かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

第4の可能性が……

ほんとうにどうでもいい話なのですが、この15日間、気がかりになっていることがあるので、書きとめておきたくなりました。

 

クモの話です。

 

 

先々週の月曜日の朝、出勤前に洗濯をしてベランダに干し、網戸と窓とカーテンを閉めました。ふと見ると(気配を感じたのでしょうね)カーテンの上のほうに、1cmほどの黒いクモが!

私は虫が苦手です。

一瞬フリーズした後、見なかったことにしようとして視線をそらし、けれど思い直して、おそるおそる近づいた時には、もう消えていました。ちょっとカーテンをゆすってみましたが、姿を現しませんでした。

 

ざわざわした気持ちのまま出勤し、仕事の合間にネットで検索してみると、どうやら「アダンソンハエトリ」という、よく家の中で見かける種類のハエトリグモらしいとわかりました。

名前の通り、ハエなどの小さな虫を捕まえて食べる「益虫」で、巣を作って待ち伏せるのではなく、家中をパトロールして狩りをする。動きはすばやく、ピョンピョン跳ねることもある。巣は作らなくても常に糸を放出して、落下防止の命綱にしている。昼行性で寿命は約1年。大きさは雌雄とも1cm未満。噛まない、毒はない。

 

集めた情報を検討した結果、さしあたり同居してもいいかなと思いました。どうしてもがまんできなかったら、その時はその時として。

帰宅後には現われなかったアダンソンですが、翌朝、キッチンで食器を洗っているときに、姿を見せました。「いつの間に?」というくらい、いきなりの出現で、目の前の壁を移動しています。

トリハダをたてながらもがんばって観察すると、やはりアダンソンで、雄のようでした。途中、足をすべらせて落ちそうになった時も、命綱の糸で元の位置に戻り、着実なスピードで壁を横ぎっていきます。

「よろしくね、アダンソンさん」

と、挨拶して見送りました。

 

さて、それからというもの、しじゅう壁やカーテンに目をくばっているのですが、さっぱり見かけません。おかしいな、どうしたのかな?と思いながら、数日を過ごしました。

 

同じ週の土曜日、とあるワークショップに参加しました。20畳くらいの会場で、約20名の参加者がいました。

すると、部屋中央の床の上で動く、小さな黒い虫が――。

何人かが「クモだね」と気づくなか、ファシリテーター(ワークショップを仕切っている人)が、

「ハエを捕るクモだから捕まえないで」

と、言いました。

アダンソンハエトリです。偶然の一致におどろいた私は、居合わせた人たちにアダンソンのことをくわしく語りたかったのですが、クモが嫌い人には苦痛だろうと思い自粛しました。ブログなら、先を読まないという選択肢がありますが、対面だとそうもいかないですからね。

会場のアダンソンは、その日いっぱい、のびのびと歩きまわっていました。

 

一方、わが家のアダンソンのほうは、姿を見せないまま今にいたっております。さいごに見かけてから、今日で2週間になりました。

そうなると、考えられる理由は、

① 外に逃げた(マンションの部屋は気密性が高く、網戸もあるけれど)

② たまたま遭遇しないだけ(日がたつにつれて、その可能性は低くなってきている)

③ 見えないところで永眠している(いちばん考えたくない事態)

あたりでしょうか。

 

ところが昨夜、4つ目を思いつきました。

④ 私の荷物にまぎれてワークショップについていった!

 

つまり、家にいたのと会場にいたのは、同じアダンソン。

これがいちばん望ましいと思っています。

 

 

コスモス色の風(創作掌編)

  シロは峻介が生まれるより先に、家にやってきた。シロにだって子犬のころはあったに違いないけれど、記憶に残っているのは、いつも遊び相手になってくれた、優しい姉のようなシロだけだ。

 シロには不思議な力があった。

 忘れ物をしたまま学校へ行こうとすると、峻介の運動靴の上にすわりこんで動かない。そういうことが何度かあったから、先に気づいた母親が、

「シロが忘れ物サイン出してるわよ」

 と、部屋まで知らせにくるほどだった。

 それから、小学5年生のときの出来事。遅刻しそうになった峻介は、あわてて家を飛び出し、四つ角を曲がる直前に、耳もとで「シュン!」と呼びとめられた。思わず立ち止まった瞬間、目の前を自転車が猛スピードで通りすぎていった。まわりには誰もいない。びっくりして振り返ると、門の外までシロが出てきていた。足を踏んばって立ち、まっすぐ峻介を見ていた。

 

 シロが病気で死んでしまったのは、その翌年の2月だった。

 

 峻介は、かけがえのない仲間を失った。大好きな春を待たずにいったシロが、かわいそうでならず、身の置き所がないほど、胸が痛んだ。 

 朝夕の散歩がなくなっても、早い時刻に目が覚める。待っているシロがいないので、それまでは大急ぎだった学校からの帰り道も、足を引きずるように歩いた。

 すると、道端の草花に気づいた。

 ナズナハコベシロツメクサ、オオバコ、ユキノシタヒメジョオン……。

 白い花を探しては、摘んで帰るようになった。ガラス瓶に差した花を、シロの写真と首輪の前に供える。すると、ほんの少しだけ、悲しみがやわらぐのだ。

 秋が深まって花が見つからなくなるまで、峻介の儀式は続いた。

 

 

 峻介は専門学校を出て、建築会社のデザイン部に就職した。

 仕事は忙しく、いつも追いたてられているようだ。毎日残業続きだったけれど、水曜日だけは、会社の決まりで定時に帰れる。駅からワンルームマンションまで、にぎわっている夕方の商店街を歩くのは楽しかった。

 仕事がら、店舗の外観や内装に、自然と目が向く。

(下町の商店街って、いくつも花屋があるんだな。ちゃんと距離を置いて共存してる)

 そして、どの花屋のショーウィンドウにも、見るからに手作り風の、あたたかみのあるポスターが貼ってあった。

「花曜日(はなようび)」

 という言葉が、花をモチーフにした飾り文字で描かれている。

 峻介はふと、白い花を供え続けた月日を思い出し、商店街のはずれにある花屋の前で足をとめた。

 河合花店というその店は、昔ながらの町の花屋さんという感じだ。けれど、なつかしさのなかに、どこか心ひかれる個性があった。みがかれたガラス戸と石畳の床、ほの明るい照明の下、色とりどりの花の並べかたが、はっとするほど美しいのだ。

 若い女の人が、ひとりで店番をしていた。

 

 毎週水曜日、河合花店で白い花を買って帰るのが、峻介の新しい習慣になった。

 最初はアルバイトの店員さんかと思っていた女性が、店主らしかった。奥の壁に掲げられた生け花や茶道の免状には、みんな同じ「河合彩香」という名まえが書いてある。

「彩りと香りって、花屋さんにぴったりの名まえですね」

 そんなふうに話しかけることができたのは、通い始めてしばらく経った頃だ。

「祖母がつけたんです。ひとり息子の父が会社員になってしまったので、どうしても私に花屋を継がせようと思ったらしくて。小学生のうちから、お花やお茶を習わされました」

「これはなんという花ですか?」

「ホワイトレースフラワーです」

 名まえを知ると、花はいっそう可愛らしくみえる。

 

 天気の話題や花の名まえの他にも、少しずつ話せるようになった。

「お客さまの花曜日は、水曜日なんですね」

「会社を定時であがれるのが、水曜日だけだから。でも偶然に、家族同然だったシロという犬が亡くなったのも水曜日で、人間なら月命日で月に1度だけど、犬の時間は人間より速く流れるから。週命日なんて、あるのかどうかわからないけど、この花はシロに供えるんです」

 花をつつんでいた手をとめて、彩香さんが顔をあげた。

「ごめんなさい、悲しい思い出にふれてしまって……」

「あ、いや、全然かまわないです。もう10年以上も前のことだし」

 あわてて答えながら、

(シロ、ごめん)と、胸のなかで手を合わせた。

 

 水曜日、いつものように彩香さんの店に寄ろうとすると、店内が制服姿の高校生でいっぱいになっていた。

「文化祭の舞台で使うんです」

「あと、領収書もお願いしまーす」

 明るい声が、外まで聞こえてくる。

(そうか、もう文化祭のシーズンなんだ)

 峻介は、店先に並べられた花をながめながら、待つことにした。

 花桶いっぱいのコスモスを見て思い出す。

(いつだったか、シロが散歩の途中で、ふだんのコースをはずれて走りだしたことがあったっけ)

 かしこいシロのすることには、いつだってちゃんと理由があると知っていた峻介は、引っぱられるままに付いていった。すると、家と家とのあいだに、ぽっかりと空き地があり、誰かが種をまいたのだろうか、コスモスの花畑になっていたのだ。

 リードを振り切るように飛び込んでいったシロは、めずらしくはしゃぎまわった。秋の風が吹くなか、コスモスの花のあいだに見えかくれしていた姿が目に浮かんできて、思わず涙ぐみそうになる。

 

「お世話さまでしたー」

 にぎやかな声がして、高校生たちが出てきた。それぞれ大きな花の束を手にしている。

(えっ、たったの4人だったの? 倍くらいの人数かと思った)

 感心して見送り、店内に入ると、なぜか顔をくもらせた彩香さんに出むかえられた。

「あ、お客さま、まことにすみません。今日は白い花をきらしてしまって……」

 身を縮めるようにして頭を下げる様子にとまどい、峻介はとっさにどう返事をしていいかわからなかった。

(そういえば、さっきの子たちが持っていたのは、みんな白い花だったな)

 陽気に白い花を買い占めている高校生客の向こう側で、ぼんやり待っている峻介の姿を見つけて、さぞかし彩香さんはやきもきしたことだろう。そう思うと心苦しく、せつないような気もちになった。

「いいです、また今度で」

 気まずさを解消できるような言葉のひとつも思いつけない。そんな自分が情けなくて、峻介は足早に店を出ようとした。

 

「シュン!」

 強く呼ばれて、思わず振り返る。

 

「今、呼んだ?」

 いや、そんなわけない。いまだに峻介は、名乗ってすらいないのだ。

 彩香さんは、大きく目をみはって首を横に振った。そして、静かな声で言った。

「いいえ、でも、呼びとめたいと思ってました」

 花桶から数本のコスモスを抜きとり、よどみない手つきで花束にすると、そっと差し出す。

「どうそ、シロさんにあげてください」

 

 うす紅、青みがかったピンク、淡い赤紫、それぞれの花が集まって、コスモス色としか言いようのない、やさしい色あいをしている。

 花束を受け取ったとき、峻介は吹き渡る風を感じた。

  

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イソップの太陽(創作掌編)

 30年も前のことだけれど、ありありと覚えている。

 古びたオフィスビルが立ち並ぶ街角、道路をはさんで向かいあっている2棟のビル。共に7階建てで、片方が灰色、もう片方は煉瓦色だった。

 私が数ヶ月のあいだ夜間の警備員をしていたのは、灰色のビルのほうだ。

 学生時代の仲間と起業したアイデア商品の会社が倒産し、心底がっかりしながら、アルバイトの掛け持ちをして借金を返していたのだ。

 

 警備の仕事をし始めてまもなくの頃だった。地下1階から最上階の7階までを巡回し終わった後、私は非常階段の踊り場に立ち、暗い街並みをながめていた。

 午前2時過ぎ、人通りはなく、ほの白い街路灯がわびしく見えた。

 思わずため息をつく。

 自分の頭の中でひらめいた考えを、仲間と一緒に製品化し、それが世に出て誰かの役に立つことを信じていた日々――。目がまわるほど忙しかったけれど、失敗も多かったけれど、楽しかった。

(ほんとはもう少し、みんなとがんばりたかった。でも、これでよかったんだ。大きな負債をかかえる前に、会社をたためて)

 自分に言い聞かせていた時、ちょうど視線の先にあった向かい側のビルの窓に、明かりが灯った。

 

 私は二重の意味で驚いた。ひとつは、こんな真夜中のオフィスビルに人がいたこと。そしてもうひとつは、その窓に風変わりなステンドグラスがはめ込まれていたことだった。

 電灯の光を受けて窓に浮かびあがったのは、オレンジ色の太陽だ。しかもその太陽には顔があって、満面の笑みを浮かべている。外国の絵本に出てくるような豊かな表情で、私はイソップ寓話の「北風と太陽」を思い出した。陽気でユーモラスなイソップの太陽が、私の心を照らすように笑いかけてくる。

 あの窓の内側で、自分以外にも誰かが働いている。それだけのことを、ふしぎなほど心強く感じた。

(大切な用事を思い出して、駆けつけたビジネスマンだろうか。それとも、こっそり忍びこんだ企業スパイだったりして……)

 窓の灯りを見ながら、想像をめぐらせた。

 

 翌日の夜も明かりは灯った。1日おいて、その次の夜も。気まぐれに、ひんぱんに、イソップの太陽は現れつづけた。

 私は心待ちにするようになった。3日も間があいたら寂しく思うほど。

(時差のある外国と取引している貿易商かもしれない)

不眠症の経営者?)

(実はあの部屋は住居で、病弱な少女が若き夜警の僕に恋してしまったとか)

(やり残した仕事が気になって、成仏できない幽霊……)

 

 あれこれ空想しているうち、ふたたび、頭の中にひらめきが戻ってくるのを感じた。

「こうしてはいられない」

 という思いにせかされて、私は進み始めた。 

 あらゆるつてを頼り、家電ベンチャーの会社に職を得ると、がむしゃらに働いた。雑用と呼ばれる単純作業や力仕事も、率先して引き受けた。無心に体を動かしていると、アイデアが湧いてくる。次から次へと企画書を作り、「まるでSF作品だな」と突き返されては練り直し、再提案を繰り返した。

 借金を完済するころには、企画もすんなり通るようなっていた。クライアントや取引先との応対も増えてくる。相手と打ち解けると、私はよく、真夜中に灯る窓の明かりの話を持ちだした。イソップの太陽に笑って、その人なりの謎解きをしてくれると嬉しかった。

 正体はザシキワラシではないかという人、いや守護天使だという人。

 もちろん、困ったように首をかしげる人や、まったく興味を示さない人もいる。

 

 いちばんおもしろく聞いたのは「未来の自分説」だ。

「いつかきっと、あなたはその部屋の持ち主になるのよ。そしてある夜、午前2時に窓から向かいのビルを見ると、非常階段の踊り場に立っている警備員、つまり過去のあなた自身がいるの。そこで、未来のあなたは明かりを灯し、あたたかいイソップの太陽を輝かせて元気づける」

 話してくれたのは工業デザイナーの女性で、今では私の妻だ。

 

 長い年月にわたって、たくさんの人々に、同じ話をし続けてきた。

 その場限りで終わらず、人から人へと話が伝わることもあったのだろう。それが巡り巡って30年後に、あのイソップの太陽の持ち主と引き合わせてくれるとは、想像もしていなかった。

「びっくりしましたよ。あの街で、煉瓦色のビルの7階、窓に太陽のステンドグラスといったら、それはうちの事務所じゃないかと。いや、数年前に引退しているので、今では別の会社になっていますがね」

 にこやかに話しているのは、白い口髭をたくわえた老紳士だ。

「当時は、どんなお仕事をされていたんですか?」

 私は身を乗りだして尋ねた。

「妻とふたりで、西洋アンティークの買い付けをしておりました。あのステンドグラスもヨーロッパで見つけたものです。気に入ったので職人さんにお願いして、事務所の窓に組み込んでもらいました」

「そうだったのですか。では、やはり、時差の関係で夜中にお仕事を?」

 あっさりと謎が解けて、私は肩の力を抜いた。しかし、意外にも相手は、首を横に振ったのだ。

「いいえ、そこが私も不思議だったんですよ。事務所はオフィス兼倉庫で、開けていたのは普通に朝から夕方まででした。当時は、管理人が夜の10時にビルの出入り口を施錠してしまうので、締め出されたら大変です。他の会社の方々も9時過ぎには帰っていたはずですよ」

「それじゃ、真夜中に灯っていた明かりは、いったい……」

「ひとつだけ、考えられることがあります。私たちは月に半分は海外に行っていたので、その間、事務所は留守になります。夫婦ふたりでやっていた会社ですからね。これでは物騒だと心配した妻が、ある日、タイマー付きの防犯ライトをいくつか買ってきました。窓辺やドアの近くに置き、毎日決まった時刻に点灯と消灯をしていれば、長く不在であることを知られずにすむだろうと。そのおかげか、事務所荒らしに遭うこともありませんでしたが、たぶん、そのライトのひとつが誤作動を起こしていたんでしょう」

 思いがけない事実に、私は声もなく聞きいっていた。

「もちろん、夜中のことなので、私たちは気づきませんでした。とはいえ、誤作動していたのは、一時期だけだったと思いますよ。そんな怪現象が長く続いていたら、いくらなんでも耳に入るでしょうから。まだパーソナルセキュリティの機器がめずらしかった時代です。あのライトも、どこか小さなメーカーのものでした」

 

 そのメーカーこそ、30年前に倒産した私たちの会社に違いない。製品第1号だった「るすばん灯」の明かりが、暗闇の淵から私を救いあげてくれたのだ。

 

 

 

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テレビ離れと情報の最適化

しばらく前までは、在宅時にテレビ(地上波)が点いているのが、普通の状態でした。

BGM代わり、時計代わり、見ていてもいなくても、テレビが点いていないと物足りない。家に帰るとまず、テレビをONにしていました。

ところがいつからか、一方的に流れ込んでくる情報に疲れを覚えるようになって、

  もしかしたら、無くても大丈夫かもしれない

  朝夕のニュースと、おもしろい海外ドラマがあればいい

と思い、ためしてみました。

 

防災ラジオと見やすいデジタル置時計を買い(あー、また物が増えてしまった)、テレビからラジオへ切り替えてみると、予想以上に快適です。

ラジオは、誰が何を伝えようとしているのかがシンプルでわかりやすく、テレビよりストレスを感じません。対話する、語りかける、読み上げるなど、言葉と声の表現力や技術も聞きごたえがあります。

 

そして、海外ドラマのほうは、Huluと契約することにしました。

大好きな「クリミナル・マインド FBI行動分析課」がシーズン1から揃っているのが決め手でした。

実際に見はじめてみると、既にレンタルで視聴済の「クリミナルマインド」より、前から気になっていた「THE MENTALIST/メンタリスト」や「SHERLOCK/シャーロック」を優先してしまっていますが、これがほんとにおもしろくて、次の回を見るのが待ち遠しく、毎日のちょうどいい娯楽になっています。

舞台を現代に置き換えた「SHERLOCK/シャーロック」には、原作ファンならニヤニヤせずにはいられないエピソードやディテールが満載です。

 

テレビのほうは、週に1度くらい番組表をざっとチェックして、好きな番組をいくつか予約し、Huluの合間に見ています。

テレビからもたらされる大量な情報は、物体ではないけれど、生活の場をかなり占めていたのだなと、改めて感じました。自分にとって最適な情報の受け取り方を考え、実行してみるのは、けっこう楽しかったです。

 

私のところにあるテレビは、2年契約の家電レンタル品です。

契約期間が終了したタイミングでのテレビ断捨離を考えてもみましたが、今では五分五分です。東京五輪もありますし……。

すっぱり断ち切るというよりも、意識してほどほどの距離を保つことが、私のテレビ離れということになりそうです。

 

 

りんどう坂(創作掌編)

 祖父が、青紫色の花束を持って、目の前を通りすぎていく。

「おじいちゃん!」

 奏多は思わず、高い声で呼びかけた。

 

「おお、奏ちゃん。もう学校は終わったのか。今から病院かい?」

「うん」

 奏多の母親は先週から入院している。

 仕事大好き人間の母は、夏の暑さを気にもとめずに働いていたが、9月に入ってから体調をくずし、会社でひっくりかえって救急車を呼ばれた。全治一週間の予定だ。目をはなすと、勝手に退院して仕事に戻りかねないので、奏多と祖父が毎日、クギをさしに行っていた。

 

「ねえ、その花どうしたの。おじいちゃんもこれからお見舞い?」

 とっさに祖父は、花束を後ろにかくすそぶりを見せたけれど、思い直したように笑って、首を横にふった。

「病院には行ってきたところだよ。この花束は、さっき花屋の店先で見かけてね。この秋、初のりんどうだ。こいつを見つけると、つい買ってしまう。そして、ある場所に寄り道したくなる。なんというか、季節の行事みたいなものさ」

「そうなんだ、知らなかった」

 祖父のことは、何でも知っている気がしていた。ものごごろついたときから、忙しい両親に代わって、奏多のそばにいちばん長くいてくれたのは、祖父だったから。

「内緒にしていたわけじゃないよ。ずっと昔、何の気なしに始めたことだしね。そうだ、これからいっしょに行くかい」

「近くなの?」

「すぐそこの、りんどう坂というところさ」

 

 りんどう坂は、通りから少し奥まったところにある、細くなだらかな坂道だった。片側は高い塀が続き、もう片方は広い駐車場になっている。

「今は駐車場だが、ここは昔、原っぱでね。秋になると、りんどうがみごとに咲いた。それでりんどう坂と呼ばれていたんだが、地図に名前が載るほどじゃなかった。今の人たちは知らんだろう」

「ぼくも初めて聞いた。ここ、通ったことないかも」

「この坂はゆるやかに曲がりくねっているから、近道にもならないしな。そのかわり、静かで見通しのよくないところが、デートにはうってつけだったのさ」

 

 奏多が目と口をまるく開けて見あげたので、祖父はおかしそうに笑った。

「そんなにびっくりしなくてもいいだろう。じいちゃんにも、若いころはあったんだぞ。それにデートといったって、ちょっと立ち話するくらいの、たわいもないものだった」

「――おばあちゃんと?」

 祖母は、奏多が生まれる数年前に、協議離婚して家を出ていた。いちどしか会ったことがないけれど、ものすごくパワフルなおばあちゃんだ。

「いいや、奏多のおばあちゃんと知り合うずっと前、まだ高等学校の生徒だったときの話。相手の娘は、親御さんの仕事の都合で、外国へ引っ越してしまってね。それっきりさ」

 

 坂のなかほどで、祖父はしばらくのあいだ立ちどまり、りんどうの花束を見つめた。

――まひろさんが、幸福に暮らしていますように

 小さくつぶやく声が、風に乗って奏多の耳にとどく。

 殺風景なコンクリートの駐車場に、りんどうの花が、澄んだ秋の気配を運んできたように見えた。

 

 

 あくる朝、学校へ行く途中、奏多は道をたずねられた。

「このあたりに、りんどう坂というところはありませんか?」

 きのうの今日という偶然に、おどろいてふりむくと、

「ひさしぶりに来たら、すっかりようすが変わっていて……」

 はにかんだように目をふせているのは、きれいなおねえさんだ。まっすぐな長い髪と、白く透きとおるような顔。

「あっ、はい、知ってます。こっちです」

 目じるしになるものがない道なので、説明するより先に立って案内したほうが早い。坂の入り口のところまで連れていって、指さした。

「ご親切にありがとうございます」

 うれしそうに言って、坂をのぼっていくうしろ姿が、さいしょのカーブで見えなくなったとたん、奏多は心配になった。

 もし、りんどうの花を見にきたのだとしたら、期待がはずれてがっかりしてしまうのではないだろうか?

 考える間もなく追いかけた。

「あの、すみません。りんどうはもう咲いてないですよ。駐車場になってしまって――」

 言いかけたところで息をのむ。

 

 長い髪がさらさらと風にゆれていた。その背中のむこうがわには、野原がひろがっている。

 青紫のりんどうが、ちりばめられたように咲いていた。

 その人はふりかえりながら、なつかしげな声で言った。

「龍一さん……?」

 祖父の名前だ。

 奏多は背をむけると、うしろも見ずに駆けだした。

 

 走りに走ったので、途中で時間をとられたのに、いつも通り学校についた。けれど、友だちの話も、先生の授業もまるで耳に入らない。

(きっと、あのおねえさんは、おじいちゃんが話してくれた人「まひろさん」だ)

 そして、まひろさんはもう、この世に生きている人ではないのだ。奏多はふるえる両手をにぎりあわせて思った。

 うわの空で過ごしているうち、怖ろしさはだんだんとうすれ、放課後になって病院へ向かうころには、

(おじいちゃんが知ったら、どんなに悲しむだろう)

 という考えが、頭の中をめぐっていた。 

 

 病棟の廊下を歩いていると、思いがけない場所で祖父を見つけた。

 ナースステーションのすぐそばにある病室の前だ。ソファに浅く腰かけて、心配そうにうつむいている。

 どきっとして立ちどまった。看護師さんたちが目を配りやすいその病室は、手術を終えたばかりの人や、救急治療室から運ばれてきた人たちなど、病状が不安定な患者さんが入る部屋だ。

(まさか、お母さんが……)

 あわてて近づこうとしたとき、腕をぐっとつかまれた。母親と同部屋の先輩患者さんだった。

「あ、浜さん。お母さんのぐあい、悪くなっちゃったの?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。お母さんは元気よ」

 請け合いながら、奏多を談話室へ引っぱっていく。浜さんは病棟でいちばんの情報通だ。物見高くておしゃべりだけど、悪口を言わないので、みんなに好かれている。向かいあわせに座って顔を見ると、浜さんの目が生き生きと輝いていた。

 

「長いことああしていらっしゃるのよ、奏多君のおじいさま。私ね、偶然に売店で会って、そこまでお話しながら来たの。そうしたら、あの病室の、今日入院された方のネームプレートを見て、とても驚かれて、そのあとずっと心配そうに部屋の様子を見守っているのよ。きっとお知り合いなんだわ」

「なんていう人ですか?」

「名字はね、田中さんだったか、中田さんだったか。下のお名前がむずかしくて、真実の真に、尋ねると書いて『まひろ』さんというの」

 奏多のびっくりした顔を見て、浜さんは、やはりというようにうなずいた。

「それなら、奏多君からおじいさまに知らせてあげて。看護婦さんやスタッフさんたちが話しているのを、たまたま小耳にはさんだのだけど――」

 と前置きして、情報を伝えてくれた。

 

 まひろさんは昨夜、自宅で軽い発作を起こしたらしい。ひとり暮らしだったので病院への連絡が遅れ、今朝がた運ばれてきたときは予断を許さない病状だったそうだ。

 そして、一時は心肺停止の状態におちいった。

「えっ!」

 奏多は顔色を変えた。やはり、今朝りんどう坂で見たのは、これから永遠に旅立とうとしている、まひろさんの霊魂だったのだ。

「だいじょうぶよ。すぐ蘇生処置をして、今はもう安定しているみたい。ひと晩は様子を見るでしょうけど、明日にも4人部屋のほうへ移れるんじゃないかしら」

 と、浜さんがなだめるようにほほ笑んだ。

「浜さん、ありがとう。それを教えてあげたら、祖父もほっとするはずです。花屋さんにとんでいって、りんどうの花束を買ってくるんじゃないかな」

 安心のあまり、つい、よけいなことをしゃべった気がして、奏多は口を押えた。

 

 浜さんが、ふしぎそうに首をかしげた。

「今、りんどうと聞いて思い出したわ。まひろさんが意識を取り戻したとき、こう言ったんですって。――なんてきれいな、りんどうの花――」 

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「麴のちから!」~今は塩麹が私の必須食材です~

数年前ブームになっていましたが、私が塩麹を使い始めたのはここ半年くらいです。原材料が米麹と塩だけのものは、なかなかお店に置かれていないので、ネットで購入したりしています。

 

麹のちから!

「麴のちから!」 山元 正博 著

 

100年、3代続いた麴屋に生まれ、頭のてっぺんからつま先まで麴まみれで育ち、麴とともに生きているという著者の、「麴愛」に満ちあふれた本です。

 

「塩麴の一夜漬け」

大根、白菜、キャベツ、きゅうりなどをよく洗い、水を切ってから、目分量でその10分の1ほどの量の塩麴と合わせてよく揉みます。そのまま、ジッパー付きの袋に入れ、空気を抜いてジッパーを閉めてください。なるべく真空状態にしておいたほうが、塩分の浸み込みが速くなります。あとは冷蔵庫でひと晩寝かせるだけ。

なぜ塩麴を使うと、速く簡単に美味しい漬け物ができるのかというと、理由はふたつ。

ひとつは、塩麴の出す酵素が野菜の繊維質や糖質、でんぷん質を分解してうま味に変えるから。もうひとつは、麴が漬け物に必要な乳酸菌の増殖スピードを3倍にも増やすからです。

 

農学博士の説明なので説得力を感じます。

一方では、奥様が塩麴を入れてご飯を炊いている(お米3合に塩麴大さじ1杯)と、

「そんなもの、ボイルすると酵素が破壊されるだけだから、味が変わるはずがないだろう」なんて女房に理屈を言っていました。

ところが、大さじ1杯の塩麴の威力は絶大でした。実行していた女房のほうが正しかったのです。ふだん麴博士といわれる私も形無しでした。

――という、くすっと笑ってしまうエピソードもあって楽しいのです。

 

この本を読んで、麹菌は食べ物を美味しくするだけではなく、心身の健康から環境の浄化にまで効果を発揮する、秘められた大きな力があることを知りました。

 

「麴菌は愛の微生物」

麴菌は他の微生物と共生するのです。他者を攻撃しないやさしい微生物なのです。

抗生物質のように他者を殺すような物質は出さず、むしろ自分自身を提供して、周りの有用微生物を強化してくれます。

 だから私は主張したいのです。

 麴は愛の微生物だと。

 和をもって尊しとなす日本人。

 まさに日本人を代表するような菌。それが麴菌です。

 麴屋3代目の私がやるべきこと、それは麴菌の無限の可能性をもっともっと引き出し、世の役に立てることだと考えています。

 

 

今年の夏は、きゅうりとミョウガ塩麹和えをよく食べました。

食品用ポリ袋に、切ったきゅうりとミョウガ、適量の塩麹を入れて、シャカシャカ振り混ぜます。塩麹が行きわたったらポリ袋の空気を抜いてしばり、冷蔵庫にしばらく入れておけば出来上がりです。私は食べる直前にマヨネーズをかけています。チリメンジャコなどをトッピングしてもおいしい。

 

私の母は「ミョウガを食べると物忘れする」といって食卓にのせませんでした。でも、ほんとうは好きだったみたいです。

父のほうは、薄切りにしたきゅうりとワカメの酢の物が好きでした。生姜の千切りをのせて、おいしそうに食べていました。

今は亡き両親のことをなつかしく思いながら、結局、親とは違うものを食べている、というのが可笑しくもあります。

 

結晶 (創作掌編)

 正美にとって最大の悩みの種は、長年続いている肩こりだった。

 まるでゴツゴツした石が、両肩に埋めこまれているようだ。ただこっているだけはなく、ちょっとしたはずみで、首から肩にかけてつってしまうと、寝違えたように痛む。自分の頭の重さを支えきれず、出勤できないことさえあるけれど、「肩こりのため会社を休みます」とは言いづらかった。

 

 整形外科から民間療法まで、いろいろな治療や施術を受けてきた。

 肩こりに有効だという体操も毎日続けているし、普段の姿勢、食べるもの、枕、入浴の仕方まで気をくばっている。

(なんだか私は、肩こりと闘うために生きてるみたい)

 情けない気もちで、ため息をつくしかなかった。

 

 ふと、何か隠れた病気のサインではないか、という疑いがわき、思いきって大きな病院で精密検査も受けてみた。結果は、異常なし。健康体だと聞いてがっかりする始末だ。

 

 それでも正美はあきらめずに、口コミやインターネットの情報を探し続けた。そして、肩こりを専門にして高い治療効果を上げている、とあるクリニックにたどりついたのだ。

 すがるような思いで、予約した日を待った。

 

 そのクリニックは、専門医が集まっている通り沿いの、ビルの3階にあった。

 初診の受付を済ませて、待合室のソファに腰をおろす。清潔で落ち着いた雰囲気の院内は、居心地がよかった。

 正美は多くの治療院にかよった経験から、

(だいじょうぶ、ここは信頼できる)

 と、直感した。

 

 診察室に呼ばれて、院長のドクターと顔を合わせたときも、好印象は変わらなかった。ほっそりとした女医さんで、まなざしが力強く、笑顔は親しみやすい。そばに控える看護師さんも有能そうだ。

 正美は症状をくわしく話した。だんだん感情がこみあげてきて、

「肩こりは病気ではないかもしれませんが、ほんとうに……つらいんです」

 知らず知らず涙ぐんでいた。

 

 問診と診察を済ませたドクターは頼もしくうなずいた。

「よくなりますよ。肩こりの原因物質がだいぶ蓄積されていますが、治療により取り除くことができます。ただし、骨格などを変える治療ではないので、症状が再発する可能性はありますが、おそらくかなり先のことでしょう」

「はい」

 その点は、クリニックのウェブサイトにもきちんと説明されていた。

(たとえしばらくの間だってかまわないわ。この状態から、完全に抜け出せることができるのなら……)

 思いつめた心の声に応えるように、ドクターは続けた。

「それでも、いちどリセットされて、肩こりから解放されるという体感は、非常に重要です。肩こりを発症する以前の、本来の状態を充分に経験することで、そうですね、あまり科学的な表現じゃありませんけど、あなたの肩が自信を取り戻すのです」

 

 治療は日にちの間隔をおき、様子をみながら10回ほど行うという。看護師さんに案内されて治療室へ移った。

 部屋の壁側に、医療機器やモニターが並んでいる。 正美は両肩にいくつか吸盤のようなものをつけられ、寝椅子に横になった。吸盤は透明な管で機械とつながっていて、スイッチが入った瞬間、肩に振動が伝わってきた。軽く引っぱられるような感触だ。

 「約30分間で終わります。うたた寝されてしまう方も多いんですよ」

 モニターをチェックし終わった看護師さんに声をかけられて、緊張していた正美は、ほっと力をぬいた。

(今度こそよくなるかしら)

 肩こりのなくなった自分を想像しながら、天井を見つめた。

 

 

 2ヶ月後、正美は晴れやかな笑顔で、ドクターと向かいあっていた。

「治療はすべて終了です。順調に回復されましたね。今日は、これをお渡ししましょう」

 差し出されたトレイの上には、丸く平たい小石のようなものがのっている。色は半透明の乳白色で、碁石くらいの大きさだった。

「これは?」

「特殊な樹脂を固めたものです。手にとって光に透かしてみてください。色のついた泡のような粒子が見えるでしょう?」

 窓のほうへかざすと、ドクターの言葉どおり、色とりどりに光る粒がたくさん見てとれた。

「はい、きらきらと輝いていますね」

「それは、治療で取りのぞいた、肩こりの誘因物質の結晶体です」

「えっ」

 ドクターはプリントアウトした紙を向けて、正美に五角形のレーダーグラフを示しながら説明した。

「結晶体の色は、怒り、悲しみ、恐怖など、それぞれ感情と結びついているんです。たとえば、怒りが強い人は赤い結晶体が多くなり、グラフの該当部分が突出します。あなたのグラフは、ほぼ整った五角形になっていますね。いろいろな感情を、まんべんなく溜めこんでいらっしゃったんでしょう。今までほんとうに、がんばってこられたんだと思います」

 

 正美は診察室にいることも忘れて、手のなかの石に目をこらした。

「先生、自分で言うのも何ですが、とても美しい結晶の集まりですね。このままアクセサリーとして、身に着けたいくらい」 

 冗談めかして笑うと、ドクターは真顔で答えた。

「これまで正美さんが一生懸命生きてきた証し、いわば勲章ですものね。はい、これは賞状ですよ」

 差し出されたレーダーグラフの紙を受け取ろうとしたとき、頭のなかに荘厳な音楽が流れはじめた。

(これって、授章式なんかに演奏される曲よね。よくがんばってきた自分は、表彰されて当然ってわけ? 私もずいぶん自信家になったものね)

 正美は、すっかり軽くなった両肩をすくめた。

 

 

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