫ではなかった初音のために、お母さんが創作した昔話なのかもしれない)

 

 けれど、口に出したのは別の言葉だ。

「大事な秘密の物語を、教えてくれてありがとう」

 すると、初音はうれしそうに微笑んで、

「母には言わなかったけれど、ずっと思っていたの。神様からの大切な贈りものを、まるで善くないことのように隠し続けるのは、どこか間違っているわ」

 と、言った。

「そこで、見ていてね」

 初音は立ちあがり、ためらいもなく、降りそそぐ雨の下に歩み出ると、僕の正面で向き直った。

 

 街の明かりに照らされて、雨は銀色に光る糸のように見える。

 その雨が、初音の頭上でふたつに分かれていた。連なった無数の雨粒は、身体のまわりを覆う透明なベールにはじかれて、初音に触れることなく、きらめきながら流れ落ちていく。

 僕はたじろいで息をのんだ。一瞬、心をとらえた怯えが、それよりずっと強い感情に押し流されていく。

 昔話は真実を語っていたのだ。

 かがり火を守っていた若者は、きっと今の僕と同じ気持ちだったにちがいない。

 

 

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雨の日にながめる川、数えたカエル

今週のお題「雨の日の過ごし方」 

 

何度か引っ越していますが、いつも近所には川がありました。

さらさら流れる小川ではなく、車道と歩道に分かれた道路橋から見おろす川です。

現在も毎日のように、橋を渡って通勤しています。

 

雨の日にながめる川には、趣があります。

川面の波立ちと水の色が違う。雨量によっては水位も変わり、浮遊物が増えて、川の流れがいつもより速く見えます。音もきっと変化しているはずですが、車がひっきりなしに行き交っているため聞き取れません。

いつだったか、かなり大きな亀が浮かんでいるのを目撃したことがあります。泳いでいるのか、流されているのか、どちらともわかりにくいスピードで通り過ぎていきました。

 

雨の日の川は、普段より生き生きとして表情豊かですが、同時に、自然の荒々しさの片鱗をのぞかせているようでもあります。

 

さて、雨の日に生き生きするといえば、カエルです。

 

ひと昔前になりますが、数年間、通いで両親の介護をしていました。

平日は仕事帰りに寄り、週末は泊りがけで、あれこれお手伝いしに行きました。

両親の家から自宅までは、歩きで片道20数分でした。途中に幼稚園を併設した小学校があります。周辺はマンション群、公園、製作所や会社という区域です。

 

ある夜、その辺りを歩いていて、数匹のヒキガエル(ガマガエル)に遭遇しました。

歩道の上や植え込みの陰、小学校を囲むフェンスの土台あたりで発見したのです。

色は褐色系、大きさは15センチ前後といったところです。夜行性で昆虫などを食べるそうですが、私が見たときは、じっとうずくまっているか、のっそり歩いているかで、跳ねまわったりはしていませんでした。さほど恐れずにそばを通ることができたものの、鳥肌が立つ寸前くらいの、心理的抵抗感はありました。

ヒキガエルは有毒種ですが、毒の有無に関係なく触りたいとは思いません。

 

とはいえ、町なかの舗装道路でカエルを見つけたことは、ちょっとした珍事だったので、嬉々として話題にしました。

すると、介護を分担していた弟が、夜遅くなってからの一人歩きは心配だとの名目で、家まで送ってくれるようになりました。

かくして、春先から晩秋まで、夜な夜な、カエル・ウォッチングを続けたわけですが、ベストシーズンはやはり梅雨時です。

水域依存性の極めて低い、つまり水がなくてもけっこう大丈夫なヒキガエルといえども、雨が降ると実に嬉しそうでした。頭(こうべ)を高く上げて座り、いつもよりキビキビと動くので、うっかり蹴とばしてしまったりしないよう、注意して歩かなくてはなりませんでした。

 

その頃になると、見つけたカエルの数をカウントするようになっており、その数が、昨日より今日と増えていくことを楽しみにしていました。カエルが活動的になる雨の日は、期待も高まります。

カウント数を増やすため、とうとう、小学校の敷地内をフェンス越しにペンライトで照らして、カエルのすがたを探すまでになりました。さすがに、人目があるときは控えていましたが。

「不審者に見られてしまうかもねー」

ふたりで笑い合ったものです。

けれどついにあるとき、近所の住人らしき方たちから、すれ違いざま、

「ご苦労様です」

と、頭をさげられてしまいました。

防犯ボランティアのパトロールと間違われたのか、あるいは、さりげなくトラブル抑止の声掛けをされたのか……。

これを機に、ペンライトの使用は止めました。

 

振り返ってみれば、介護中は娯楽が少なかったため、カエルを数えることにあれほど熱中できたのでしょう。娯楽を制限されると、それまで思ってもみなかった楽しみを見つけ出すものなのかもしれません。

 

 

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ハヤさんの昔語り〔二〕~ザシキワラシ~(創作掌編)


 にぎやかな6名様が、財布を取り出し立ちあがるのを見て、私はほっとした。これでようやく、ハヤさんの昔語りを聞けるというものだ。

 テーブルの片付けが済んだ頃合いを見計らって、コーヒーのお替りをオーダーする。

 

「ハヤさん、このあいだ聞かせてもらった雨ノ森のマヨイガの話だけど、あそこで出会った3人は、その後どうなったの?」

「ああ、お千代様と伊作と長太郎のことですね」

 名前を知って、昔話の登場人物だった人たちに、血が通いはじめる。

 私は、ハヤさんがコーヒーを淹れるのをながめながら、話の続きを待ちかまえた。

 

「あの時代、神隠しのような『魔』に出逢ってしまうことは、まさに一大事でした。無事に帰ってきたように見えても、そのあとで病気になって長いあいだ寝込んだり、さらには命を落としたりする危険さえあったのです。そこで、裕福なお千代様の家では、寸一を招いてお祓いの祈祷を行わせました。他の2人も呼び、定期的にね」

「それじゃ、またみんな集まって、心ゆくまで不思議な話ができたのかな」

「ええ、もちろん祈祷もしましたが、本当の目的は親睦会ですよ。だんだんと間遠にはなりましたが、10年近く続いたんじゃないでしょうか。伊作がザシキワラシに会ったという話も、その集まりで聞きました。その時はもう、伊作も若者じゃなかったですけれど──」


   △ ▲ △ ▲ △

 

 昨年、老母を亡くした伊作は、ひとりつつましく気楽に暮らしていた。

 ある朝のこと、畑に出ようと身支度をしているとき、戸口のところで誰かが伊作を呼んだ。

 見ると、桜色の振り袖を着た、ふたりの童女だった。手をつないで、めずらしげに眼を見はり、家の中をのぞきこんでいる。

 この村では見かけたことのない姿に首をかしげながら、伊作は挨拶して、優しい声で用向きを尋ねた。

 童女たちは顔を見合わせてから、伊作に向き直り、

   西の村から来た
   これから東の村へ行く
   しばらく休ませておくれ

 と、澄んだ声で言う。

 

(これは、話に聞く、ザシキワラシという神様ではないだろうか)

 はっとした伊作は、童女を招き入れ、丁重にもてなしながら、東の村へ通じる道をくわしく教えた。

 ほどなくして、2人はふと消えた。

 伊作が、何の気なしに横を向き、顔を戻すわずかな間に、どこかへ行ってしまったのだ。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

「伊作さんて人は、なんて無欲なの。ザシキワラシは富貴をもたらす福の神ですよね。ちょっと引き留めてみたりとか、すればよかったのに」

 というと、ハヤさんは笑いながら答えた。

「とにかくその時は、しっかり観察して、お千代様や長太郎に詳しく報告しようという一心で、他のことを考える余裕はなかったそうです。しかし、この話には続きがあるんですよ──」

 

 しばらくして、伊作に縁談が舞い込んだ。

 相手は伊作と同じように、年老いて病気がちの親をずっと支え続けた人だった。

 伊作夫婦は子宝には恵まれなかったが、そのかわり、寄る辺のない子供を、次から次へと引き取ったので、家はにぎやかな笑い声がたえなかったという。

 

「私が寸一だったころ、伊作の家を訪ねると、畑仕事をする夫婦のまわりでは、いつも子供たちが遊んでいました。少し年かさの子は、手分けして家事や幼子の世話をしていましたが、その中にはときどき、桜色の振り袖を着た2人の童女のすがたが、見え隠れしていたのです」

 私は思わず、身をのりだした。

「じゃあ、ザシキワラシは伊作さんの家に留まっていたの?」

「そのようですね。どうりで、あれほどたくさんの子供の面倒をみていたのに、お金や食べ物が足りなくならなかったはずですよ」

 

 

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日々のゲシュタルト

 

ゲシュタルト療法のワークを体験学習しているとき、たとえば「ことばの言い換え」のような、ちょっとした実践を、よくファシリテーターに提案されました。

ワーク中に繰り返しやっているうち、だんだん普段使いするようになって、習慣化してきたものが3つほどあります。

 

①「呼吸してますか?」と注意喚起する

イライラしたり、落ち込んだり、お決まりの感情や想念にとらわれてしまったら、いちど「今、ここ」へ帰るのが得策です。

そのために有効な手段が、しばらく自分の呼吸を意識してみること。

深呼吸してもしなくても、再びイライラに戻ってしまってもOKです。折に触れ「今、ここ」へ帰る反射的な行動パターンを作っておくと、多少なりとも心が楽になります。

私の場合、脳内ファシリテーターが、

「呼吸止まってない? 息してる?」と声をかけてくれる(イメージです)ようになりました。

 

②「BUT」を「AND」に置き換える

たとえば、

「彼のことは好きじゃないけれど、仕事を手伝った」を、

「彼のことは好きじゃない。そして、仕事を手伝った」と言い換えて、その違いを感じてみる。

「彼のことは好きじゃない」という感情と、「仕事を手伝う」という行為。

逆説の接続詞BUT「けれど、しかし、でも」を使うと、2つの事柄は対立しますが、並列の接続詞AND「そして」を使ってみると、ひとつひとつを同等な経験として意識しやすくなります。

 

「AND(そして)は『今、ここ』の世界を受け入れるからである」

ゲシュタルト療法の創設者フレデリック・パールズに師事し、後に来日して指導・実践を行ったポーラ・バトム博士のことばです。

 

 

 ③「~できない」を「私は~したくない」「私は~しない」と表現して、
  自己責任をとってみる

「こんなことはできない」と思うとき、

「私は、こんなことはしたくない」あるいは「私は、こんなことはしない」と、言い換えてみます。

そうすると、

・物理的に不可能だから、できない

・ほんとうはしたいのに、やらない

・やりたくないから、しない

 の内のどれかであることに気づきます。

 

 

3つとも目覚しい効能や即効性はありませんが、お気に入りの健康法のような感じで、気長に続けていくつもりです。

どうやら、気づいたことをあわてて「何とかしよう」と考えないほうがいいらしいのです。

 

「ただ、気づくだけでいい」と、長老ファシリテーターのしげさんも言っていました。

「気づきそのものが癒しである」
「気づきにはすでに変容が含まれている」
━━これはフレデリック・パールズのことばです。

 

パールズに師事したリチャード・プライスとクリスティン・プライスが発展させた、ゲシュタルトアウェアネス・プラクティスというワークでは、

 壊れているなら、なおさない

 何に気づいても、すぐになおそうとするのではなく、まず「それ」と共にいる。
 良いことも困難なことにも、「Yes、 ハロー」といって時間と空間を与える。

ということを実践しています。

 

 

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ハヤさんの昔語り~神隠し~(創作掌編)

 

 在宅の仕事が一段落つくと、近所の珈琲店に出かけるのが、私の楽しみのひとつだった。なるべく空いてそうな時間帯を選んで行くことに決めている。

 店主のハヤさんは、親しくなると面白い話を聞かせてくれるようになった。

 何と言っても彼は、自分の前世を思い出すことができるのだ。

 

 世間には、輪廻転生してきた数多くの過去世を覚えている、という人も存在するらしい。

 もちろん、私自身はまったく覚えていないし、ハヤさんが思い出せるのも、江戸から明治の時代を生きた「寸一」という人物のことだけだった。

 寸一は寺に寄宿していた行者で、村の人びとが何かにつけ頼ってくるほど、不思議な力を持っていたようだ。

「私が子供のころ」とか、「学生だったころ」と言うように、ハヤさんはいつも、

「私が寸一だったころ……」

 と前置きして、話し始めた。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

 村で一度に三人もの神隠しがあった。

 神隠しにあうのは若い娘が多いという。しかし、そのときは、年寄り、若者、子供の三人だった。親族が手分けして捜しまわったすえ、助けを求めて寺にやってきたのだ。

 いなくなった三人は同じ村の者だったから、互いの顔くらいは見知っていたかもしれないが、連れ立ってどこかへ出掛けるような間柄ではなかった。

 心配する村人たちの相手を住職にまかせ、寸一は表へ出ると、速い足どりで歩き始めた。


 思い当たる節がある。

(そういえば昨夜、雨ノ森のキツネが、なにやら浮かれ騒いでいたな)

 雨ノ森は村はずれの細長い森で、昔から妖術に長けたキツネの一族が棲みついている場所だ。

 もう何年も前のことになるが、寸一はキツネの長老と話し合い、村人を化かさぬよう約束させた。

 取り決めはきちんと守られている。

 その礼という意味合いもあり、時折、団子と酒を雨ノ森に持参して、キツネたちを相手に宴を開く。

(たしか長老は、近々、遠縁の一族に婚礼があると言っていた。婚礼は満月の夜と決まっている。とすると、主だったキツネたちはみな、招かれて出かけたはず)

 寸一は、中天に懸かる月を見上げた。

 

 雨ノ森に着くと、歩をゆるめて静かに歩きまわった。

 ふと目の端に、森へ入る小道を見つけ、立ち止まる。多くの人々が長い時をかけて踏み固めた、いかにも歩きやすそうな道だ。

 目立つ道ではない。とはいえ、ついこのあいだまで、こんな道がなかったことは確かだ。
 丹田に力を込めて見据えると、やはり正体はただの獣道。

(ふん、なかなか力量のあるヤツらの仕業だ)

 思わず、頬に笑いが浮かんだ。

 

 寸一は道に踏み込んだ。

 月明かりが木漏れ日と見紛うほどきらきらと差し、樹には見たこともない珍しい花が咲いている。あちらの枝にも、その先の枝にも──、誘うように咲く花々をたどっていくと、やがて見えてきたのは草庵風の茶室だった。

 すべて目くらましの幻なのだ。

(これは、たいしたものだなぁ)

 おそらく、婚礼に招かれた長老や重鎮から留守を任された、若いキツネたちの悪戯だろう。うるさ方の居ぬ間にと、幻術の腕比べでもしたのではあるまいか。

 それ以上の悪さをしかける気はないようだ。隠れてようすを伺っている気配もなかった。

 茶室の中からは、楽しげな話し声が聞こえてくる。

 見ると、行方知れずとなっていた三人が、目をかがやかせて話に興じていた。

 

   △ ▲ △ ▲ △

 

「結局どういうことだったの?」

 私はハヤさんに尋ねた。

「3人とも注意深く、好奇心の強い人たちでした。それぞれ前後して、小道に足を踏み入れ、風雅な茶室に感心しているうち、自然と落ち合うかたちで一緒になったのです。その後は、話に花が咲き、時を忘れてしゃべっていたそうです。障子の外には、ずっと午後の日が差しているように見えたとか」

「どんな話をしていたのだろう、何時間も」

「天狗や河童、雪女、火の玉、生まれ変わりに臨死体験──、もともと不思議な話が大好きだったそうです。それでいて、迷信深いところはなく、賢い人たちでした。ひょっとしたら、キツネに化かされていると承知の上で、わざわざあの道に迷いこんだのかもしれません」

 

 私は本で読んだ「マヨイガ」の話を思い出した。

 山奥に忽然と現われる立派な屋敷。偶然行き当たった人は、宝物を持ち帰ることが許されるのだという。

「でも、屋敷ではなくて茶室だし、キツネの仕業だったのだから、マヨイガとは別物でしょうね」

 と言うと、ハヤさんは少し考えてから答えた。

「そもそも、若いキツネたちが、あれほど雅やかな茶室を知っていることが訝しい。小道はともかく茶室には、また別の不思議な力がはたらいていたとも考えられます。神隠しにあった3人は、年齢も家柄も違っていて、普通だったら一生親しく話をする機会などない人たちでした。それがあの森で、お互いを見つけたのですから……」

「心の友、それこそがマヨイガから持って帰った宝、というわけ?」

「そうだったのかもしれないですね。持ち帰る宝がすべて、物とは限りませんから」

 

 

 

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『遠野物語』口語訳は原典への橋渡し

 

柳田國男さんの文章が好きなので、口語訳には関心が薄かったのですが、ラジオ番組で紹介されているのを聞き、読んでみたくなりました。

口語訳 遠野物語 (河出文庫)

口語訳 遠野物語 (河出文庫)

ちょうど『遠野物語』について書こうとしていたタイミングでもあり、こういう偶然に乗って正解でした。

 

遠野物語』(原典)では、119話それぞれに番号が振られています。そして「題目」というページに、

 神の始め  二、六九、七四 
 ザシキワラシ  一七、一八
 天狗   二九、六二、九〇   
 河童      五五―五九

というように、主題と通番が紐付けられているのです。

 

「寒戸(さむと)の婆」という話があるのですが、「題目」は「昔の人」で、八、一〇、一一、一二、二一、二六、八四、と振ってある7話のうちのひとつ、「八」の話になります。読みたいと思って探しても、なかなか見つけられません。

 黄昏に女や子供の家の外に出てゐる者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸といふ所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎおきたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、ある日親類知音の人々その家に集まりてありし処へ、きはめて老いさらぼひてその女帰り来たれり。いかにして帰つて来たかと問えば、人々に逢いたかりしゆゑ帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰つて来そうな日なりといふ。

 『遠野物語柳田國男 著(角川文庫)  

  

口語訳では、一話ごとに内容に添ったタイトルがつき、目次で一覧できるので、目当ての話が簡単に探し出せるようになりました。

 8 寒戸の婆(さむとのばあ)

 黄昏どきになっても、家の外に出ている女や子どもが、神隠しにあって、どこかへ行ってしまう話は、よその郷と同じように遠野でもよくありました。
 ある時、松崎村寒戸という所の民家で、若い娘が梨の木の下に草履をきちんと脱ぎ置いたまま、ふいっと行方知れずになったことがありました。
 ところが、それから三十年あまりたったある日、すっかり年を取り、よぼよぼになったその女が、梨の木のあるあの家をたずねて来ました。その家ではなにか寄合があって、親類や近所の人たちがおおぜい集まっていました。が、だれも、その老女を知りません。
「おめさん、どこのだれだべ」と、一人がたずねると、
「おれ、こごの娘だ」と言うのです。
「今までどごさ行ってらった……。なじょして(どのようにして)、帰って来た……」
と、みんなが、たたみかけると、白髪の女は言いました。
「なんとしても、家の人たちに会いたかったがらよ。でもよかった、みんなの顏見たがら。ほんでまず(それでは、また)おれ行くから」
と、言ったかと思うと、老女はまた跡形もなくふっと消え去ってしまいました。
 その日は、風のはげしく吹き荒れる日でありました。それで、遠野の人々は今でも風のさわがしい日があると、
「今日は、寒戸の婆が帰って来そうな日だな」
と、語り合っているのです。

 『口語訳 遠野物語佐藤誠輔 訳(河出文庫

さらに、新たな注釈として、「寒戸の婆」は松崎村字登戸の茂助という家の話で、サダという名の娘であったことなどが書き加えられています。

 

遠野物語』の内容は多岐にわたり、どれも不思議な魅力にあふれていますが、とりわけ印象深いのは「マヨヒガ」(六十三話、六十四話)です。

マヨヒガは「まよいが」と読み、「迷い家」「迷い処」などの字を当てるようです。

 

六十三 小国(おぐに)の三浦某といふは村一の金持なり。今より二、三代目の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍(ろどん)なりき」(原典)

と、物語は始まります。

この妻がある日、門前(かどまえ)を流れる小川に沿って、蕗を採りに山へ入りました。よいものが少なく、いつのまにか谷の奥深くまでさかのぼっていき、見たことのない立派な黒い門のある屋敷を見つけます。

紅白の花が広い庭一面に咲き、家畜も数多くいます。玄関から中へ入ってみると、開け放した次の間には、豪華な膳や椀などがたくさん置いてありました。

奥の座敷では、火鉢に乗せた鉄瓶の湯が沸いているのに、どこにも人影はないのです。

(もしや山男の家ではないか)

と、急に恐ろしくなり、一目散に走って家へ帰り着きました。家の者たちに話しましたが、誰も信じてくれません。

ところが、また別の日に、家の門前で洗い物をしていると、川上から赤い椀が一つ流れてきました。とても美しい椀だったので拾い上げ、ケセネギツ(穀物貯蔵用器)のなかに置いて、米や雑穀を量る器にしました。

すると、その椀で量り始めてからというもの、いつまで経ってもケセネギツの中身がなくならず、それからもこの家は幸運に恵まれ、ついに村一番の金持ちになりました。

 

「遠野では、山中の不思議な家をマヨイガといいます。マヨイガに行き当たった人は、かならずその家の道具や家畜、なんでもよいから、持ってくることになっているのです。なぜなら、その人に授けようとして、このような幻の家を見せるからです。三浦家の妻に欲がなく、なにも取ってこなかったので、このお椀は、自分から流れてきたのだろうということです」(口語訳)

 

おもしろいことに、次の六十四話では明暗が分かれます。

ある娘聟が実家へ行こうとして山中で道に迷い、マヨヒガに行き当たります。やはり恐ろしくなって逃げ帰りますが、村人はマヨヒガのうわさを聞いていて、膳椀をもらって長者になろうと、聟を先頭に立てマヨヒガを探しにいくのです。ところが、ここだというあたりをいくら探しても、見つけることはできませんでした。

 

 口語訳の訳者、佐藤誠輔さんの「訳者あとがき━原典への橋渡しとして━」は、なかなか衝撃的な始まり方をしています。

「言いにくいけど……、限りなくおもしろくないなっす。このお話」
 第三話「山女の黒髪」を口語訳(直訳)して、最初に読んでやった時の、妻の答えがこれです。
 一つ一つの言葉を吟味して、文や文章を可能な限り切りつめ、文語体の重々しくもまた、流れるような口調をわざわざ選んで書き綴った柳田国男の名文。それを平凡な口語体の、しかも敬体に置きかえることの無謀さは、わかっていたつもりです。が、この一言には参りました。
「でも、わかりやすがんすよ。口語体のほうが」
 こう言って、妻はなぐさめてもくれました。 

 『遠野物語』の奥深い世界へ踏み込んでいくとき、口語訳は頼もしい案内役となってくれるに違いありません。

 

 願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。(初版序文)

遠野物語』のなかで最も好きな一文です。最も有名な一文でもあります。

「どうか、そのような話をどんどん語って、都会人を心底からこわがらせ、目ざめさせてください」(口語訳)

柔弱な「平地人」である私ですが、『遠野物語』に触発されて、いくつか昔語りの掌編を書きました。もちろん戦慄せしめる要素はありません。

加筆修正しながら、載せていきたいと思います。

 

 

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