かきがら掌編帖

数分で読み切れる和風ファンタジー*と、読書・心理・生活雑記のブログです。

カタツムリの夢(創作掌編)

 一晩中、降りつづいた雨があがりました。

 

 紫陽花の葉かげで眠っていたカタツムリは、目をさまして、のんびりと動きはじめます。くもり空と、しめった空気が、気もちのいい朝でした。

 

 丸いかたちに寄りあつまって咲く紫陽花が見えてきました。

「また、青くなった。やっぱり、雨がふるたび、青くなる」

 ひとりうなずきながら、あざやかな青い花をながめます。

 

 さいしょ、花は白っぽい色をしていました。カタツムリは、花も葉っぱのように、みどり色になるのだと思いました。

 ところが、花は青い色に変わりはじめました。ひと雨ごとに、どんどん青くなっていきます。

 

     青い空は、雨が降ると青くなくなる

     紫陽花は、雨が降ると青くなる

     と、いうことは――

 

「そうか、空の青が、雨にとけて降ってきたんだ。それで、花は青くそまったのさ」

 ふと、心配になって、自分のからだを見まわします。

 だいじょうぶ、紫陽花のように、青くそまってはいません。きれいなカタツムリ色のままでした。

 ほっとして、朝ごはんを食べにいこうとしたときです。

 

 パチン!

 植木バサミの音がひびき、葉っぱがはげしくゆすぶられました。ふり落とされまいと、カタツムリはひっしでしがみつきました。

 女の子が、紫陽花を一枝、カタツムリの乗っていた葉ごと切りとったのです。

 水の入ったガラスびんに花をさし、そのまま庭先から出ていきます。

「おばあちゃん、好きだって言ってたから、きっとよろこぶわ」

 楽しげに、はずむような足どりでした。

 

 なにも知らないカタツムリは、殻にかくれてふるえていました。とつぜんふりかかってきた出来事に、生きた心地もしません。

 

「あれっ?」

 しばらくして、女の子が立ちどまりました。

 カタツムリに気づいたのです。葉の上から小さなカタツムリをつまみあげ、あたりを見まわすと、路地に咲いている紫陽花のところへ行って、そーっと置きました。

「気がつかなかったのよ。ごめんね」

 女の子の声と、遠ざかっていく足音を、カタツムリは殻のなかで聞いていました。

 

 殻から顔を出したのは、ずいぶん時間がたってからです。

 大きく、みずみずしい葉っぱの上でした。あたりは、うっとりするような静けさにつつまれています。

 けれど、さっきまでのおそろしさから、かんたんに立ち直ることはできません。びくびくしながら、かさなりあった葉のかげへ向かって、はいはじめました。

 

 丸くあつまって咲く紫陽花が見えてきます。

 花は、やさしいピンク色をしていました。

 

 カタツムリは、びっくりしてピンク色の紫陽花を見あげました。

「こんな色を見るのは初めてだ。なんて、うつくしい色だろう。――花の色は、雨がそめるんじゃなかったのか」

 その日、カタツムリは花をながめてすごし、花のそばで眠りました。

 

 そして、広い世界を旅して、さまざまな色のカタツムリに出あう夢を見たのです。

 

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16番の下足箱(創作掌編)

 天に向かってまっすぐ伸びた煙突を目当てに、圭太は道をさがしていた。

 

 社会人になってから3年半、いよいよ会社を辞める決心をして、ワンルームのマンションからユニットバスもついていないアパートに引っ越してきたばかりだ。

 近所に銭湯があるのはわかっていたし、家賃は半分以下になる。

(ただ寝に帰るだけの部屋だから、これで十分だ)

 来月から圭太は、後継ぎのいない遠縁の職人に弟子入りするのだ。

 

 タオルと石鹸の入ったポリ袋を手に、日暮れの町に出る。

 いりくんだ路地を歩いていくと、やがて銭湯の入り口が見えてきた。

 

(ここ、むかし百じいと行ったお風呂屋さんにそっくりだ!)

 圭太は思わず立ちどまった。

  宮造りの屋根、藍染めの暖簾、履き物をぬいであがる板の間、そして、壁一面に番号をふった下足箱が並んでいる。

 幼いころ、祖父と通った銭湯が、そのまま目の前に現れたようだった。

 

「俺は百まで生きる」が口癖で、まわりから「百じい」と呼ばれていた祖父は、圭太をとてもかわいがってくれた。

 いっしょに銭湯へ行くと、百じいはいつも16番の下足箱に、自分の下駄と、圭太の運動靴をしまった。

 16は、「巨人軍の川上」という、圭太が生まれるはるか前に大活躍した野球選手の背番号だ。たまに16番がふさがっていると、ムッとした顔になった。

 

 ふたりで背中の流しっこをするのが楽しかった。

 祖父の背中には、肩甲骨の内側にそって、長い傷跡があった。若いころ肺結核に罹って、大手術をしたのだという。

「今なら薬で治る病気だが、昔は、ろっ骨を何本も切ってしまわんと助からなかったんだよ。麻酔もたいして効きはしなかったから、そりゃあ大変だった」

 手術を終えた患者は、ベッドの枠に固く結びつけられた手ぬぐいをにぎりしめて、痛みにたえるしかなかった。

 話を聞いてふるえあがる圭太に、

「まあ、俺は手ぬぐいじゃなくて、看護婦さんがずっと手をにぎっていてくれたけどな」

「おじいちゃんだけ、どうしてなの?」

「そりゃあ、俺が男前だったからだよ」

 

 この話、何回聞いたことだろう。百じいのお気に入りの話は、圭太もくりかえし聞いてあきなかった。

 

 銭湯には四角い大きな湯船があって、広くて浅い部分と、狭くて深い部分に仕切られていた。狭いほうのお湯は熱く、江戸っこの祖父は必ずそちらへ入った。

「年をとったら熱いお湯はよくないって、おばあちゃんが心配してたよ」

 圭太が注意しても、

「つかる前に、ちゃんとかけ湯をしておけば大丈夫だ。それに、こんなのは熱いうちに入らん、ぬるま湯だ。いいか、軍隊でも、俺の熱い湯好きは有名だったんだぞ」

 と、やせた胸を張った。

 

 軍隊では、銭湯のような風呂場があって、階級の偉い順から入ったそうだ。

 祖父たち新兵は、いちばん後の方、よごれてぬるくなったお湯にしかつかれなかった。

 けれど、わかしたての風呂は、上半分がかなり熱くなっていても、底の方はまだ水のままだったりする。大きな湯船なので、外に立ってかきまわしても、全体はまざりにくい。

 すると、上官から「行けっ!」と、お呼びがかかる。

 「そこで、俺が湯の中へとびこんでな、歩きながら両手両足をつかってかきまわしてやるのさ。おかげで、一番風呂にはつかれるし、上官にはほめられるしで、いいことずくめだった」

 そんなふうに、自慢していた。

 

(百じいは、ほんとに偉かったなぁ)

 圭太は天国の祖父に、胸の内で語りかけた。

 

 肺結核の手術も、戦争や軍隊も、圭太には想像もつかないほど過酷なことだ。

 それなのに、看護婦さんがやさしかったとか、熱い湯好きが役に立ったとか、明るい顔で話していた。幼い圭太にはわからなかったけれど、不運や苦労を笑いとばす底力を、祖父は持っていたのだ。

 

(会社を辞めて、新しい道に進むこと、ほんとは不安でたまらないんだ。でも、ぼくだって百じいの孫だ。きっとどこかに、同じ「底力」を受け継いでいるよね?)

 

 圭太は銭湯の暖簾をくぐり、16番の下足箱をさがしはじめた。 

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